俺のサマーダッシュ

霜月れお

🐎


  俺は、新潟競馬場にいる。なお、自分の意志ではない。現実逃避のために深酒をしていたところ、早朝に叩き起こされた。しかも、アラサーの脂ギッシュな友人3人が乗っている車の後部座席に押し込められたのだ。不愉快だろ。

 正午を過ぎてもなお、二日酔いの重たい頭を持て余し、思わず観客席に座り込んだ。青空に浮かんだ真夏の太陽が、青々として整えられた芝生を照らし、その眩しさに俺は目を細める。顔の汗が顎をつたって、コンクリートの地面にポタリと水滴をつけた。いつからこんなに暑くなったのだろう。最近は仕事がノっていて、暑すぎる外気温も煮えたぎっている彼女の苛立ちなんか気にも留めなかった。青空に緑の芝生って合うんだな。再び顎から汗が落ちた。

「おい、和希。メインレースで気になる馬あるか? たまにはオレが買ったるわ」

 瑛士が丸めた競馬新聞を広げ、カタカナの名前が並び、小さな文字で敷き詰められている表を指さしている。

「競馬はしたことないし、俺のことは放っておいてくれたら、それでいい」

 思いの外、投げやりに答えてしまった自分に自分でも驚く。

「新潟の長い直線コースのアイビスサマーダッシュは、急にぽっと出の馬が勝つでさ。ささ、どれにする?」

 新聞の表に目を落とすが、馬の名前以外は何が書いてあるのか意味不明だ。瑛士に圧され、逃げ場のなくなった俺は、指を差し選ぶ。

「そこまで言うなら、この『トキメキ』ってやつ」

 昨日、煮えたぎった彼女から別れを告げられた自分への皮肉を込める。

「りょーかい。じゃぁ、11レースになったら前に行って、柵越しに一緒に見よな」

 そう言って瑛士は新聞を持った手を軽く振り、颯爽と人混みのなかに消えていった。


 10レースが終わったので、俺は瑛士に言われた通り最前列を目指し、人混みの中を進んだ。11レースが近づいてきたのに、あいつらどこ歩いてんだ。

 観客の人混みで身動きが取れなくなった俺は瑛士を探すことを諦め、立ち尽くす。同時に、大型スクリーンに映り込んだのは、白いダブルスーツ姿に白いカンカン帽子を被ったおじさんだった。おじさんが赤旗を揚げる。途端に、競馬場にトランペットやトロンボーンが鳴り響き、歓声とともにファンファーレが響いた。管楽器の残響が皮膚に刺さり、緊張感と静けさに包まれた。ゲートが開く。馬たちは一斉に走り出した。遠くから和太鼓のような不規則な脚音が、どこかリズムを保って近づいてきている。俺はレースを映し出している大型スクリーンを見ていた。おい、黒い帽子の馬、あんなに斜めに外側に走って大丈夫か?

 柵越しに見ている俺に向かって馬群が直線を走ってくる。脚音は、地響きに変わって俺の身体を震わせ、鼓動とともに血流が速まる。鳥肌が立つ、その一瞬。隆々と艶のある馬たちが、俺の目の前を、彼らは芝を蹴り上げ、音も無く、真っ直ぐに横切った。蹴り上げられた芝が宙を舞って、乾いた草と湿気った土の匂いを含んだ風がそよぐ。走り去った馬を追いかけた視線の先、大型スクリーンでは、黒い帽子の馬が前方の馬体の隙間を突く。あいつの名前は、何だ?

 不意に聞こえてきた競馬中継の実況が名前を告げる。オールアットワンスと呼ばれた馬は、新潟の長い直線の先だけを見据え突き進む。自分が選んだ馬の名前は思い出せない。そんなの、どうでもよかった。スクリーンには、ゴールまで先頭を駆け抜けていく様子が映し出される。何度も何度もオールアットワンスの名を叫び、終いには俺の声が割れた。新潟の直線は、本当に長い。

 どこまでも続く青空と深々とした深緑の芝。熱気に溢れる競馬場にいると、今年の夏もさらに気温と湿度は上がる予感がする。逃げ場のない真夏の直線を、俺は駆け抜けることができるだろうか。





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