第13話 北での過去

「ふむ、馬の鬣を編み込むとはおしゃれですな」

「おや?」


 馬のたてがみを編み込んでいた男が、声に振り向く。

 そこには屋敷で『爺』と呼ばれる男が立っていた。


 もうこの屋敷で世話になって一ヶ月程になる。爺くらい存在感がある人物なら、彼も当然記憶していた。

 恭しく礼をして、二人は軽くあいさつを交わす。


 馬の傍に立つ男は、先日ルルージュ・サーペンティアと共にやってきた御者だった。荷物もなく、護衛もいないルルージュに唯一付き添ってきた老人。年老いた馬同様、彼も随分と年季が入っている。


 やってきた当初こそあまり気にかけられず、最低限の寝床を提供されて、使用人たちと同じ食事を提供されるだけだった。誰に気にかけられることもなく、静かに時間が過ぎる。


 しかし、ルルージュが使用人たちの心を掴んで以降、この老人もその恩恵に預かることとなった。

 老骨に鞭打ってルルージュ様を一人王都から送り届けた豪傑。いつの間にか、彼はそういう評価を貰い、屋敷の者たちから好意を向けられていた。食事も良くなり、寝床もランクアップした。


 来た時には質素な服装を見に纏っていたというのに、今は革製の立派な旅装束を見に纏っている。これも屋敷の人間たちが、彼の旅の安全を願って揃えた上物の革製品だった。


「本日旅立つと聞きました。この地は気に入りませんでしたかな?」

「いえいえ。大変良くして貰って、とても気に入っております」

「では、ここを住処としたらいい。フェーヴル伯爵領は高齢者への年金もあるし、まだ働きたいという頑健な者にも居場所を用意できる」

「ははっ。素晴らしい土地ですな。けれど、王都に戻らねば。あっちには息子夫婦や孫もいますので」

「そうでしたか」


 爺が年老いた馬を撫でる。

 年老いてはいるが良く鍛錬された馬だということがわかる。おそらく、この御者が調教したのだろう。馬を見ればそれに乗る人物の器も図れる。


 編み込まれた鬣を見て、爺は少し笑った。


「少し仕上がりが、おかしかったですかな?」

「いいや、良く編み込んである。上手なものだ。やったことは何度もあるが、ここまでうまく出来るかどうか」


 穏やかな会話が続く。御者はなぜ爺が笑ったか、まだ気づいていなかった。爺はその鬣に、懐かしさを感じていた。


「ルルージュ様はそなたに感謝していた。危ない道中を送ってくれたと。クレン様はそなたの勇気を称えていた。使用人たちは皆、そなたに心を開いて優しくしていた」

「はい、本当にありがたいことで」

「では、なぜ裏切った?」


 この言葉がきっかけだった。

 場の空気が凍り付く。


 傍から見ると老人2人が静かに会話している穏やかな光景だろう。しかし、二人はそう感じていない。次の瞬間には殺し合いが始まってもおかしくないという心構えでいる。


「クレン様とルルージュ様がカスペチア領に行った際の襲撃。あれはタイミングが完璧すぎた。クレン様はルルージュ様を疑っておられたが、今一度考えなおすともう一人いるのだよ、情報を流せる人物が」

 それがこの御者だと言いたいのだ。

 ただの老人だと思って、誰も警戒していなかった。今ならわかる。警戒されていないところを、この男は上手く情報を盗み出したのだろう、と。


「……いつから気づいていた?」

「昨日じゃよ。この馬のたてがみを見た時、ああ、そういうことかと」


 爺の言葉に、御者はまだ理解が追い付いていない。これは趣味というか、ほとんど癖で編み込んでいるだけだ。誰かに情報を提供するようなものではないはず。


「ブーツの中にナイフを仕込んでいるだろう?」

「……」

 返事はしなかったが、図星だった。


「袖には短いダガーを3本。ズボンの裾にアンクルナイフ。ベルトの裏と、立てかけているコートの裏にも隠しポケットある。馬の鞍には臭いでバレないように、火薬代わりの炎の魔石を」

 全てがあっており、御者は不気味さを感じ始めていた。

 なぜわかる? それも全て、完璧に。

 この老人は一体……。


「くっくくく。まさか、かつての部下に出会うことになるとはない。こんな年老いても優秀で非常に嬉しい限りだ」

「……部下?」


 御者はしばらくフリーズし、改めて爺の顔を見て、ようやく全てが繋がった。


「まさかっ、あ、あんた。はぁはぁ……カトラス将軍! なぜあんた程の大物がこんなところに!」

「ようやく思い出したか。私が率いた北の戦線にいたのだろう? すべてが教えた通りだ。馬のたてがみは戦勝を祝ってのことと、帰り道の安全を祈願してのもの。まさか、未だにやっている者がおるとは、マメな男だ。嬉しいやら……それが敵の立場で悲しいやら」


 腰のアンクルナイフを取り出し、構える。

 先ほどまでは、不気味ではあったが警戒するには値しないと判断していた。相手はただの貴族に使える老人。

 北の戦線以来ずっと最前線で戦っていた自分とは、潜ってきた修羅場の場数も何もかもが違うと思っていたからだ。


 それが今や、全ての前提が崩れてしまった。

 目の前にいるのは、伝説のカトラス将軍。絶望的な雪国での戦い。国の領地を大きく失うはずだった敵国の侵略を一人の豪傑が全て叩き潰した。


 あの戦場にいたからこそわかる。カトラス将軍がいかに異常なのかを。


「なぜ将軍がここに……! いや、関係ない。私も年老いたが、あんたも随分と年老いたものだ。今なら、逃げ切るだけならできるかもしれんな」

「ははっ。まあ試してみるといい。ここはフェーヴル伯爵領。私の庭みたいなものだし、そもそもこの屋敷の敷地内から出すつもりもない」

「言ってろ」

「屋敷どころか、もうどこにも行かせん。それ以上動くな。一歩でも動けば、脚を斬る」


 カトラス元将軍の言葉に、御者がどっと汗を噴き出す。

 相手は当時のような人外めいた覇気を纏っていない。筋骨隆々だった体も、今はやせ細っている。姿勢の良さから体幹が強いことは伺えるが、それでも素人の体幹レベルに見える。


 何よりも自分は装備を整えているし、手にはナイフを持っている。先手を取ったのはこちらなはずなのに、本能は違うと警告を送ってくる。


 嫌な汗が吹き出し、心臓の鼓動が高まる。

 辺りの景色がゆったりになる程集中力が上がってきているというのに、体が動かない。

 一歩でも動けば、本当に足を落とされるような気がしてくるのだ。


「あああああああああああああ゛!!」


 叫び声をあげ、唇を噛んでようやく体が言うことを聞いた。

 やらなければならない! 絶対にやらなければならない! 王都では人質に取られた家族がいるのだから! たとえ全てを失ってでも、カトラス元将軍に立ち向かわねばならなかった。


「痛みで我を取り戻したか。それも教え通りだな。見事」

 これも北の戦場で部下たちに叩き込んだ基礎だった。

 見事にそれやってのけたかつての部下を見て、やはり爺は笑った。


 ナイフを突きつけて突進する御者。

 けれど、次の瞬間にはバランスを崩して地面へと転がり込んだ。


「は? ……え? 何が」

「なーに、ふくらはぎの肉を削いだだけじゃ」

 ただ早すぎて見えなかっただけのこと。爺の言っていることはそういうことだ。ナイフを仕込んでいたのは爺も同じ。常に取り出せるようにしていた。


「命は取らんよ。かつてのかわいい部下じゃ。それに、情報も搾り取らんとな」

 倒れた御者を椅子にして座り込む爺。

 老骨には応えるとぶつぶつ愚痴をこぼしているが、まだまだ余裕がありそうだ。爆発的なスピードを出すためには全身の筋力に多大な負荷をかける必要がある。それを理解しているので、まだこれだけ余裕があることに御者の男は驚きを隠せない。


「……あなたは、やはり化け物でしたか。この年になっても、その背中すら見えない」

「何を言う。久々に本気を出せる相手に出会って嬉しく思うぞ。流石は、かつて私の背中を守ってくれた部下なだけはある」

「ううっ……お言葉に感謝します。カトラス将軍」

激痛に悶えるが、それでも憧れていた人からの称賛に嬉しくなる。こんな絶望的な状況でも。


「元将軍じゃ。それに今は爺と呼ばれておる。軽々しくその名を呼ぶでない」

「はい……申し訳ございません」

「では、息を整えよ。血を止める。それが終わったら、全て話せるな? かつての部下に非情なことはしたくない」

 しばらく沈黙が流れた。

 男は観念した。観念した理由は、拷問が怖かったからではない。逃げられな状況や、この地で受けた恩、それに相手がかつて尊敬していた男だったからという理由もあった。


「……全てを話します。どうか、どうか私の家族をお守りください」

「任せよ。楽になるが良い」

「感謝します。わたしの雇い人は、アンネ・サーペンティア。……その名を口にするのも恐ろしい方です」

「ほう」

爺はその名に覚えがあった。そして笑う。自らの主に好機が舞い込んだことを理解して。

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