第2話 パンが相当うまいらしい

『毒美令嬢』こと、ルルージュ・サーペンティアが我が家に到着したとき、私は婚約者として出迎える立場にあった。


 気分は乗らないし、そんな義理立ててやることもないと思ったが、ほんの少しだけ情がわいたのだ。

 どんな事情があるにせよ、彼女も王家に駒として使われた一人なのだ。不満はあちらにもあるのだろう。


 どんな馬車で来るのか、そしてどれだけ大量の家財道具を引っ提げて我が家にやってくるのかと嫌なドキドキ感で彼女を待っていると、少し驚いた光景が目に飛び込んでくる。


 ボロボロの馬車には老人の御者が一人。護衛すら連れておらず、馬も年老いていた。王都で名を馳せる伯爵家の娘を嫁に出すというのに、待遇がこれではまるで……。


 御者から挨拶を受け、我が家の使用人たちが馬を預かる。長旅だ。特に老いた馬は丁寧に世話してやらねば、すぐに死んでしまう。

 御者にも休むように伝え、馬車から出てくるルルージュに手を貸すように使用人に命じた。


 そこで更に驚く。


 馬車から出て来たのは、噂通りの絶世の美女……しかし、やはり様子がおかしい。

 彼女はやせ細っており、髪は痛んで、身に着けている服装も伯爵令嬢のものとは思えない。おまけに荷物はカバン一つと来ている。


 昔、私が王都にお忍び旅行に行っていた際にももう少し荷物があったものだ。男の一人旅だし、荷物はほとんどいらない。それにバッグも服も彼女の物より上等だった。


 目を疑う光景に、何度か目を擦った。


 ルルージュは馬車から降りて、恭しくあいさつをする。しかし、あまり躾がなっていないのか、それとも緊張しているだけか、礼儀作法がところどころ間違っていた。


「これから……お世話になります。それであのー、クレン様はどちらにいらっしゃるのでしょうか。私の婚約者となる方に失礼の無いように、先に挨拶をしておきたいのですが」


 軽く挨拶を交わしたのだが、彼女は私の正体に気づかなかった。

 目の前の男こそ、クレン・フェーヴル伯爵家嫡男。次期領主にして、君の婚約者なんだがな。


 使用人たちがあわてて事実を伝えようとしたが、私が制した。


「若様は忙しい身だ。こんな場所には来られない」

「……そうです、よね。失礼なことを申しました」


 少し残念そうな面とほっとした感情、その表情からは両方が読み取れた。


 ここで思い出す。

 そういえば、父は情報操作に長けた人だ。

 山のように届いていた婚約願いがピタッと止まる程に。その恐ろしい噂はもしかして、今なお生きている?


 となると、私のひどい噂が彼女の耳に入っている可能性が大きいのか。

 ぶくぶく太っていて、女性に手をあげる卑劣漢……。おう。

 まあいい。どうせ毒美令嬢に私の本性を晒すつもりはない。彼女と私は政治的な理由で婚約したに過ぎないのだから。


「フェーヴル伯爵領は今でこそ魔石加工業で栄えている土地だが、もともとは気象条件も厳しく、接している隣国との揉め事やらで、生きるのに大変な土地だ」

「……はい。道中、御者を務めて下さったジャンさんに伺いました」

「……伺う? 婚約者の家に行くのだぞ。実家で資料なり目を通す時間くらいあったはずだ。怠慢にも程がある」

「すみません」

「くっ。とにかく、王都での振る舞いをこの地でやって貰われては困る。たとえ、若様の婚約者であろうともな!」

「……はい」


 説教をかまして、場の空気が最悪になる。

 そして、私が一番その罪悪感を感じている事実。


 なんなのだ、この違和感は。

 相手は毒美令嬢だぞ。いくら戒めても足りないような人物なのに、なぜ私がこんなにも心苦しい思いをするのだ。


 ……ぐぬぬ。

 なぜやせ細っている。なぜ髪が痛んでいる。なぜ服装が、なぜ荷物が……!


「食事は道中でとって来たのか?」

 気にかけてやる必要などないのに、つい変な気遣いが口をついた。


「……はい。お構いなく」

「では夕食時まで好きにしていてくれ。屋敷の者に案内させる故、自室にて自由に過ごされよ」

「御心遣いありがとうございます」

 彼女は深々と頭を下げて、使用人たちについて行った。


 最後まで拭えない違和感。

 あれが本当にかの有名な『毒美令嬢』だと?


 いいや、しかし情報は確かなのだ。

 ルルージュ・サーペンティア。彼女の名前を堂々と名乗って行われた非道の数々。容姿の特徴も一致している。彼女の身にまとう物や、やせ細った体だけが違うが。


「ふう」

 大きく深呼吸をした。

 あんな女のことで私が心を惑わされることはない。今晩は大事な会議があるのだから。


 今日は領地の魔石加工職人たちが立ち上げた協会にて、話し合いの場が設けられている。協会の代表は私なので、出席しないわけにはいかないだろう。

 議題は簡単に聞いているが、長引きそうな話だ。けれど問題はない。これまでにも多くの問題が起きていたが、全て乗り越えてきた。今回もなんとか行くだろう。


 協会本部は領主の館からは離れた場所に作っている。職人街の中心地に作り、職人たちがいつでも使えるように利便性を求めた。


 日が沈み、騒がしい職人外にも静けさが戻る。夜が来た。

 無骨だが、活気があって、気の良い男たちが今日も長宅を囲む。酒を飲んでいないのに、協会内部はそこらの酒屋よりも賑わっていた。


「みんな良く集まってくれた。今日も鍛冶場を見て来たが、相変わらずいい仕事をしてくれている」

「あったりめーよ! フェーヴル伯爵領の名にかけて下手な仕事なんてできねーべ! 俺の目の黒いうちはクレン様に下手な商品は見せねーと誓ってらあ!」

「馬鹿やろう! 最高の商品しか見せねーの間違いだろう」

「がはははっ、違いねえや」


 愉快な連中だ。

 私を慕ってくれているし、信頼も置ける。

 魔石加工業に着手できたのも、成功に導けたのも全部彼らあってのことだ。改めて感謝の気持ちが湧いてくる。

 故に、なんとしても今回の問題を解決せねば。


「早速だが、本日の議題に入ろう。魔石供給が減らされている件についてだ」

「……すんません、クレン様」

「君たちが謝ることじゃない。共に解決しようじゃないか。それよりも、詳細を」

「はい。では、あっしから」


 会議に集まる職人たちが、詳細情報を聞いて次第に気分が沈んでいく。

 皆市場から状況を肌では感じていたが、全体の情報を共有することでより一層危機感が募っていた。


 要は我が領地の発展を妬んだ他の領主たちが、一斉に魔石の供給量を減らして来たのだ。表向きにそんなことをすれば悪評が広まるので、鉱山で取れなかったとか冒険者が減っているなどの理由を付けて魔石の値段を大幅に釣り上げた。それも我が領地にだけ。


 加工の腕こそ素晴らしい職人たちだが、肝心の魔石が無くてはどうにもならない。我が領地の供給体制はまた整っていないのも苦しい。

 私は現状をしっかり把握し、努めて明るく声をかけた。


「みんな、大丈夫だ。こんな程度の苦労、今まで何度も乗り越えて来たじゃないか」

「……しかし、今回は貴族たちが関わって来て」

「あっはははは。こういうのは外交次第で何とでもなる。皆、魔石の在庫はまだあるな? 気にせず今の在庫分だけでも加工してくれ。この問題は私が一手に引き受けよう。後日、解決策を話し合うための場を設けてくる」

「クレン様……! すまねえ。肝心な時に俺たちはいっつもあんたに頼りっきりだ」

「構わないさ。私たちは運命共同体なのだから」

 領主というのは領民がいてようやく成り立つ。まさに一心同体。

 大きな問題だが、私が解決しなくてはならない。


 感動に涙してくれている彼らのためにも、再び魔石を供給してくれるように交渉しなくては。

 あまり遅くならないように、協会での話し合いを切り上げた。


 貴族たちとの話し合いか。最悪、我が家の家宝をいくつか手放してもいい。それとも強硬策に出来るか……。いろいろ考えているとすぐに屋敷にたどり着いた。疲れた体で屋敷に戻ると、玄関で爺に声をかけられる。

「クレン坊ちゃま、少しお時間を」

 爺は子供の頃から私の面倒を見てくれた親代わりだ。もっとも信頼できる人物で、私を未だに子ども扱いする厄介者でもある。


「どうした爺」

 私が疲れているのは承知のはず。それでも声をかけて来たというのだから、なにかあるのだろう。これ以上の問題ごとは頭が痛くなりそうだが、逃げる訳にもいくまい。


「ルルージュ様のことです」

「はあー」

 思わず額を抑える。一番聞きたくない話題だったからだ。さっそくか。来て早々トラブルがあったと思われる。はやいって!


「……給仕が食事を部屋に運び入れたところ」

「まずいと喚いて食べなかったのか?」

 王都の飯とここの飯ではさぞ差があったろう。高級魚の卵なんてここじゃ出ないぞ。


「いいえ。給仕の者が様子の静かなルルージュ様に違和感を覚えて、鍵穴から様子を盗み見たそうです。盗み見の件は私から罰を与えますが、ルルージュ様は……」

「なにがあった?」

「泣きながらパンを食べていた、と。スープも飲み干し、魚も骨までよく噛んで食べたのち、両手を合わせて感謝し、涙を漏らしたそうです。その様子があまりにも不自然で、自らの罰を恐れず私に知らせが来ました」

「……それはまた」

 奇怪な。

 一体彼女に何が起きている? 毒美令嬢、ルルージュ・サーペンティア。少しだけ興味が湧いて来たぞ。

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