第6話 やさしさ

 さっそく土日を挟んで月曜日、あゆみちゃんと十分休憩に話し合いをした。結果、放課後、家にランドセルを置いてから、商店街で待ち合わせをすることに。

 ぼくは手提げカバンを持って家を飛び出すと、急げ急げと走り出す。

「おまたせ!」

 商店街の入り口には、すでにあゆみちゃんが立っていた。

 桃色のシャツに黒のスカート、リボンのついたハイソックス。肩から下げた水筒。

 風がさやさやと、まるであゆみちゃんをやさしくなでるように吹いている。

「待ってないよ」

 そう言って、地面の小石をいじっていた足を止めた。

「今日はなにするつもりなの?」

「ふふん」

 ぼくはその言葉を聞いてにっこり。

「ずばり、困ってる人を助ける」

 あゆみちゃんはというと、ポカンとわずかに開いた口がふさがらない様子。

「でも、困ってる人ってそんなにいるかなぁ」

「ち、ちっちゃなことでもいいんだよ!」

 思っていた反応じゃなかったことに、少しムキになって言ってしまった。

 はっとしたぼくは、ごめんねとぽつり。

「大丈夫だよ。それよりも困ってる人探しだよね。五時のチャイムが鳴るまでに、急ごう」

「そうだね」

 そしてぼくらは急ぎ足で商店街を抜けた。

 商店街に人はいないから、別の場所に行くんだ。

 カバの遊具があるからと、クラスの誰かが勝手に名づけたカバ公園。保育園のとなりにある、緑色の歩道橋。古い瓦屋根のつたの張った家が立ち並んだ、歩道もない道路。

 ほとんど学校の帰り道にあるところばかりだからか、学生服に身を包んだお姉さんや、ぼくらのような背丈の子たちがちらほらといるだけ。

 困ってそうな人なんてどこにもいない。

 ぼくとあゆみちゃんはほとほと歩き疲れて、駄菓子屋の前にある小さな公園(ぼくらはハッピー公園って呼んでる)のベンチに並んで座った。

 公園は、ブランコにシーソー、すべり台とある。

 昔よくお母さんと遊んだこともあって、なつかしい気持ちになったんだけど……。

 もうずいぶんと手入れされてないんだろうな。

 遊具はぼろぼろ、今座ってるベンチも壊れそう。なにより雑草が生い茂っていて、虫の鳴き声がとにかくすごい。

 じっと座っていて、虫が飛んで来ないかな……。

 視線をうろうろとして虫がいないか確認しながら、さっきそこの駄菓子屋で買ったソーダのキャップをプシュッと開ける。すると、何日も水を飲んでいなかったかのように、ごくごくと一気に半分以上飲み干してしまった。

 でも、お茶じゃないからのどは渇く一方だった。

「見つかんないね」

 買ったお茶をコクリとひと口飲んで、あゆみちゃんは言う。

「うん……」

 ぼくはむむ、と眉根を寄せて、一言ようやくしぼり出せた。

 簡単に見つかるって思ってたけど、結局あゆみちゃんの言う通り、困ってる人なんてそんなにいないんだなぁ……。

「はじめくん」

 目をつむりながらひとり反省していると、あゆみちゃんがはっきりした声でぼくを呼んだ。

 いつもの落ち着いた声じゃなくて、少しおどろいてあゆみちゃんの顔を見る。

「どうしたの?」

 あゆみちゃんは何度も瞬きして、ゆっくり腕を上げた。

「あの人……」

 そう言って伸ばした人差し指をたどると……。

 公園を取り囲む柵の外の小さな歩道を、ヨタヨタと歩く背中を丸めたおばあちゃんが、ぼくらの前を横切って行く。

 両手に大根やらネギやらが入った、スーパーの袋を持っているのが見えた。

 瞬間、ぼくらは急いで立ち上がると、ペットボトルを置いてけぼりに、おばあちゃんの目の前へ走った。

「おばあちゃん、手伝うよ!どこまで持ってけばいいかな?」

 ぼくははずんだ声で両手を差し出す。

 おばあちゃんは急に現れたぼくらに目を見開いたけど、すぐに梅干しみたいなしわしわの顔をくしゃりとさせる。

 その細い瞳でぼくとあゆみちゃんを交互にちらり。

「まぁまぁ、うれしいこと。でも……」

 そう言い終わらないうちに、ぼくはスーパーの袋を掴んだ……。

「……ものすごく重いと思うわよ?」

 ……掴んだのだけど、ぜんっぜん持ち上げらんない。

「ふんっ!」

 ぼくは顔を真っ赤にして、プルプルと腕を震わせながら歯を食いしばると、何度か持ち上げようと試した。だけど、スーパーの袋はほんの数センチ地面から上がるだけで、また力つきて腕を落としてしまう。

 まるで大きな石が何十個も入っているかのような重たさに、(さらに自分の力のなさに)ぼくはガックリと肩を落とした。

 そんな様子を静かに見ていたおばあちゃんは、にっこりとほほえむと、かすれた声でありがとうと言った。

「そのやさしさがとてもうれしいわ。これはひとりで持てるから、大丈夫」

 おばあちゃんはスーパーの袋に手を入れ、中からキャンディがいっぱいつまったお菓子の袋を二つ取り出すと、ぼくとあゆみちゃんにそれぞれ渡した。

「ありがとうね、それじゃあね」

 そしておばあちゃんは、再びヨタヨタと歩き始めるのだった。

「気をつけて」

 離れていく丸まった背中に、あゆみちゃんが投げかける。

 おばあちゃんが、わずかにコクンと頭を下げるのが見えた。

 その背中が見えなくなるまで、ぼくらはなにも話さずに見つめていた。


 ベンチに戻り、手提げカバンを掴んだと同時に、空に鳴り響く五時のチャイムが。

 あゆみちゃんがペットボトルを持ち上げるのを見て、ぼくもと、左手で手提げカバンを肩にかける。右手にはおばあちゃんからもらったお菓子を持って。

 ぼくはそのキャンディの袋をぼんやりと見ると、口を開く。

「なんにもしてないのにもらっちゃった。人助けも、結局ひとつもできなかったな……」

「でもおばあちゃん、ほんとにありがとうって顔してたよ。それに人助けはできなかったけど、よかったじゃん」

 よかった?

 その言葉に首を傾げる。

「どうして?」

 ぼくはすんとしたあゆみちゃんの横顔を見る。するとその顔は、次の瞬間にはほころんだように笑って。

「平和みたいだからね」

「あぁ……」

 たしかに、とぼくは納得すると、満面の笑みでこたえた。

「それは喜ばなきゃいけないことだね」

 しばらく笑い合った。……まぁ、あゆみちゃんはあいかわらず声に出しては笑わないのだけど。

「あ、ちょっと聞きたかったんだけど、あゆみちゃんは用事のある日はある?」

 ペットボトルとお菓子を手提げカバンに入れ、公園を出ながらたずねる。

「水曜と金曜、日曜は習い事あるから無理だけど、それ以外なら大丈夫」

「じゃあ土曜日!」

 ぼくは人差し指をピンと立てると、なにか重大発表をするかのような大げささで言った。

「学校の絵の具セット持って、一時にカバ公園集合ね」

「ふぅん、絵の具セット……わかった。土曜日まではどうするの?」

「扉探したり、家事手伝ったりするよ」

「そう。じゃあまた明日」

「バイバイ」

 手を振って、ひとり家までの道のりを歩く。

 なんだかあゆみちゃんと仲良くなれてるかも……。

 ぼくの心は少し浮かれていて、土曜日が待ちどおしい。

「ふふふ……」

 気味の悪い笑みを浮かべながらふわふわ歩いていたら、あっという間に家に着いた。

「ただいまー」

「おかえり」

 キッチンからお父さんの声が聞こえる。

 リビングへの扉を開け、キッチンで料理をしながら仕事もしているお父さんのとなりまで一直線。

「わぁ、今日はからあげだ!やった」

「ほらほら、先に手洗いうがいして、ランドセルも置いて来なさい」

「はーい」

 言われた通りにしっかり手洗いうがいをして、無造作にランドセルを放り投げる。

 再びリビングに戻って、また机の上に広がっている書類をまとめて床に置くと、次の仕事。

 皿に入れられたみそ汁、サラダ、ご飯に大量のからあげを机に並べる。

 机の上をきれいにするのと配ぜんは、三人で決めたぼくの仕事だから。

 お父さんが座るのを待って……。

「いただきまーす!」

 大きなからあげにかぶりつく!

 う、うまー!このからあげ、すごくジューシーで外はカリカリで……。

 お父さんはお母さんよりも、料理がうまくて、ぼくの自慢のひとつなんだ。

「はじめ、今日もその扉?を探してたのか」

 ズズッとみそ汁をすすると、曇ったメガネでぼくを見た。

「ううん、今日はあゆみちゃんと人助け」

 サラダを食べようとしていた手を止めて答える。……だけど、お父さんは意味がわからないようで、目をパチクリ。

「え、あゆみちゃんってはじめの好きな?え、どういうこと?人助けってなんでまた」

 そうだ、お父さんにはなんにも話してなかったっけ。

「あのね……」

 そんなわけで今日までのことを、あいかわらずヘタな説明で話した。それでもやさしいお父さんは、うんうん、と頷いて、なるほどと声を上げる。

「でもおばあちゃんの荷物は持てなかったし、なんにもできてないのにお菓子もらっちゃってさ。逆に悪かったなぁって」

 そしてサラダをパクリとひと口。

 眉をひそめるぼくとは反対に、お父さんはどこかうれしそうで。

「そのおばあさんは、はじめが自分のためにがんばってくれたのが、うれしかったんだよ」

 なんだそれ、結局できなかったら意味ないじゃん。

「……よくわかんないけど」

「わかるときが来るよ」

 わかりやすくむすっとしてみるけど、お父さんは余裕そうな笑みまで浮かべている。

「それにしても、さっきあゆみちゃんと人助けしたって言ったとき、あのはじめがあゆみちゃんに自分から声をかけられるわけないでしょ!……なんて思ったけど、あゆみちゃんから話しかけて来たのなら納得だ」

 むむっ、なんかちょっとバカにされてる気がするよ?

 するとお父さん、黒ぶちメガネをくい、と上げて。

「うーん、そのゆうかんな者のうわさが正しいのなら、やっぱりはじめがあゆみちゃんに告白すれば、一発だと思うけどなぁ」

「だからそれは無理だってば!」

 お父さんってば、ほんとになんにもわかってない!

 ぼくは最後のからあげを口に放り込むと、ふんっとそっぽを向いた。

「あ―……そういえば、あゆみちゃんは二年生のころからの初恋だったか」

「そう。だから告白して無理なんて言われたら、もう立ち直れないの!」

 お父さんはハハッと笑って、ご飯を口に運ぶ。

 どうせ、情けないと思ってんでしょ、いいもんね!

「ごちそうさまでした!おいしかったです!」

 ぼくはガバッと立ち上がった。

 空いた皿をシンクに入れ、そのままお父さんの顔も見ずに、スタスタと自分の部屋に戻ろうと歩く。

「あぁ、はじめ!」

 すると、お父さんが呼び止めた。

「なんだよ」

 ドアノブに手をかけたまま、不機嫌そうな顔を作って振り返る。

「七月十四日の日曜は空けといてな。お母さんのお見舞いに行く予定だから」

「お母さんの……?」

「そうだ。お母さん元気だったよ、はじめにも会いたいって言ってた」

 そっか、元気になったんだ……。

 そこで思い出したのは、コロコロ笑うお母さんの顔。

 お母さんにも、扉のことや学校のこと、話さなきゃ。

「わかった」

 そう言って廊下を出ると、自分の部屋に入り扉を閉めた。

 部屋の中はもう薄暗い。

 ぼくは手探りで電気のスイッチを探し当てると、パチンと押す。

 宿題しなきゃな、めんどくさいけど。

 床に投げ出されたランドセルの中から、計算ドリルを引っ張り出すと、一緒にぐしゃぐしゃのテスト用紙も出てきた。広げてみると、この間の五十二点の算数のテストだ。

 そういえば、あゆみちゃんは満点だったんだよなぁ……。

 あゆみちゃんのあのすんとした、無表情のかわいい顔を思い出す。

 あゆみちゃんは二年生に上がって初めて同じクラスになったけど、そのときからなんでもできてた。

 授業で先生に当てられても完ぺきに答えて、国語の教科書はすらすら読むし、かけっこも速かった。

 いつも堂々としてる姿はまるで怖いものナシという感じ。それがすごいと思って、気づいたら目で追っていた。

 お父さんは簡単に告白なんて言うけど、ぼくは今になってやっと近づけたんだ。

 好きですって言葉ひとつで、また振り出しに戻ったらと思うと……。

 部屋は暑いはずなのに、ブルっと身震いする。

 やっぱり告白は無理だよ……。

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