第7話 舐めんじゃないわよ

 思わぬ形で、ルルージュ・サーペンティを会談の場に召喚することとなった。


 私としては関わって欲しくなかったが、クロアンが予想の斜め上すぎる要求をしてきたので、断るという判断すらできなかった。

 あれよあれよと連れて来られたルルージュの手の平らの上には、皿に乗ったケーキがあった。


「ごっごめんなさい。ケーキが美味しくて、残すのがもったいなくて! 持ってきちゃいました」

 全員の視線が皿に向いていたからだろう。彼女の口らか事情を説明してくれた。

 ……また食っとる!


「……かわいいだえ! このおなごかわいいだえ! 欲しいだえ!」

 自身の要求を身振り手振りを加え、盛大に伝えてくるクロアン。

 ルルージュが困り顔で突っ立っている。いや、困っているのはこの場にいる全員か。クロアンを除いて。


 欲しいならくれてやる。しかし、王家から嫌がらせで押し付けられた毒美令嬢だ。既に正式に婚約が決まっている。貴族のしがらみが沢山ある中、独断で「はい、あげます」とはいかないのだ。


「クロアン殿、無茶な要求はおやめください。彼女の名を知っておいでですか?」

「知らないだえ! フェーヴル家の者だえ! お前が許可すればいいだけだえ!」

「では、彼女本人に名乗って貰うとしましょう」

 視線を向けて、ルルージュに名乗って貰うのと同時に、彼女の案をここで実行して貰う。


 皿に乗ったケーキは後で幾らでも食べさせるから、一旦預かっておく。


「この方はカスペチア伯爵家、クロアン殿。カスペチア家の当主である」

 ケーキを預かるついでに彼が誰で、この場がどういう場所か彼女に理解させる。

「えーと、ケーキ美味しかったです。ありがとうございます」

 ぺこりとお礼する。やはりご飯の礼が先なのか。


「私の名前は、ルルージュ・サーペンティア。サーペンティア伯爵家の長女にして、クレン・フェーヴルの婚約者であります」

「……は? サーペンティアえ?」

 しばらく時間をおいて、クロアンはようやく理解が追い付いた。

 先ほど青ざめた顔の色が浅瀬くらいの色なら、今は深海ほどに青ざめている。


「ふざけるなえ! そっそんなわけないえ!」


 ここでルルージュが思わぬ行動に出る。

 ドンと足を踏み鳴らしたと思えば、クロアンの前に歩み出て、胸ぐらを掴む。


「サーペンティア家と全面戦争するつもりですか! やってやってもいいんですよ! ええ!? フェーヴル家には恩がありますから!」

「こっこわいえ! 目がいってるえ! この女いらないえ! 怖いえ!」

 もがきあがいて、ルルージュから離れようとするクロアン。

 え? ルルージュどうした!?

 その迫力満点の様子に私まで困惑する。


「逃げるな! 売るの? 売らないの? サーペンティアと喧嘩する気持ちはあるのかって言っているのよ!」

「売るえ! 喧嘩は売らないけど、魔石は売るえ! 売るから放してえ! 本当に怖いえ!」

「あんたね! 当主ならもっとしっかりしなさい! 領民のことを考えて、自分をもっと律するの! そうじゃなきゃ、自分も領地も守れないんだから!」

「わかったえ! もうわかったから、許してえ!」

「……ふう。いいでしょう。舐めんじゃないわよ!」


 完全勝利、みたいな笑顔でグーサインを向けて来た。

 ルルージュはやり切った顔で嬉しそうに笑っているが、クロアンはワンワンと子供のように泣いている。

 ……なんだこれ。あまりにも予想外すぎる結末に、どうしていいか困る。フォローしなければ。


「……クロアン殿。今回の騒動を、我が領地は引きずるようなことは致しません。恨みは何も生みませんから。それと青玉鱗はここに置いていきます。我らの気持ちです。どうか、どうか魔石の件はお願い致します」

「うううっ、分かったえ。ちゃんと売るえ。サーペンティア怖いえ。もう帰って欲しいえ。出て行ってくれえ」

「口約束だけでも、ありがとうございます。では、いずれまたお会いしましょう、クロアン殿」


 おおよそ貴族の交渉とは思えない終始イレギュラーな場だったが、なんとか丸く収まった。これで本当にまた売ってくれれば良いのだが、少しだけ不安もある。だって、ルルージュがやりすぎたから。

 まさか、あんな交渉のやり方があろうとは。ドン引きだ。


 帰りの馬車、ご機嫌そうな表情のルルージュを、私は疲れた目で見つめていた。

 ますますわからん。あんな気持ちの良い大声を出せる女だったとは。王都の貴族の御令嬢、それとは真逆の姿だった。

 爺の言う通り、ルルージュのことは考えない方が良い気がしてきた。その方が精神衛生上よろしい。

 でも、彼女にこれは伝えておかなければ。


「今日は助かった。私……いや、フェーヴル伯爵家、そして領民を代表してそなたに礼を言いたい。交渉がまとまったのは、そなたの案と行動力のおかげだ」

 彼女は私に合わせて頭を下した。しばらく何も言わず、頬を赤く染めて、窓の外を見ていた。


「……私、あんな行動とったの初めてでした。初めてあんなに大きな声を出しました。ともて気持ちがいいです」

「かなりドスの効いた声だった」

「そんなことありません!」

ふんっ。少し笑ってしまった。


「どうかな? それよりも、そなたの実家に迷惑がかかってしまうことになるかもしれない」

「それは構いません。実家は……。あそこにはもう、私の大切な人はいませんので。使い倒せるうちに使っちゃいます」

 そういうと少しうつむいて、話を続けてくれた。


「実家にいるとき、世界が大嫌いでした。フェーヴル伯爵家に来た時、不安でいっぱいでした。でもあの夜、屋敷に来た夜、暖かいパンを食べて思ったんです。こんな美味しいものがあるなら、もっと生きてみてもいいかなって。私が生きるのをやめたら、幸せを願ってくれた亡き母に申し訳ないなって」

 こんなに自分のことを話す彼女は初めてかもしれない。

 聞き入ってしまい、話の先を待った。


「前を向くことにしました。だから、もう精一杯生きるって決めたんです。自分でもあんなことが出来たのが信じられません。ふふっ、私少し変われた気がします」

「……さっきも言ったが、あれで多くの民が助けられた。本当だ。心から感謝している。君が生きることを決めてくれたことで、多くの人が助かった」

「なら、生きて良かったです。私、まだ生きます。生きてみせます。この先、どんなに辛いことがあっても絶対に……!」


 窓の外に向けられた視線。風になびく彼女の髪の毛。力強い言葉。

 私の席から見える彼女の横顔。

 凛々しく、儚い。そして何より……美しいと思ってしまった。


「はっ!」


 いかん!

 これは罠だ!


 毒美令嬢恐るべし!

 こんなまやかしに騙されてはいかん!

 私には背負う領地と領民が! 私までクロアンみたいに愚か者になってしまったら、どれほどの民が路頭に迷ってしまうか! これは罠だ!


 頭を激しく振って、正気に戻そうとする。

 またあの女を見ると、どういう感情を抱いてしまうか怖くて、私は終始反対の窓から外の景色を眺めた。

 帰りの道は、行きよりも随分と長く感じてしまった。



 領地に戻り、三日目、朗報があった。

 涙を浮かべながら、部下が私の部屋に駆け込んでくる。


「クレン様……! ううっうう。交渉の場で激高した私のせいで破談になったらどうしようと思っておりました」

 話ながらボロボロと泣き始めてしまった。その反応だけで、おおよそ理解できた。


「魔石の流通が再開しました! 職人街に大量の魔石が。そして魔石の市場価格も以前と変わらないものです。市場は息を浮き返しました!」

「よしっ……!」

 拳を握りしめて、クロアン殿の決断に感謝する。愚か者と罵ってしまったが、最後には正しい判断をしてくれたようだ。

 これでフェーヴル伯爵領だけでなく、魔石を抱えたまま売れなかったカスペチア領の民も救われることだろう。


 皆が次々に市場の情報を持ってきてくれ、そのどれもがかつての状態に戻ったという良い情報だった。

 泣きながら喜ぶ部下たちと抱き合い、喜びを分かち合う。


 この日を境に、毒美令嬢ことルルージュ・サーペンティアを取り巻く環境が一転することとなる。


 私一人が忌み嫌っていても仕方がない。

 彼女は今やもう領地のヒーローである。


 部下たちにやめろと言っても陰で会いに行く者が続出するだろう。


 ルルージュ・サーペンティアの名は、領地を救った英雄として一気に民の間で知れ渡り始める。


 王都からやべー浪費癖のある婚約者が来たらしい。

 その評判が、王都からやべーくらい頭のいい婚約者が来たらしい。クレン様とルルージュ様の夫婦がいれば領地は100年安泰だ! という評判が出回り始めたのだ。



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