氷の女神は動かない

ばち公

氷の女神は動かない

 氷の女神は、人間も動物もいない僻地に、たった一人で暮らしていた。

 淡雪の宝石で飾られた、青く凍てつく塔のてっぺんに籠り、周囲に影響を与えまいとして、春も夏も、それから秋が終わるまでは、静かに一人で暮らしていた。

 そんな氷の女神が、毎日何をしていたかというと、


「やばいくそ滾る」


 テレビアニメを観賞していた。


 今季は彼女にとって豊作だった。アニメの秋である。彼女の最も好む、美少年美青年が画面の中でキラキラ輝き、笑顔弾けさせてみせるアニメがいくつもあったためだ。今も計七本を喜々として追っている。


 さて、現在七本のアニメを必死になって追っている氷の女神には、特にどっぷり嵌って、というよりいっそ安らかに祈りながら沈みきっているアニメが一本あった。

 彼女はとにかく美形が好きだった。その中でも大人の余裕をうかがわせる、穏やかな微笑で周りを虜にするタイプの美形(髪が長めであればなおよい)が特に好きだった。

 そんなイケメンが――おまけに大人の狡さと器用さで周りを翻弄し、時に宥める素晴らしいタイプの美形が、メインキャラを張っているアニメである。

 2クールだった。

 つまり秋から冬まで、たっぷり24週続く。

 氷の女神は、このキャラクターが画面内に存在しているだけで、多幸感により死にそうになる。おまけにストーリーも面白く作画も抜群と言うことなし。彼らは春や夏の訪れよりも遥かに、氷の女神の心を幸福に、暖かくしてくれる。

 まさか目を離せるはずもなかった。



 妖精女王は困っていた。

 親友たる氷の女神が塔に籠り、冬が訪れるであろう時期になっても、その姿を見せないからだった。

 氷の女神が外にあらわれ、一息吹いてみせるのが、すなわち冬の訪れである。

 それから女神は各地をめぐり、冷気のもととなる白い光を世界中に落としていかなければならない。

 それがされていない現在はつまり、季節が正常に巡っていない状態で――『調停者』たる使命を持つ妖精女王としては、決して見過ごせない事態なのである。

 妖精女王は何度目か分からない溜息を吐いた。


 彼女はもちろん、その使命から世界への影響を深く心配していたが、なにより、親友に会えないことが辛かった。

 冬になったら彼女と久しぶりに歓談なんてしながら、美味しい|雪桃(ゆきもも)のゼリーでも頂こうか――なんて、勝手にワクワクしていたのに。

 なのに、氷の女神は、妖精女王の呼び掛けにもちっとも応えてくれないのである。

 返答も、いつもまったく短いのだった。


「女神、なぜ外に出ないのです? 何か理由があるのですか?」

「今季は目が離せないんだ」


「女神、そろそろ冬が恋しくありませんか?」

「来週の方が恋しいね」


 頑固なところのある氷の女神に配慮して、柔らかく下手に出ていた妖精女王だが、この愚にもつかないやり取りにはさすがに辟易とさせられた。

 いくら優しい妖精女王とはいえ、いい加減ないがしろにされた怒りだって湧いてくる。

 はあ、と溜息を吐いた。


「女神、我が儘はおやめになって。皆が困っているのですよ?」

「フン、普段散々冬に文句をつけておいて、全く都合のいい奴らだね」


 妖精女王は少しばかりドキリとさせられた。

 氷の女神に冬をもたらす役目を頼んだのは、何を隠そう妖精女王自身だった。


 妖精女王が声を上げて頼んでも、皆この役目を嫌がった。重要性なんて分かっても、誰だって冬をもたらす嫌われ者になんてなりたくない。

 しかし、まさか冬をこの世から消し去るわけにもいかない。

 ほとほと弱り果てた妖精女王は、友情をあてにして、親友たる氷の女神に頼み込んだのだった。

 氷の女神は、妖精女王が想像していたよりも、ずっと、あっさり頷いてくれた。


 嫌な感じに心臓が跳ねたのは、今さらとも言える罪悪感からだった。

 氷の女神の耳に飛び込む、あちこちからの冬への悪口については、ずっと前から気が付いていた。

 なんとかしなければいけない、とは思っていたものの、つい日々の業務にかまけてうまくフォローができなかった。彼女の顔を見にいくことさえ、なかなかできていなかった。

 お喋りだってお茶会だって、時間さえ作って彼女に会いにいけば、冬でなくてもできたというのに。


――親友だという割に、私は彼女について何を知っていたのだろう。私は、彼女に、いったい何ができるのだろう。


 妖精女王は、友情に甘えていた現実について、今さらになって考え込むのだった。



 ある日、やはり氷の女神は青の塔で、ぐうたらるんるん引きこもりライフを楽しんでいた。

 そしてそんな彼女の元を――嫌われ者の、冬をもたらす女神の元を訪ねてくるのなんて、妖精女王しかいないのだった。

 時に怒り、時に宥めすかして氷の女神を外へ連れ出そうとする彼女。いつだって、己の役目に従順だ。

 しかしその日、控えめに女神の部屋のドアをノックした妖精女王は、いつもと違った。


「女王――イベントがありますよ」


 女神に戦慄が走り、その美しいかんばせがあまり見られたものではない造形に変形した。

 女神にとってイベントと言ったら、もうあのイベントしかない。こんな文字通りひとっこひとりいないクソド田舎では決して開かれないだろう、あの夢の空間。


「待ってくれ私その情報知らないんだけど。ガセ? 嘘なら全力で闘争するが」

「私たちの闘争は洒落になりません。もちろんガセではありませんよ。内輪でこっそり開かれるのです」

「例の薄い御本が並ぶんだよなぁ?」

「ええ、もちろん。嘘だと思うのならご自由にどうぞ」


 短くそれだけを言い切って、妖精女王は去っていった。

 女神はそれから幾度となく大声を上げたが返答は無い。それ以上の情報も。


「財布を用意するかな……」




 氷の女神は、その日やっと外に出た。久方ぶりの空は秋らしく澄み、青々と高い。女神は眩い太陽に目を細めた。


 妖精女王が落としていった地図に従い、氷の女神はその場所へ向かった。

 丘を跳び越え、湖上をすべり渡り、骨のような木々をまたぎ、夢のイベント会場へ。


 やっと辿り着いた念願の地。

 そこにあったのはテーブルと、その上に控えめな塔をつくる薄い御本。

 そしてそこにちょこんと座るのが、相変わらず少女趣味に頭のてっぺんから爪先まで圧迫されているような格好をした、妖精女王である。――妖精女王、ただ一人である。

 氷の女神はさして驚いた様子もなく、腕組みをしたまま鼻を鳴らした。


「イベントね」

「イベントです」

「内輪の?」

「こっそりです」

「薄い御本ね」

「薄い御本です」

「一冊もらうわ」

「お買い上げありがとうございます」


 女神は、猫ちゃん財布から紙幣を取りだし、その本を買った。昔々、妖精女王がプレゼントした財布だった。


 女神はしげしげとその本の表紙を眺めた。作者は『妖精女王』。淡い色の表紙に、几帳面な性格が出たかのように美しい文字。

 どうやら全て手描きのようだった。

 氷の女神はその手間をかけた時間を想像しながら、その本をじっくり読み進めた。

 絵は子どもの落書きの方がまだ映えるんじゃないかというほどで、とてもじゃないが、批評できるレベルですらない。ストーリーはというと、喧嘩した友達二人が、プレゼントをきっかけに仲直りするという単純なものだ。

 しかし登場するキャラクター達の行動に、違和感はない。氷の女神一押しの美形の彼が、うまい具合に喧嘩した二人を諭す、彼らしいポジションなのもポイントが高い。


――アニメなんてろくに観たこともなかっただろうに、よく勉強したものである。しかしこうもこちらの趣味が筒抜けなのが、どうにも複雑な心境というか。なんというか。


 ふと女神が気付くと、妖精女王がまさに手に汗握らん、といった真剣な表情をしていたので、女神は思わず苦笑した。

 そういえば読者としてはまず、作者に感謝をしたいところであった。ただ一人の読者のためにこの本を作り出してくれた、ただ一人の作者たる親友に。


「悪くないわね」


 言うと、妖精女王はその顔をぱあっと輝かせて麗しい花笑みを浮かべる。

 氷の女神もそれにつられたように、女神という単語に相応しい美しい微笑を浮かべた。

 それから女神はふと思い出したように、女王から視線を逸らした。それから、わざとらしく咳払いを一度。


「――でも仲直りは、もっと単純でいいかもね。こんな風に贈り物を用意させるのはやり過ぎよ」

「そうでしょうか?」

「あんた馬鹿正直だから、楽な謝り方なんて知らないんでしょうけどね。こんなもん、ごめんって言っとけば、後は適当になんとかなるもんなのよ」


 妖精女王は、氷の女神に謝りたいこと、伝えたいことがたくさんあった。

 幼馴染だという情に甘えて頼りっているくせに、調停者だからといって、理解もしなけば相談にも乗らなかった。

 今までこんな自分を責めもせず、務めを果たしていてくれてありがとう。そして、強いと思い込んで、重荷を押し付けていてごめんなさい――。

 さらに今後の務めのことだとか、言いたいことはいくつもあったのだけれど。

 他でもない彼女が言うのなら、とりあえず今は飲み込んで。


「なんとかなるものでしょうか」

「そうよ」


 女神は頷く。今度は、二人の視線が外れることもない。


「ねえ」

「はい」


「ごめん」

「私こそ、ごめんなさい」


――そうして二人の間に雪解けが起きたその日、やっと世界に冬が訪れたということだ。

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