第24話 アンネは見ていた

 狩猟祭が終わり、観客席エリアに赴くと大きな歓声を浴びた。

 嬉しくなったため軽く手を振ってやると更に歓声が増す。

 マロンちゃんも嬉しそうだ。


『ヒーローの登場に会場も大盛り上がり!今一度クレン様の勇気ある行動に拍手を!私も大好きになっちゃいました!』


 多くの人が駆け寄ってきて、助けた少女の両親にも散々お礼を言われた。少し事情があって家に娘を残していたらしい。まあ深い詮索はしないでおこう。


「だあああ!観客ども、俺様を見ろ!優勝したのはこのセルギウスだ!こっちだ!アナウンスも俺様を紹介せぬか!あいつなどどうでも良い!」


 私の後ろでは同じく祭を終えた王太子がいて、不平不満を口にしている。なんか良いところを持っていってしまったみたいで申し訳ない。


『えーと、今年の優勝はセルギウス様です……

 はい。おおっと!あれはあれは!クレン様のもとに婚約者様が!私、新聞で見ましたぞ。辺境よりやってきた美しい貴族の番。フンガフンガ!眼福ぅ!』


 アナウンスの声が告げた通りルルージュが走って来ていた。

 慌てた様子は少し珍しいが、思わず視線を逸らす。


「クレン様!」

「うっ……」

 まずい。

 格好つけて優勝するとか言ったのに、普通に負けた。王太子にも負けたし、グールモール子爵が無事だったら逃げ切られていた可能性だってある。


 これで優勝賞品が世界一うまいパンとかだったら、どう弁明したら良いか。


「……御無事で何よりです!」

 え?


 視線をルルージュに向ける。

 彼女の目は少し潤んで、赤くなっていた。


「なぜ泣く」

「泣いてません」

「私を責めないのか?情けなくも狩猟祭で負けてしまった」

「責めるだなんて。誰よりも格好良かったですよ。……でも、火の中に飛び込むなどもうおやめ下さい。実況を聞いていて、生きた心地がしませでした」

 むむっ。

 これは責められるどころか、心配されている?

 この私が?


 つい先日までチクチクモラハラ男子代表みたいな行動ばかりしていた私が心配されようとは。彼女はかなり大きな器を持った女性らしい。


「……誰かが困っていたら何度でも火に飛び込むさ。それが恵まれた生まれである私の責務だと思う」

「でもそれだと、また髪の毛焦げちゃいますよ」

「なっ!?」

 指さされた箇所を見ると、確かに髪の毛が焼かれて縮れていた。ぎゃああああああ、私の繊細な髪の毛があああああああ。

 さっきから焦げ臭いと思っていたのはこれだったか。


「ぷっ」

 私の慌てぶりにルルージュが少しツボったみたいで、しきりに笑っている。

「やっやすい代償だ」

 格好つけた手前、今更後悔などしてられない。


「あの、クレン様?」

「なんだ?」

「私がピンチになったとき、同じように助けて下さいますか?」

 ふん。馬鹿なことを聞く。


「当たり前だ。私はフェーブルの土地の者は誰一人として見捨てはせん。皆家族だからな」

「違います。そういうことではなく!」

「……まあ、そなたは良き純魔石を作る。助ける際には少しだけやる気が出るかもな」

 少しだけな。


「はい!それで充分です!」

 ルルージュが満足そうに微笑んだ。

 とても心地の良い時間と空間を享受しているとマロンちゃんがルルージュにすり寄っていった。首を振って、乗るように促す。


「乗って欲しいそうだ」

「大丈夫でしょうか?私結構重たいですよ?」

「馬鹿を言え」

 マロンちゃんからおりて、両腕でルルージュを抱き上げた。


「きゃっ!」

「軽い。軽すぎる。もっと食べて肉をつけろ。フェーブルの冬は冷えるぞ。この程度の脂肪では乗り切れん」

 彼女は本当に軽かった。羽でも持ち上げた気分だった。随分と顔色の良くなった今でさえこの軽さ。我が家に来たときの彼女はもっとやせ細っていった。何があったかを考えると悲しい気分と怒りが込み上げて来そうだ。今は必要ない感情だと振り切る。


「うわっ」

 ルルージュをマロンちゃんに乗せてやると、馬も人も嬉しそうにしていた。

 私も跨り、ルルージュを支える。


「わっわっ。始めてお馬さんに乗ってしまいました!高いです!高すぎます!ここは空!?」

「馬の上だ」

 感受性豊かすぎるだろ。


「この子凄いです。2人を乗せてもびくともせず、涼しい顔をしています!」

 ルルージュに褒められてマロンちゃんも嬉しそうだった。

 そういえば、マロンちゃんがルルージュを無条件で受け入れたのには、今更驚いた。


 私と出会った時は頭をかち割る気で本気で噛みついて来ていたのに。今では相棒になったが、それでも近づいてくる他の人達には『触ったら普通に殺すけどいいの?』といった感じで殺気を放っていたというのに。


 ルルージュは人だけでなく、馬にも愛される才能があるらしい。


「名前はマロンちゃんだ」

「マロンちゃん!可愛いです。私にもそう呼ばせてください」

 ヒヒーンとマロンちゃんが嬉しそうに嘶く。


「この子、頭がいいですね。私の気持ちを理解しているようです」

「理解しているさ。敬意を払っているからこそ、マロンちゃんもルルージュが好きなんだ」

「私好かれてるの!?わぁ……なんか素敵な気分です」


 決めた。

 マロンちゃんはもう返さない。

 王太子からのプレゼントだと思って、フェーブルの土地に連れ戻す。


「私には既に心に決めた馬がいる。マロンちゃんはルルージュにプレゼントしよう。大事にしてやってくれるか?」

「え?いいんですか?」

「マロンちゃん、それでいいか?」

 マロンちゃんも尾を嬉しそうに振って応えてくれた。


「だそうだ」

「こんなに幸せで良いんでしょうか?……なんか私最近良いことばかりで」

「良い。私が許す。しっかり捕まれ。このまま走り出すぞ」

「どちらへ?」

 そんなの決まっている。この約束だけは守る。


「王都一のパン屋を見つけた。今から食べに行くぞ」

「!!」

 目をカッと見開くルルージュ。分かり易すぎだろ。


「クレン様……天才ですか?」

「はい」



 ――。


「アンネ様、まだ人の多い場にはお気をつけ下さい!狩猟祭ともなれば多くの要人もいらっしゃる」

「あら、嫌ですわ。わたくし、セルギウス様と会いたいんですもの」

 自身の置かれた状況を一切理解していない発言。


 アンネは昨年起きた聖女暗殺未遂の実行者であり、主犯格の一人でもある。

 その罪をルルージュに擦り付けることには成功したが、それでもまだ表舞台に顔を出すのは時期尚早。公の場に出て、新聞にでも乗ろうものならば、必ず誰かが気づくはずだからだ。

 確かにルルージュとアンネは似ている。母は違えど、父の方は同じ血が通っているのだ。


 聖女暗殺やかつての悪行三昧で恨みを買っているアンネの姿を見れば、ルルージュと幾ら似ていようと別人だと気づく人が出てくる。


 それを憂慮したサーペンティアの家の者が自重するように諭すが、アンネの耳には入らない。もともとワガママで傲慢な性格だ。既に罪の意識など無く、自身が窮屈な生活を強いられていることに怒っている程だった。


「なぜわたくしがコソコソしなくてはならないのかしら?だって、罪は全部お姉様が被って下さったじゃない。ふふっ、ルルージュ・サーペンティアが」

「大事には、大事をかけた方が宜しいと旦那様も王太子様も申していたではありませんか」

「ふーん、でも嫌なものは嫌」

 こうなっては誰も手をつけられない。幼少期より面倒を観ているので、既にそのことは理解していた。


 観客席に用意されたvip席へ向かう途中、祭の終わりを告げるアナウンスが響いた。少し来るのが遅かったみたいだ。


「……祭は終わったみたいですな、お嬢様」

 これで帰れるとホッとする側付きだったが、アンネが納得するはずもない。

「道中もたついた御者をクビにして頂戴。それと彼の家族の借金を明日から取り立てるように。手加減してはダメよ」

 怒りのこもっていないような淡々とした喋り方だが、内容は冷酷そのもの。そもそも、その借金もサーペンティア家の経営する賭博場で作らせたものだった。


「セルギウス様に挨拶したら帰るわ。せっかくお化粧までしたのに」

 vip席に辿り付くとちょうど参加者たちが観客席エリアに戻って来ていた頃だった。祭の決まりで始めと終わりはここを通るのが慣習となっている。


 華々しい戦士たちに声援が送られる中、アンネはすぐにセルギウスを見つけた。癇癪を起こす王太子に駆け寄ろうとしたところで、もう一人の深い関係である存在に気づく。


 ルルージュが1人の男性に駆け寄る。2人は親しい関係性みたいで、随分と楽し気である。まるで自分たちこそ勝者だと言わんばかりの空気を醸し出し、観客たちもその空気を膨らませる。


「戻っていたのね……お姉様。それとあの方は

 ……」


 アンネの視線がクレンに向けられる。心の中には、既にセルギウスはいなかった。


 胸の中に渦巻くドス黒く、ひどく醜い欲望。ルルージュが持っているものが欲しい。ルルージュが妬ましい。天に恵まれたルルージュが許せない。ルルージュから奪い、また全てを失わせて地獄を見せてやりたい。


 誰かが大きな幸せにいることが許せない、世の中にはそういう人間がいる。アンネ・サーペンティアはそういう人間の代表格だろう。それが妬んだ相手ともなればより一層のこと。


「わたくし、あの方が気に入りましたわ」

「お嬢様!?それはなりません。絶対になりません。ルルージュ様に近づくだけでも危険ですし、その婚約者ともなれば!」

「ふふっ、心配しなくてこ大丈夫よ。わたくしの魅力に抗える殿方はいません。王太子を落とすのも簡単でしたのよ」

「ああ……お嬢様どうか、どうかそれだけは」


 悲痛な願いは届かなかった。アンネの次の欲望は、ルルージュからクレンを奪うことと定まった。




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