第8話 ルルージュを名乗る女

 王都の一角で、乾いた破裂音が鳴り響いた。


 目の前で起きた暴力行為に、衆人の目が集まる。

「わたくしが買いたいと言ったのなら、黙って売りなさい。ほら、お金ならあるんですから」

「ですが、このネックレスは本日結婚される夫婦のものでして……」

「でもわたくしが気に入ってしまったのですから、仕方ないでしょう? この子も庶民の手に渡るより美しいこの体に寄り添いたいはずですわ」


 相手がだれか知っているため、宝石店の店主はそれ以上抵抗しなかった。幸いなのは、料金をしっかり支払ってくれたこと。

 王都では絶大な権力を持った一部の貴族たちが代金を踏み倒すこともあるのだ。不幸中の幸いとあきらめ、彼は一歩引いた。


「アンネ様。こんなにも早く目立つ行動を取られては困ります」

「あら? 別に目立っていませんわよ? ただ宝石を買っただけのこと」

「しかし、あれでは強奪に近しい。それに多くの民が見ておりました」

「関係ありませんわ」

 帰り際に従者に注意されるも、気にしない。ご機嫌に、ネックレスを眺めながらアンネは忠告を無視した。


 アンネ・サーペンティア。

 サーペンティア家の次女であり、その金髪は父譲りで太陽に照らされて美しく輝きを放つ。顔立ちはルルージュに非常に似ているが、おっとりとした美人であるルルージュとは対照的に少し釣り目で勝気な美人だ。二人は父こそ同じだが、母は違う。


「数か月前にあんな事件を起こしたというのに、これではあまりに軽率。正体がバレてしまったら……」

「バレませんわ。あの時、私は姉の名を名乗っていましたし、他の場でも名乗ることがありました。何より、あの女は家から出られなかったのだもの。顔も知られてないのだから、バレようがありませんわ」


 そう、これまでやってきた悪行の全てはルルージュの名を騙って行ったものだった。

 非常に賢いアンネは善悪の分別がつく。他の貴族とは違い、自分の手を汚したりはしない。

 それに、アンネの名よりもルルージュの名の方が重い。今は亡くなったが正妻の娘であるルルージュの名は貴族の世界において非常に通りが良いのだ。だから利用した。

 なるべく安全に、そして確実に自分の欲を満たす。それがアンネのやり方だ。


 事件以降しばらく謹慎していた反動で、先ほどトラブルを起こしたが、もっとうまくやれたと後悔する。

 暴力に走らなくても、権力で脅せばよかったのだ。


「はあ、わたくし久々の外出で少し愚鈍になってしまっていますわ」

「今後もくれぐれもトラブルの元は避けるようにお願い致します。ルルージュ様に背負わせた汚名がアンネ様のものだと判明したら、一巻の終わりですぞ」

「だーかーら。バレないっての。しかも、もう罰は受けたじゃない。王子と別れ、醜い辺境伯に嫁ぐことで。……ぷっ。おーほほほほほ。おーほほほほほ」

 心底愉快そうに笑うアンネの姿には、人の情が通っていないかのような不気味さがあった。


「私の罪は他の誰かがかぶればいいのよ。それがあの忌まわしきルルージュならなおのこと気分が良い」

「そういう発言はお控えくださいと」

「馬車の中で誰に聞かれるというのよ。あほらしい」

 過去の罪におびえる従者と、その罪を完全に擦り付けることに成功したと確信しているアンネ。

 気の強さと大胆さだけは一級品のアンネの口から、再び恐ろしい言葉が出る。


「街も飽きたことですし、そろそろ王子のところへ」

「は?」

「聞こえなかったのかしら?」

「いいえ、聞こえました。しかし」


 そう。二人は別れたはずだった。

 従者が知らない訳がない。ルルージュと王太子ママトマは公式に破局。二人が国庫から金をくすねていた件もルルージュに罪をなすりつけて、罪を逃れたはずだった。


「今会うのは非常に危険です。それも王太子とアンネ様は……」

「あら? あなたまだ分かっていないのね」

「と言いますと」

「金を盗んだことを咎めていた他の王子も貴族も、ルルージュとママトマが別れて、ルルージュを辺境に追放したことで丸く収まったじゃない」

「ええ、その通りです。だからこそ」

「アンネ・サーペンティア。わたくしは、アンネなのよ。馬鹿ね」

「ええ……?」

 次第に主の言いたいことを理解してきた従者。

 そういえば気にしていなかったが、アンネの化粧が大きく変わっていたことにこことでようやく目が言った。

 纏っている服の趣味も、身に着けた宝石もかつてのものとは大きく様変わりしている。


「まさか、全くの別人としてママトマ様に会いに行かれると!?」

「だからそういってるじゃない。追放されたのはルルージュであって、アンネではない。ふふふっ、そこが肝でしょ?」


 この女の度胸の大きさと一切悪びれもしない腹の黒さに従者が震える。まだ熱い季節だというのに、身震いまでしてしまった。

 絶対に墓場まで持って行かないと、自らの命を脅かしかねない情報に、従者は固く固く、今一度口を強く閉じた。


「……ルルージュ様は大丈夫でしょうか? 多くの恨みを買い、王都を追放されてしまって」

「別にあの女がどうなっても良くない? むしろ酷い目にあってた方が気分がいいわ」


 ころころと笑うその姿こそ美しいが、笑っている理由が酷すぎて従者はいっさい心躍らない。


「本当に、ルルージュは今頃どうなっているのかしらね。気になるわぁ。あの有名なぶ男である、クレン・フェーヴルに無茶苦茶にされているんじゃないかしら。ふふふっ、想像してごらんなさいよ。さぞ、愉快なことじゃない」

「……そうでしょうか」

「ええ、そうよ。生まれだけがあの女の取り柄なんですもの。精々辺境で変態領主の慰め者にされるのが相応しいわ」


 笑いながら、アンネが馬車の外に視線を向ける。そこには忙しく活動する王都民たちの姿があった。

 賑わう王都の城下町を走り去る豪華な馬車。そこにはかつてルルージュを名乗っていた女が乗り、彼女は再び陰謀を働いた王太子の元へと駆け戻って行く。

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