第8話 その名は
月曜日の放課後、ぼくらはまたカバ公園にいた。
空はあいかわらずの晴れ模様だけど、昨日ほど日差しは強くない。
カバ公園にはブランコ一帯を独占してる、学生服に身を包んだお兄さんお姉さんたちや、鬼ごっこをしてるぼくらよりも小さな男の子たち、なぜかひとりで木登りしてる子、入り口の木陰のベンチに腰かけたおじいちゃんなどなど……。
人が思ったよりも多くてガヤガヤしている。
熱中症対策に水筒もしっかり忘れず肩から下げ、百円ショップで急いで買った黄色の虫とりあみを片手に、ぼくは訪れていた。
かたわらにはもちろん、あゆみちゃんも。
「はじめくん、今日は虫?」
すっぽり被っている白いキャップのつばを上げて、ぼくの虫とりあみを見る。
「うん。昨日ね……草引っこ抜いたときに思ったんだ。あ、ぼく虫触れなかったわって」
「そっか……」
なんだかあゆみちゃん、今笑いをふくんでいた気が。やっぱりダサい?虫触れないの。
「いや、そんな大まじめに言わなくてもって思っただけ」
ぼくの疑いの視線に気づいたのか、あゆみちゃんがごまかすように付け足す。
「ほら、早く虫探そう」
そんなわけで、ぼくらは草むらに足を踏み入れた。
まぁ、虫なんて探さなくてもそこらじゅうにいるから、すぐに見つけられる。
公園の入り口の方が草はいっぱいだな……草が多ければ多いほど、虫はいるよね。
ぼくはその公園の入り口に進む。
そこはちょうど大きなクスノキの木の下になっていて、暑い日差しは届かず、ひんやりすずしい。
あ、いた。
草の先っちょにくっついているショウリョウバッタを見つけると、屈んで、こっそりと近づく。
両手で持った虫とりあみを伸ばして、じりじりと……。
ショウリョウバッタのその目が、足が、キリキリと動いた。
うぅ、やっぱ無理!
全身に鳥肌が立って、伸ばしていたあみを引っ込める。
虫が悪いわけじゃない、虫が悪いわけじゃない、虫が悪いわけじゃない……。
そんなことを何度もくり返してみるけど、けど!
「はじめくん」
あゆみちゃんが後ろから、ぼくの目の前に両手をすっと出し、囲んでいた手を離した。すると、中から三匹のショウリョウバッタが、外の自然求めて飛び出す。
「うわっ!」
ぼくは立ち上がると、大きく後ずさった。
あゆみちゃんはそんなぼくの様子を見て、くすくす笑っている。
あ、笑ってる。かわいい……じゃなくて!
「あゆみちゃん!」
「ごめん、ごめん。もうしないよ」
ふぅ、と息を整えると、くるりときびすを返して日の下へ歩いて行った。
くっ、あゆみちゃん、虫まで平気だなんて。男としてくやしい……。
しっかりしなきゃ!
ぼくは強く虫とりあみを持ち直すと、近くに見つけたカマキリへねらいを定め、あみを伸ばす。
じっと見るからいけないんだ、薄目で見るのがいいかもしれない。
ゆっくりゆっくり近づいて……今だ!
バンッとあみを勢いよく振り下ろした。
やった!つかまえた!
ぼくは満面の笑みで、あみの中にいるカマキリを薄目で見つめた。でも……。
あれ?で、どうするの?ここからどうすればいいの⁇
ぼくの頭の中ははてなマークに埋めつくされて、身動きが取れず。
虫とり経験ゼロのぼくには、ここからの行動がわからない……。
「はじめくん、なにかつかまえた?」
右を向いたら、あゆみちゃんが木の影からひょっこり顔を覗かせる。そしてなにかつかまえたらしく、胸の前で両手を包み込むようにして、スタスタ歩いてきた。
困った顔で固まっているぼくを、きょとんとした顔で見ると、虫とりあみの中を覗き込む。
「カマキリかぁ。ちょっと難易度高いんじゃない?」
うっ、カマキリは初心者向けじゃないんだ……。
あみでつかまえても中に手を突っ込む勇気がない。
完敗だ、とガックリと肩を落とした。
あゆみちゃんはというと、その囲んだ両手をじっと見つめて。
「……はじめくん。手、出して」
「え、まさか、その手の中のモノをですか?」
おどおどとつい敬語で言っちゃった。
「大丈夫。怖くないから、ちょっとだけ」
ずいっと顔を近づける。
あゆみちゃんの真剣そうな目は、しっかりとぼくを見ていて。
うぅ、ぼく、その目に弱いんだよなぁ……。
虫とりあみを手から落とすと、恐る恐る両手を器のような形にして差し出した。
いよいよ開かれたあゆみちゃんの手の中は、やっぱり薄目で見れるくらい。
あゆみちゃんのその人差し指は、そっとぼくの手に触れて。
丸くて赤い体に、黒の水玉模様。
その小さな虫は、とことことぼくの手のひらに渡って来た。
「てんとう虫だ……」
最初は薄目だったけど、今はもう完全にてんとう虫を目で追っていた。
「それも、ナナホシテントウだよ。いいことあるかもね」
やさしい声音であゆみちゃんが言う。
するとナナホシテントウは、羽を広げて空に向かい飛んでいった。
だまって、二人でその様子を見つめる。
「触れた……一瞬だったけど。でも、初めてだ……」
「虫もかわいいでしょ」
虫がかわいいかどうかはわかんないけど……てんとう虫は、かわいかったかな。
「ありがとうあゆみちゃん」
「どういたしまして。ちょっと進歩したみたいでよかった」
気づかれないように、ちらりとその横顔を見ると、わずかにほほえんでいた。
またあゆみちゃんに助けられた。
ぼくができないことすべてを、いとも簡単にこなしてしまうこの子には、できないことなんてないんじゃないかと思う。
そんなあゆみちゃんの、叶えたい願いっていったいなんなんだろう?
そうぼんやりと思うけど、答えなんてもちろんわからない。
「おや?きみたち昨日もたしか、そこで絵を描いていたような……」
ふいに後ろから声が飛んできた。
反射的に振り返ると、すぐ後ろの木のベンチに、杖を持ったおじいちゃんが座っている。
そのおじいちゃんはぼくの顔をじっと見つめ、首を傾げると、んん?、とうなった。
あれ?どっかで見たことある気が……。
「おぉ、よく見たら前川さん家のはじめくんじゃないかい?見ない間に大きくなってなぁ」
そう言って、おじいちゃんは丸メガネの奥でつぶらな瞳を大きく見開いた。
その顔に、記憶の中でキランと光るものを見つけて。
「……もしかして、木村のおじいちゃん?」
おじいちゃんはフォッフォと、まるでマンガに出てくるおじいさんのような笑い方で、顔をほころばせた。
「そうだよ。なつかしいねぇ」
「わぁ、ひさしぶり!」
「だれ?」
ぼくの手首を掴んであゆみちゃんが言う。
「前まで近所に住んでたおじいちゃんで、よく遊んでもらってたんだ。大丈夫だよ」
ぼくは木村のおじいちゃんの前まで駆け寄ると、あゆみちゃんも後ろについて来た。
「おじいちゃん、こっち、友だちのあゆみちゃん」
手を向けてあゆみちゃんを紹介すると、ぼくの後ろにすっと隠れる。
ん?と思いきや、後ろからひょっこり顔を覗かせて、ペコリと頭を下げた。
あゆみちゃんは意外と人見知りみたいだ。
「ほう。昨日もいとった子だな」
「そうだよ。おじいちゃん、元気にしてた?ぼくは元気だよ」
「それはなにより。わしもまだまだ元気だよ。毎日こうして散歩に来るのさ」
「よかった!おじいちゃん、ぜんぜん変わってないね」
真っ白な髪も、丸いお顔も、つぶらな瞳も、前に見たときと変わらない。
「今日は虫とりかい?」
「うん、ぼく虫触れるようになりたいから……さっきちょっと触れたんだ」
すると、おじいちゃんはまたフォッフォと笑った。
「そうかい、そうかい。挑戦するのはいいことだねぇ」
挑戦!
その言葉に思わず反応する。
「ほんと?ねぇおじいちゃん、ぼくチャレンジャーに見える?」
「チャレンジャー?」
おじいちゃんは眉をしかめて、ゆっくりとぼくの言葉をくり返した。
「あたしたち、今、いろんなことに挑戦してるの」
今までだまりこくっていたあゆみちゃんが、またぼくの肩から顔を覗かせて、ようやく声を発した。
「がんばったら、願いを叶えてくれる扉が現れるんだよ」
ぼくは大げさに両手を広げて、あゆみちゃんの言葉に付け加える。
「扉……ほぉ、それは……希望の扉かい」
考え込むように目を閉じると、しみじみと言ったその言葉にぼくは目を見張った。
希望の扉?それが、ぼくらが見つけようとしている扉なの?
「おじいちゃん、知ってるの?」
「あぁ。なつかしいなぁ、わしも友だちと探し回ったよ。でも結局見つからなくて、あきらめてしまってね」
おじいちゃんは昔の記憶を愛おしそうに語る。一方でぼくはおどろきを隠しきれなかった。
「おじいちゃんのときからあったうわさなんだ……」
「そうだよ。わしは見つけられなかったが、友だちがひとり、見つけたとさわいでいたような……」
「えっ!」
あゆみちゃんと同時に声を上げた。
「どんな扉だったって言ってた?」
ぼくが代表して問いかける。
おじいちゃんはさぁのぉ、と首を傾げて、また考え込むように目を閉じる。
「思い出せないねぇ……なにせ、ずいぶんと昔の話だから。すまんな」
「そっかぁ……」
覚えてないなら仕方ない、けど……。
いまだにぼくらは扉の特徴をひとつも知らない。
ぼくはため息をついて、ガックリと肩を落とした。
「大丈夫だよ」
落ち着いた声であゆみちゃんが耳ごしにささやく。ふい打ちにドキッと胸が鳴った。
振り向くと、あゆみちゃんはぼくの瞳をしっかりと見つめて、まじめな口調で言った。
「扉は現れる。信じなきゃダメだよ」
あゆみちゃん、励ましてくれてるんだ。ぼくが肩を落としたから……大丈夫、あきらめたわけじゃないよ。
前を向いて改めておじいちゃんを見る。
「おじいちゃん、ぼくらぜったい扉を見つけるから。たくさん挑戦して『ゆうかんな者』になったら、扉は現れてくれるはずだもんね」
ぼくは声を上げて宣言した。明るく、晴れ晴れとした顔で。
「はて、そんな話だったかな……」
おじいちゃんはまた目をつむって、首を傾げる。
「見つけたら、おじいちゃんにも教えるね」
五時のチャイムが鳴るまでの短い時間。
ぼくは木村のおじいちゃんに、今まで話せなかった分を埋め合わせるように、学校の話をわいわい話した。
あゆみちゃんは頷いたり、たまに口を挟むくらいなんだけど……でもぼくにとって、木村のおじいちゃんとのひさしぶりの会話は、楽しくはずんでいた。
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