第13話 その先へ

 扉の先は、ただただ真っ白な空間だった。

 前には白く大きなソファが向き合って二つあり、床には白い絨毯。天井からぶら下がったシャンデリアは透明で、光がかがやき降りかかる。右側の壁には四角く白い額縁が三枚並んでいて、額縁の中にあるのは白い絵なのか、もしくはそこにはなにもなくて、壁が覗いているだけなのか……。

 それ以外にはなにもなかった。

 床も壁も天井も、どこもかしこも白、白、白――。

「いらっしゃい」

「うわぁっ」

 急に声をかけられて、後ろに大きくのけぞった。

 さっきまでいなかったのに、いつの間にやら左にお姉さんが立っていたんだ。

 真っ白のワンピースにそのまた真っ白なヒール、スラリと伸びた肌は白すぎるくらい。でもおしりまで伸ばしたストレートの長い髪は真っ黒で、この空間の中では、その黒が浮いて見える。

 お姉さんはうっすらとほほえんでいて、切れ長でシュッとした顔はまるでヘビのよう。

「めずらしい、小さなお客さんが二人もいるのは初めてです。さぁ、お客さん、立っているのは疲れるでしょう。こちらのソファに座ってください」

 お姉さんが手のひらを向けた先は、あの真っ白なソファ。

 いまだに状況がよくわかんないんだけど……。

 うながされるままソファまで進むと、あゆみちゃんがぴったり後ろをついて来た。

 ソファは新品かと思うほどきれいで、傷ひとつついていない。

 そわそわとあゆみちゃんと並んで座ったら……。

 うわっ!ふっかふか!こんなソファ、初めて座ったかも。

「あの、今の扉が希望の扉でまちがいないですか」

 あゆみちゃんが、きちんと両手をひざの上に乗せて言った。

 あ、そうだ。ソファのふかふかさに感激してる場合じゃない。

「ええ。ここが希望の扉の先です」

 お姉さんが、ぼくらの前のソファに座りながら答える。

 そこで思い出した、初めてこのうわさを聞いたときにだいちの言っていた言葉。

 たしかあいつは、魔女が願いを叶えてくれるって言っていたっけ。

 ……じゃあこの人が?

「お姉さんが、魔女だってうわさがあったんですけど、ほんとですか?」

「魔女?」

 お姉さんはポカンとぼくの言葉をくり返すと、ふふっと切れ長の目をさらに細めて笑い始めた。

「面白いですね、わたしはそんなふうに言われてるんですか。……へぇ魔女、それもいいですね」

「え、じゃあ、魔女じゃ?」

「ないですね」

 なんだ、魔女じゃないんだ……ちょっと残念。

 バレないように心の中で落胆する。

 聞きたいことは山ほどあるけど、どれから聞けばいいかな。

 お姉さんを見ていた目を逸らして、改めて周りを見渡した。

 どこもかしこも白でまぶしくて、目がチカチカする。

 希望の扉の先がこんな空間だなんて、誰が想像できただろう。

「……ここは希望の扉の中で、希望の扉には、『どんなことにもチャレンジする、ゆうかんな者』にしか入れないって、これは合ってますか?」

 気になっていたことを口に出す。

 ぼくらはそのうわさを信じてここまで来たんだ。扉が現れたということは、ぼくらは『ゆうかんな者』になれたということなんだろうか?

「ゆうかんな者?……うーん……まちがってはいませんね」

 ちがうんだ……。

 結局、ぼくらが聞いたうわさは、ねじ曲げられたものだったの?

 するとお姉さん、コホンとわざとらしくせきばらいをして、人差し指を立てた。

「ここはですね、『自分自身と向き合い、人と向き合う心を持った、やさしい者』にしか入れないんです。そして、扉が人を選ぶ」

 ぜんぜん『ゆうかんな者』じゃない!

 まるっきりちがう話にがくぜんとした。

 お姉さんは人差し指をゆっくり下ろすと、ぼくとあゆみちゃんを交互に見た。そしてにこっと子どもっぽく笑ってみせる。

「わたしはひとつ、願いを叶えてあげられます。お願いはありますか?」

 たったひとつの願い……これは正しいうわさなんだ。

 そろりとあゆみちゃんを見ると……目が合った。

「はじめくんのお願いで、いいよ」

 あゆみちゃんは笑顔でぼくにつぶやく。

「あゆみちゃん……」

 足元に視線を移して、こぶしを握りしめた。

 ……もう決まっている。

 強く目をつむると、深く息を吸って、お姉さんを見た。

「ぼくは……ぼくの願いは……あゆみちゃんの腕のケガを、痕にも残らずに、治してほしい……ことです」

「えっ」

 あゆみちゃんがおどろいてぼくを見たのがわかる。

「なんでっ……はじめくん、あたしのことはいいんだよ。自分のお願いをしなよ!もったいないよ……」

 今、あゆみちゃんがどんな顔をしているのかはわからない。

 ぼくの服を引っ張って、必死にうったえかけている。

 それでも……。

「あゆみちゃん、ほんとはピアノのコンクールを受けられなくて、すごくしんどいって、くやしいって感じてるでしょ」

 あゆみちゃんはなにも言わないけど、ぼくの服を掴む力が弱くなっていくのを感じた。

「これがぼくの願いなんだよ。あゆみちゃんにピアノを弾いてほしい。今までがんばってきた努力を、無駄にしてほしくない!」

 お姉さんに向けていた顔をやっと逸らして、あゆみちゃんを見た。

 あゆみちゃんは眉を八の字にして、口を強く結んでいる。

「……願いは決まったみたいですね」

 ぼくらをじっくり見つめていたお姉さんが、すっと立ち上がった。

「さぁ、扉を開けて外に出てください。外に出たらもう、あなたの願いは叶っているはずです」

 お姉さんはその長い黒髪を後ろに払うと、扉を指差す。

 ぼくは立ち上がり、さっき入って来た、その真っ白な扉の前に立った。少し遅れてあゆみちゃんもとなりに立つ。

 心の中はすっきりとしていて、自分の言った言葉に後悔なんてなかった。

 金色のノブに手を触れる。

 すると、あゆみちゃんがぼくの服の裾をそっと掴んで言った。

「はじめくん、ありがとう」

 ぼくは笑顔でこたえた。

 そしてゆっくりと、扉を開いた――……。

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