第19話 ザ鈍感

 王都の湯は透き通っていた。


「ふー、和む」


 遠方より招かれた貴族用の風呂は王家の名に恥じぬ見事な造りであり、私が入浴する直前にも湯を入れ替えるという贅沢な振る舞いをして下さっている。


 フェーヴルの風呂はこのような透き通った湯がなかなかないので、目の前の湯が大変珍しく気分が自然と高揚していった。といっても、フェーヴルの湯が汚いという訳ではない。天然の湯が多い我が領地の風呂は、体に良い成分が湯に溶け込んでおり、それが関節の痛みに効いたり美肌に良かったりともっぱら評判がいい。

 昔からフェーヴルの湯を求めてやってくる旅人の多いことでも、その効能が証明されていた。


「頭の中が透き通るようだ」

 湯に浸かっていると浮世のことなど忘れてしまいそうになる。ルルージュの過去や、貴族世界のしがらみ。この後、社交界で大物貴族たちとの会合など、全てどうでもよくなってくる。ずっと湯に浮かんでポカポカと、まったりとしていたい。


「おや、その赤い長髪に立派な体躯。辺境の地で戦ってきた強者の証である無数の傷跡を鑑みるに、フェーヴル家の者だな」

 声がしたので頭上に乗せていたタオルをとる。風呂で私の正体を分析する無粋者に視線を向けた。


 おや、これは……。

 無粋者だと思ったことを謝罪させて欲しい。


「私とは比べ物にならない傷跡の多さ。そして雪に溶け込むため髪色まで白く進化したと言われる一族。なにより伝説の隻腕を見れば、貴方が誰かわかる。グールモール子爵様、このようなところで出会えて光栄です」

「かっかかかか。畏まらんでいい。ここは風呂場だ。無礼講でいこうぞ」


 老年になって久しい隻腕の貴族、その人が私の隣に座る。

 まさか、こんな生ける伝説と共に湯に浸かれるとは。


 北の要所を守るグールモール家。北は我が家やカスペチア家程主要な交易路が通っておらず、それ故に家格が子爵どまりであるが、国への貢献度で言えばグールモール家程に献身的な貴族はいない。


 私が生まれる前に起きた北の大きな戦い。その時に総指揮官として挑み、圧倒的劣勢の中で極北の獣人族の軍を破ったお方である。あの時北の防衛線が破れていたら、今の王国の繁栄はなかっただろう。もちろん我がフェーヴル領も例に漏れず。

 同じ武人としてこれ程名誉なことはない。誰しもがグールモール子爵の隻腕を見る度、尊敬の念を送る。その傷の名誉は非常に大きい。


「ぬしと会うのは初めてだな」

「はい。しかし、話には何度も聞いております」

「あの赤毛の小僧が、こんな立派な倅に恵まれるとはな。時間が過ぎるのは早い」

 赤毛の小僧とは我が父上のことだろうか? 話しぶりでたぶんそうなのだろうけど、辺境の赤鬼と恐れられる父上を小僧呼び出来る人なんて、世界中探してもこの人だけだろうな。


「お主の祖父と父は肩を並べて戦場を共にした。北の戦線では良いタイミングで助力に来てくれてさぞ助かったわい。グニスは……惜しい男を亡くしたものだ」

「祖父も貴方と戦えて光栄だったと良く話してくれました」

 我が祖父は既に他界している。別に病気があった訳でも古傷が悪さをしたわけでもない。それなりに長生きし、眠るように寿命を迎えたのだ。良い最後であったと、立ち会った者なら皆が思っただろう。

 その祖父より年上なのに、未だ覇気を放つこの爺さんが異常なだけで……。


「グニスはずるい。さっさとくたばりおって。しかもこんな立派な後継者までいるとは。うー、羨ましい上、憎たらしい。一方で我が子孫共と来たら」

 グチグチグチ、しばらく老人の愚痴に付き合う羽目にあった。グールモール子爵の子は既に戦死している。孫が次の領主になる予定ではあるが、随分と揉めているという話を耳にしている。


「お褒め頂いて光栄ですが、グールモールの屈強な男たちならばきっと今の混乱も乗り越えることができましょう」

「だといいがのぉ。まあ、いざとなったらお主が全員張り倒して目を覚まさせてくれ」

「んな無茶な……」

「かっかかかか。フェーヴルの男は情に厚いからな。何か大ごとになる前に、しっかり頼んでおかねば」

 本当に酷い頼み事だ。貴族が他人の家のお家騒動に首を突っ込めば修羅場は間違いない。そんな事態になれば、我がフェーヴル領も混乱に巻き込まれることだろう。

 冗談だと願って、私も適当に愉快に笑ってのけた。


「ところで、この後の用事は」

「寝室に戻って寝るだけです」

「違う、違う。公式の会合までの数日じゃよ」

「えーと……」

 何もない。

 ルルージュは今日、先日嫌がらせのビンタをしてきた御令嬢と王都を楽しんでいるはずだ。

 それだというのに、私と来たら。全く予定がない! 暇!無職!ニート!


「暇なようじゃの。どうじゃ、明日王太子主催の狩猟祭に出てみぬか?」

「狩猟祭ですか。そういうのは好きですが、飛び込み参加は迷惑がかかるのでは」

「構わんさ。フェーヴル家のクレンが出るとなれば祭はより一層盛り上がる。主催者も観客も皆喜ぶじゃろうて」

「そんなものですか」

 そうだと断言される。

 実際興味はあるし、グールモール子爵ももう私を逃がすつもりなどないという視線を向けてくる。黙って頷いておいた。


「では、参加で良いな。かっかかかか。生ぬるい大会にようやく張りのある相手が出て来たわい」

「グールモール子爵と張り合える人物など早々いますまい。あまり若者をいじめないで下さい」

「お主と王太子くらいかの? 今回の優勝争いの相手は。かっかかかか。まあ全部ワシが持っていくがな!」


 勢いよく立ち上がり、未だ衰え知らずな体と共に湯から出ていく。挨拶もさせてくれず、もう立ち去ってしまった。どこまでも豪快な人だ。


「……まあ良き暇つぶしになるか。折角だし、ルルージュに声をかけておこうかな」

 優勝すれば豪華な賞品も出るだろう。なにせ王太子主催の狩猟祭だからな。


 私が優勝したらルルージュは喜んでくれるだろうか?

 そうだといいな。


 のぼせないうちに湯から上がり、ルルージュの元を訪れた。

 彼女が戻ったという知らせは受けていたので、邪魔にならない時間を選んでいる。


「ルルージュ、私だ」

「クレン様?」


 彼女に貸し出された室内へと入る。

 外に使用人が控えているが、室内は2人きりだ。扉を締めれば、外部の音も遮断される。静かで薄暗い室内に、たったの2人。


 そういえば、2人きりだなんていつ以来だろうか……。むっ、ちょっと気まずいかも。


「王都の散策はどうだった?」

「とても楽しかったです」

 それは何よりだ。出かけた先で意地悪されていないかと心配だったが、ルルージュは案外逞しい。機転も効くので逆に相手をやり込めてしまう方が現実味がある。心配するまでもなかったか。


「クレン様は何をしていらしたのでしょうか?」

「日がな一日書物を読んで過ごしていた。こういう空いた時間に読んでおかないと、領内ではなかなか機会がなくてな」

「ご苦労様です」

 労われるほどのことはしてないのだけどな。普段もただ義務を全うしているだけだ。


「昨日の聖女様との件、少し驚いただろう?」

「ああ、私が暗殺者だとかどうのこうの。確かにビックリしました」

「無理もない。そなたは知らないだろうが……」

 毒美令嬢の噂話を彼女にするべきか少し悩んだ。別人説が濃厚になってきた今、彼女に我々が持っていた先入観を聞かせるべきだろうか?

 下手したら傷つけてしまうかもしれない。放さないほうが丸く収まるのは間違いない。


 けれど答えは決まっている。話すべきだ。


 2人だけの空間。窓の外には三日月が見えている。薄暗い部屋には月光が差し込み、そこで私は淡々とルルージュに纏わりついていた悪評を話した。その件で私がどれほど彼女を毛嫌いしていたか。領民たちもそれで彼女に冷たくしていた旨を全て伝えた。長い話を終えると、窓辺で聞き耳を立てていた蝙蝠がちょうど飛び立った。


「すまない! 私としたことが……。確かな情報筋だと思って噂を信頼していたのだが、どうやらこの件の黒幕はずっと情報操作に長けた者らしい。いいや、それでも言い訳にはならないな。愚かなことだ。人の噂など宛てにはならないとあれほど教えられたのに!」

 頭を下げた。ただひたすらに頭を下げる。許しが欲しいわけじゃない。けれど、どうしてもあなたに謝罪がしたいのだ。ルルージュ。


 一日慣れぬ土地を周って来て、疲労の溜まったルルージュには申し訳ないが、腸煮えくりかえる話だろう。簡単には飲み込めまい。私をののしってくれても構わない。何なら手を出しても。気の済むままに、どうか。


「え? 私嫌われてたんですか? ……領民の方達にも初めから優しくされていたような。え? あれ? だって、初日からあんなに美味しいパンを……。清潔な寝床とお風呂まで。あんな良くして貰っていたのに……。クレン様、何か記憶違いしていませんか?」


 ……私が思っている数百倍、この人はタフかもしれない!

 悲しい懺悔の時間が、なんか間抜けな勘違い話の雰囲気になってしまった。


「そ、そうか。ままま、まあ、記憶違いかもしれぬな。私も仕事で忙しかったし? ちょっと冷たく当たったのを意外と自らが気に病んでいたかもな」

「はい! そうです! だって私、フェーヴル領に行ってからずっと幸せでしたから!」

 誤魔化した自分が恥ずかしい。なんて浅ましいんだ。

 そして、同時にとんでもなく嬉しい。


 顔がカーと熱くなって、赤くなっているのがわかる。だから急いで窓に顔を向け、月に視線を移した。先ほど飛び立った蝙蝠が私をからかうように舞い戻ってくる。

 たぶん、顔が赤くなったのはバレていないはずだ。こんな顔、ルルージュに見せたくない。


「明日、王都の狩猟祭に出る。……出来れば、そなたに応援に来て欲しいのだが」

「はい、もちろん行きます。私はクレン様の婚約者ですから。絶対に優勝出来るように、私の幸運パワーを送っておきますね!」

 幸運パワー?


 ふんっ。貰っておくとしよう。結構演技が良さそうだ。


「それがなくとも、私は必ず優勝するよ。ルルージュが応援しに来てくれるのだから。王太子主催の大会だ。きっと優勝賞品も豪華に違いない。王家の秘宝もありえるのでは? それを君に送ると誓うよ」

 決まったな。


「え? いりませんけど」

 決まらないな。


「……では、優勝した暁には王都一上手いパン屋さんに連れて行くと約束する」

「はい! 絶対に勝って下さい!クレン様!!」

 ……うん。そっちね。はいはい。




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