第9話 あゆみちゃん
あれから三日たった。
その間、なわとびをしてみたり、習字に挑戦してみたり……放課後時間があれば、扉を探しに街へ出かける。
あゆみちゃんが「扉が現れるのは商店街に限らないかも」という言葉もあって、帰り道を逸れていたるところに足を運んでみる。
……そういえば、クラスで扉のうわさを聞くことはあまりなくなった。うわさなんていつもこんなもので、みんなすぐに興味をなくしちゃう。
ぼくはあゆみちゃんと両想いになる願いをあきらめきれずに、今もまだ扉を探している。
それをきっかけに、こうやってあゆみちゃんといられる時間が増えた。それだけで幸せで、あともうちょっとこの時間が続けばなぁなんて思ったときもあった。
でも願いが叶えば、もっと一緒にいられるはずだし……。
こんなにがんばっているはずなのに、扉はぼくらの前に現れない。なにがいけないのかなんてわからないし、そもそもこのうわさがまちがいだなんて……今さら思いたくない。
努力に対する結果が現れなくて、ぼくはとてもあせっていた。
扉はもう見つからないんじゃないかって、不安ばかりが積もっていって……。
「ハァ……」
国語の授業が終わって、十分休憩。
廊下を走り回っている子たちや、教室の中をわいわいさわいでいる声を後ろに、黒板一面に書かれたチョークの文字を黒板消しでまっさらにしていく。
今日はぼくが日直だから、これは仕事のひとつなんだ。
「大きいため息だなぁ」
のっそりとした声が聞こえた。
見ると、教室の扉の前にだいちが立っていて。
今入って来たのか、扉をガラガラと閉めると、もう一個の黒板消しを持って手伝ってくれる。
「ありがと」
「ん……はじめさ、元気なくない?朝からため息ばっかついてる」
「え、マジ……?」
ぜんぜん気づかなかった。
ぼくはちっこいから、高いところにある文字はだいちが消してくれた。
すべての文字をきれいさっぱり消し去ると、二人息ピッタリに手をぱんぱんとたたいてチョークの粉を落とす。
「元気ないのってあれ?もしかして、今日の給食がはじめの嫌いなピーマンの炒めものだから?」
「え、うそ!」
「ほんと。見てみろよ」
ニヤリと笑って、黒板のとなりの掲示板スペースを指差す。
そこにはいろんなお知らせの紙と一緒に、給食のこんだて表も画鋲で貼られているんだ。
こんだて表を今日の日付まで指で追うと……ほんとだ、ピーマンの炒めものって書いてる……。
ピーマンの味を嫌でも想像して、苦い顔をした。
いやでも、これを食べ切ることもひとつの挑戦……これはあきらめてるんじゃない、受け入れてるんだ……。
「ん?」
そこでふと、こんだて表のとなりにある、お知らせのプリントが目に入った。
なにげなく読んでみる。
……なになに?
《七月十三日 土曜日 十三時から十四時まで
見晴らし公園でゴミ拾いのボランティアを、先生や保護者の方と一緒にしませんか?
持ち物 水筒
雨天中止
参加したいなと思った方は、十一日 木曜日までに、担任の先生に伝えてください。
ごほうびにジュースあります!》
じーっとそのプリントを見ていると、視線の先に気づいただいちが、あ、と声を上げた。
「ゴミ拾いボランティア、毎年やってるやつだな。朝の会に先生が言ってたじゃん。……え、もしかして聞いてなかった?」
「うん……」
横でなんか言ってるだいちに生返事で返す。
ボランティア……これだ!
「ありがとだいち!」
「え、うん?」
棒立ちのだいちをその場に置いて、今日もいつものように机で本を読んでいる、あゆみちゃんの元へダッシュ。
「ボランティア?あぁ、朝の会で先生が言ってた……」
「そう!これ、参加したらチャレンジャーじゃない?」
「へぇ……たしかに。いいね、参加しよう」
あゆみちゃんは迷うことなく返事をすると、手でオッケーのサインを作る。
「よし、じゃあ先生に言わなきゃ!」
そのあとは先生に参加したいと二人で話しに行き、今週の土曜日、ゴミ拾いをすることに決まったのだ。
*
土曜日のお昼、空はどんより曇っている。
天気予報を見ても、お昼ごろの降水確率は三十パーセントで、夕方くらいからあやしくなるらしい。
朝、学校から来たメールには「予定通り行います」と書いていたってお父さんは言ったから、大丈夫だとは思うけど……。
一応、手提げカバンに青い折りたたみ傘を入れて、水筒を肩から下げる。
「行ってきまぁす」
見晴らし公園は、カバ公園よりもはるかに大きい。
大きな遊具はもちろん、ちょっとした展望台もあって、ハスの池や桜にあじさい、季節によって花が色とりどり咲きほこる。ちょっとした植物園のようだった。
去年家族三人で行ったときの記憶を思い出しながら、急ぎ足で横断歩道を渡り、商店街を抜ける。階段を上がって車通りの少ない道に入り、坂道を登って、木が両側に立ち並ぶ道を進むと……ようやく看板が見えてきた。
《見晴らし公園》
駐輪場や駐車場を抜けた先、ちょっとした花が植えられた入り口には、やっぱりぼくよりも着くのが早いあの子。
黒い短パン、肩にかけた水色の手提げカバン、白いシャツの胸元にある、ふわりと赤いリボンが目立つ。
その子は地面に降り立った二羽のハトを、ぼんやりとした目で追っている。
「あゆみちゃん、お待たせ」
「待ってないよ。ちょっと早いけど、もう行こっか」
「そ、そうだね……」
今日こそは先に着こうと急いで来たから、ゼエゼエと息が荒い。
新鮮な空気を肺いっぱいに吸いこんで、息を整えてから、集合場所に向かう。
「あゆみちゃん、折りたたみ傘持って来た?」
「一応ね」
参加した人はまぁまぁいて、家族で来た人がほとんどだ。
公園にも今日は曇り空だというのに、家族で遊びに来ている人がそれなりにいて、少し意外だった。
ぼくは先生から軍手と大きなゴミ袋、ほうきをもらって、一時間後に集合ということで、そうじが開始された。
「前川と清水はあっち……温室前の小道をたのむな。近くに先生が立ってると思うから、最後、ゴミやほうきはその先生に渡して」
「はぁい」
言われてその場所に進む。
道は落ち葉でいっぱいで、たしかにこれはそうじが必要だ……。
あゆみちゃんがトングを使って大きなゴミを拾っているそばで、ひたすらほうきを動かして落ち葉を集める。
そうじは苦手なんだけど、好きな子が近くにいるから、けっこうがんばれる。
ちらりとあゆみちゃんを見ると、あんまり腕は動いていない様子。そればっかりか、ぼーっと突っ立って、ほかの参加者を見つめている。
ぼんやりとしているけど、まとっている空気はピリピリしてる感じがなんとなくして。
なんだか、話しかけられる雰囲気じゃないかも……。
ぼくはだまってそうじだけに集中することにした。
二十分ほどたって、ゴミ袋は落ち葉でパンパンになった。
「ふぅ……」
これはなかなか達成感がある。
おじいちゃんみたいに腰を伸ばすと、満足感に満ちた心でゴミ袋を見つめる。
さて、あゆみちゃんはどんな感じかな?
そう思ってあゆみちゃんの姿を探すと、いた。
クヌギの木の下で、またぼんやりとした眼差しでたたずんでいる。
手に持ったゴミ袋には、まるでゴミがたまっていない。
……どうしたんだろう。さっきから明らかに様子がおかしい。鈍感なぼくでもわかる。
「あゆみちゃん?」
そろりと近づいて、話しかけてみる。
「……」
言葉を返してくれない。
こういうときはそっとしておくのが一番だって、だいちがそんなことを言ってた気がするな……。
そっとしておこう。
ぼくは引き返して、またそうじに取りかかろうと、木に立てかけていたほうきに手を伸ばした……。
「はじめくん」
風にさらわれてしまいそうな、小さな声で呼ばれた。
振り向くと、あゆみちゃんが暗い顔をしてうつむいている。
「ごめんね、あたし、もう帰るね。はじめくんはなにも悪くないから」
ごめんね、と再びそう言って、トングも放り出して去って行く。
「えっ、あゆみちゃん?」
呼びかけても足を止めてくれない。
ぼくの言葉なんて、まるで届いていないみたいだ。
ど、どうしよう、追いかけなきゃ。とりあえず先生に……。
きょろきょろとあたりを見回すと、温室のそばに担任の先生がいるのを見つけた。
「あ!先生!」
ぼくはゴミ袋とほうきに、あゆみちゃんの残していったトングを持って走る。
「あ、あゆみちゃんの体調が悪いみたいだから、家まで送ります……トングとか、ゴミとか、お願いします」
「お、おぉ、わかった、気をつけろよ」
ゼエゼエと荒い息でほとんど早口に説明したからか、先生はびっくりした顔で頷く。
そして急いであゆみちゃんの後を追った。
そっとしておいた方がいいのかもしれない。でもあの様子じゃ、それはダメだと思った。
だって、いつもの落ち着いたあゆみちゃんじゃないから。肩をすぼめて歩く姿は、とてもさみしそうに見えたから……。
全力で走って、やっとあゆみちゃんに追いついた。……だけど、なんて声をかけたらいいんだろう?どの言葉が正解なんだろう?
ほんの一メートル先にあゆみちゃんの背中はあるのに、この距離を縮められない。
どうしようか迷いながらついて行くと、あゆみちゃんは公園を出てやっと足を止めた。
「……そうじが嫌だったとかじゃないの。ごめん」
か細い声でまた謝ってしまう。
このままじゃ帰っちゃうよ、ひとりで帰らせるのは、よくない気がする。
ぼくはなんとか引き止められないかと、視線をきょろきょろと漂わせた。すると、短い階段を降りた先。右側のすみっこに、クモの巣が張った青い自動販売機と、古ぼけた水色のベンチがあることに気づいた。
「あゆみちゃん、あそこでちょっとひと休みしよ?この間のお茶のお礼に、ジュースおごるから!」
ベンチを指差しながら必死に誘うけど、あゆみちゃんはちらりともぼくを見ない。
あいかわらず誘うのがヘタだったかと頭を抱えそうになったとき、あゆみちゃんはすっとベンチの方に歩み出した。
そしてちょこんと座ると、またうつむいてしまう。
「あゆみちゃん、なに飲む?」
精一杯のおだやかさで問いかけた。
「……リンゴジュース」
多めにお金を入れて、リンゴジュースと自分用のコーラを押した。
「どうぞ」
「ありがとう」
差し出したリンゴジュースを受け取ると、キャップを開けてひと口飲む。でもだまりこくったまま、ぴくりともしない。
どうしたらいいんだろう……。
よくわからないけど、とりあえず横に座る。
ぼくもコーラをひと口飲んでみたけど、あんまり飲んだ感じがしなかった。
あゆみちゃんが落ち着くまで、地面の小石を数えたり、空を見てみたりした。
灰色の雲はすっかり太陽を覆いつくしてしまい、今にも雨が降り出しそう。空気はひんやりと冷たくて、なんでこんなときに晴れてないんだよ!と見えない太陽をにらみつけた。
……どれくらい時間が過ぎたかな。きっと、十五分とかそれくらいなんだろうけど、ぼくにはとてつもなく長い時間がたっている気がして。
見晴らし公園の入り口から、家族連れがぞろぞろと出てきた。
この空じゃ、もうすぐ雨が降ると思ったんだろうな。
ぼくたちも帰るべきかな……でもあゆみちゃん、いまだに動かないし。うーん……。
話しかけるべきかどうか頭を悩ませていると、少しあゆみちゃんが顔を上げた。
その顔はとても悲しい顔をしていて、瞳は今にも泣き出しそうにうるんでる。
今まで見たことのないその顔に、ぼくは言葉を失った。
「……はじめくん、ありがとう。気を遣ってくれてたんだよね。もう大丈夫」
少しかすれた小さな声でつぶやいた。
「そっか、よかった」
……なんて言ったけど、あゆみちゃんぜんぜん大丈夫そうじゃないよ?無理してるんじゃない?
あんまりぐいぐい聞くべきじゃないと思って、取りつくろって言っちゃった。
「……」
「……」
そしてあたりはまたしんと静まり返って。
なんだか気まずい空気に、勇気を出して帰ろっかと言おうとした、そのとき。
「はじめくん、あたしの話、してもいい?」
あゆみちゃんが唐突に切り出したのだ。
うつむいていた顔を、さらにうつむかせて。
「い、いいよ」
緊張して声が少しうわずった。ぼくが緊張する必要なんてないのに。
あゆみちゃんは少しためらうように何度も瞬きしたかと思えば、ゆっくりと口を開いて……。
「……あたしの親……お父さんとお母さん。すごく仲がいいの。にこにこしててやさしくて、いろんなところへ連れてってくれる。でもあるときね、夜、トイレに行こうと目を覚まして、部屋を開けたら……そのとき聞こえたの。二人とも、今まで聞いたことないくらい声を荒らげて、言い争ってる声が……」
あゆみちゃんのお母さん。一度お茶をもらってあいさつした、あのやさしそうな人が……?
声を荒らげている姿を想像できない。
「それからときどき、ケンカしてる声を聞くことが増えた。あたしがいたら、二人ともいつもみたいにやさしいの。でもあたしがいなかったら……」
怖かったんだろうな……。
あゆみちゃんの声はわずかに震えていて、今にも消え入りそうだった。
「あたし、知らなかった。仲のいい家族だと思ってた。でも、裏ではあんなにケンカしてるなんて知っちゃってからは、どうにかしなきゃと思ったの。そのときに扉のうわさを聞いた」
……そうか。
そこでぼくははっとする。
今までわからずにいたあゆみちゃんの願い。じゃあ、それは――……。
「お父さんとお母さんが、仲良くなってほしい。それがあたしのお願いしたかったこと」
あぁ、やっぱり……。
あゆみちゃんの抱えていたもの。
それはずっと大きく黒く、のしかかるものだった。
ぼくまであゆみちゃんと同じようにうつむいてしまう。
「でも……でもね、そんな願いはいけないんじゃないかって最近、思うようにもなったの」
「えっ?」
ぼくはつい、あゆみちゃんを見た。でもあゆみちゃんはぼくを見ようとはしなくて。
「なんで……?」
「……人の心を、別の誰かが勝手に変えちゃいけないと思ったから。たとえどんなことでも、その人にはその人の考えがある。お父さんとお母さんがケンカする理由を、あたしは知らない。知らないのに、あたしがねじ曲げちゃいけないって思った。願いをもし叶えたとしても、あるはずのなかった笑顔を見て、あたしはきっと後悔する」
人の心……。
その言葉に、ぼくの胸がズキンと痛んだ。
無意識に胸を抑える。
「それにね」
そこで初めて、あゆみちゃんが少しほほえんだ。あきらめたような笑顔じゃなく、ただ純粋な笑顔で。
「二人とも、あたしがピアノを弾くと、すごくうれしそうな顔をするんだ。それがどんなにヘタでもね。……その顔をもっと見たいから、あさってのピアノのコンクール、がんばるんだ。でも、それでいいと思う」
目をつむると、少し悲しさをふくんだ笑みで空を仰ぐ。
「あ、無理してるとかじゃないよ、ぜんぜん」
わずかにこちらを向いて、顔の前で手を振った。
さっきまでの沈んだ表情はほとんど消え去り、ほんとに無理をしていないということがわかる。
そして前を向き直すと、ほほえみを絶やさずに続けた。
「二人はケンカしてることを、あたしには知られたくないんだと思う。それをわかってたから、あたしも実は聞いちゃったんだよなんて、言えなかった。でも、知らんぷりはもうやめる。はじめくんを見てて思ったんだ」
ぼく……?
急にぼくの名前が飛び出して来て、よくわからない。
「ぼく、なんかしたかな……」
「何事にも真剣に、向き合う大切さだよ。あたしも見習いたい。だから、ちゃんと話す。魔法みたいな力じゃなくて、話し合って、仲直りしてほしいよ」
小さくてか細い声じゃない、はっきりとした意志のある声だった。
あゆみちゃんは、もう心に決めてるんだ。
「だから、お願いはしない。それよりも、あたし、はじめくんのお願いが叶ってほしいな」
「えっ……な、なんで?」
またしても思いもしなかった言葉におどろいて、あたふたと視線が泳ぐ。
あゆみちゃんはぼくを見ると、にっこり笑った。
「覚えてるでしょ?去年の冬にあった、作文発表会。それの何日も前にね、あたし、放課後教室に忘れ物をしちゃって、取りに戻ったんだ。もう閉まってるだろうなって半分あきらめてたけど、誰かが話してるのが、廊下からでも少し聞こえてきたの」
作文発表会。ひとりひとりが自分の得意なことや趣味、大切にしていることなどをスピーチする授業。……だった気がする。
「ちょっと扉を開けて、中を覗いてみたら、先生とはじめくんだった。話してる内容は、どうやらその作文発表会のことみたいで。はじめくんは、先生に自分の作文のどこがいけないのか聞いて、何度も何度も書き直してた」
言われてその日のことを思い出す。あゆみちゃんが教室に入って来て、会えてラッキーって思ったっけ……。
「そのとき思ったの。あ、この子、陰で人一倍努力する子なんだって」
心臓を掴まれたような衝撃だった。
誰かにそんなことを言われたことなんて、なかった。
こんなにも近くで見てくれていた子がいたなんて、うれしくて、悲しくなった。
だってぼくは……。
「それにね、ここずっと、そばで見てたもん。あんなに必死に努力することは、あたしにはできないと思うから」
―ポツリ
そのとき、ぼくの頬に水がついた。
あゆみちゃんがびっくりした顔で空を見上げる。
雨だ。
「帰ろっか」
ポツリポツリと降り始めた雨の中、あゆみちゃんはすっと立ち上がり、やさしい顔でぼくを見た。
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