第5話 共に
逆上がりができた達成感の熱は、放課後を迎えてもなかなか抜けなかった。
今日なら扉が見つかるんじゃない?
ほのかな期待を胸に抱きつつ、商店街に向かった。……のだけど、ぜんっぜん見当たらない。
三十分たって、ぼくは力つきたようにその場に屈んだ。
またまた期待してしまったせいで、結局落ち込むはめに……。
今日もダメなのかとため息をついたときだった。
「扉探してるんだね、はじめくん」
「うわぁ!」
気づいたら真後ろにあゆみちゃんが立っていたんだ。
あゆみちゃん、息を殺すのがうますぎるよ。
ぼくが変な声を出したのには気にもせず、スタスタとぼくの横まで移動する。
「必ず商店街に現れるわけじゃないと思うよ。あたしもあちこち探してるけど……ぜんぜんダメみたい」
髪をいじりながら、段々声に元気がなくなっていく。
「でも、それもそうだよね。はじめくんみたいになにかがんばってるわけじゃないもん」
「あぁ、あゆみちゃん、なんでもできるもんね!」
ほめたつもりで言ったのだけど、あゆみちゃんは笑わずに、むしろ悲しそうにうつむく。
「……そんなことないよ」
ボソッと、そっけなくつぶやいた。
あれ、ぼくなんかまちがったこと言っちゃったのかな……。
ぼくは笑顔で固まったまま、でも冷や汗がダラダラと出てきて。
「あ、あゆみちゃ」
声をかけようと口を開いたとき、耳なじみのあるチャイムがぼくの声ごとかき消した。
五時のチャイムだ。
二人して空を見上げる。
夏の空はまだまだ日が落ちないけど、空を飛ぶ名前も知らない鳥や、虫や、野良猫たちも、まるで家に帰るように動き出す。
「もうそんな時間なんだ……。はじめくん、途中まで一緒に帰ろう」
ぼくはおどろいて思わず二度見した。
えっ……⁉︎
しかし、あゆみちゃんはぼくの返事を待たずに歩き出してしまう。
「まっ、待って!」
急いであゆみちゃんのとなりに並び直した。
今は黒くかがやくきれいな瞳が、ぼくをちらりと見ると、また前を向き直して言った。
「はじめくんはすごく一生懸命がんばってるけど、なにをお願いしたいの?」
「えっ」
あゆみちゃんと両想いになりたいから、なんて言えない……。
「えぇーとぉ……」
ぼくはあごを触りながら、小さな頭でひとしきり考えるけど、うそはよくないと思う。うん。
「……ナイショ、かな」
我ながらグッジョブな返し!
ようやく出た完ぺきな答えだったのだけど、あゆみちゃんはふぅんとつぶやくだけで、その目はずっと前を見たまま。
あ、あれ?また、まちがえたこと言っちゃった?
あわあわとあゆみちゃんを見ながら、口に手を当てる。
……ぼくたちの間に会話はなくて、虫の声たちが代わりに大きな声でしゃべっている。
あゆみちゃんは真っ直ぐ前を向いて、話し出すような感じもしない。
……っていやいや、好きな子が話し出すのを待ってるようじゃ、男らしくないよな。なにより、せっかく一緒に帰れる奇跡みたいな時間なのに、無駄にしちゃいけない!
「あ、あゆみちゃんは?なにをお願いするつもりなの?」
顔色をうかがいながら、ヘタな作り笑いを浮かべて問うと、あゆみちゃんの歩くスピードが少し落ちた。
悩むようにまつ毛を伏せると、カクンと首を傾けてぼくを見る。
「はじめくんが教えてくれないから、教えない」
目を細め、口元はうっすらとほほえみをたたえていて。
さっきまでの大人びた表情は、一瞬にしてコロリと無邪気な女の子になった。
「えぇーっ」
ぼくは虫たちにも負けないくらいの大きさで、素っ頓狂な声を上げた。……でも心のほとんどは、あゆみちゃんのそんな顔をする一面を見られて、舞い上がっているのだけど。
いや、待てよ……?
と、心のわずかな平常心が、ぼくにブレーキをかける。
結局答えが聞き出せなかった今、あゆみちゃんの願いってなんだ?
そうだよ、あゆみちゃん、勉強できるし運動できるし、なによりかわいいし!なにをお願いするっていうんだ⁉︎
そこでぼくははっとなった。
どうしよう、クラスで一番イケメンの田中くんと両想いになりたいとかだったら!
ぼくがナイショとか言ったから……いやいや、あそこは、ああ言うしかなかったよ!
ぼくはひとり頭を抱え、もだえる。
そんなことはみじんも知らないあゆみちゃんは、地面の石を蹴りながら言った。
「ところでなんだけどさ……」
「え?うん」
するとあゆみちゃん、勢いよくぼくを見て。
その拍子に、太陽にきらきらと照りかえるつややかな髪が、ふわりと揺れた。
え、なに、なに?
「はじめくんが今日みたいになにかに挑戦するとき、あたしも一緒にしてもいい?」
眉をキリッと寄せて、ぼくをじっと見つめるその眼差しは、すごく真剣で。
「自分じゃ、なにに挑戦すればいいのかわかんないの。でもはじめくんと一緒に探せば、わかる気がする。ダメ?」
「え、や、あの……」
そんなにじっとぼくを見ないでほしい!恥ずかしくて頭爆発しそうだから……。
ぼくは恥ずかしがっていることを決して悟られないように、きつく唇を結んだ。
でも、いい流れかもしれない。これはつまり、あゆみちゃんと一緒にいられる時間が増えるということでしょ?
断るわけないじゃん!
「もちろんいいよ」
「ほんと?ありがとう」
すんとした表情で取りつくろうけど、心の中では何度もガッツポーズ。
「あ、でもさ、扉を見つけたとき、願いはひとつしか叶わないんでしょ?そのときぼくら二人でいたらどうするの?」
あゆみちゃんは二、三度目をパチクリさせると、軽く空を見上げた。
「うーん……そのときになったら考える。ジャンケンとか」
「えぇ……」
あゆみちゃんらしくない、テキトーな答えでぼくは困ってしまった。
「あのさ、もうひとついい?」
「え?い、いいよ」
あゆみちゃんからこんなに話しかけてくれるなんて、いいよしか言わないよ。
ぼくの心は完全にうきうき状態。
「これ、なんとなくはじめくんが、うんていをしてるときから思ってたんだけど……」
「うん?」
「はじめくんは、なんでそんなにがんばれるの?」
そこではた、とぼくの思考は打ち切られた。
「それは……願いを叶えたいからだよ」
当たり前でしょ。
ぼくはうつむきながら笑った。
「そうだよね。じゃあ、あたしこっちだから」
「うん、また明日学校で」
おたがい手を振って、ちがう道を歩き出す。
「はじめくんは、なんでそんなにがんばれるの?」
あゆみちゃんのさっきの言葉が、ぼんやりと頭に浮かぶ。
ぼくの願いは、あゆみちゃんと両想いになること。ずっとそうだし、今も変わらない。でも……ともやもやした気持ちがある。
この扉探しを始めてから、思い出した気持ちだった。
立ち止まり、空をゆっくりと仰ぐ。
あのときも夕方で、空も今みたいに薄い水色だったっけ……。
今からまだ一年前、ぼくが小学二年生のころ。
授業はなに言ってるかわかんないし、かけっこはいつもビリ。
周りのみんなは、簡単そうに自転車に乗っているのに、ぼくはいまだに乗れていなかった。それがくやしくて、一生懸命練習して、やっと乗れるようになったとき、お母さんはものすごくぼくをほめてくれた。
……とってもうれしかったなぁ……。
ズボンをぎゅっと握りしめると、また前を向いて歩き出す。
ぼくには得意なことがない。でもお母さんがぼくをほめた、そのときに思った。
がんばることこそが、唯一ぼくの取り柄なんだと。
だから……がんばらなくちゃいけない。
がんばってがんばって、結果を出さなきゃ、ぼくの得意なことはなくなっちゃう。
こんなにがんばってるのに、扉が現れてくれないと、ぼくは……。
正面に伸びる真っ黒な、ぼくよりも大きなぼくの影。
ぼくはぼくを、これ以上ちっぽけだと思いたくないんだ。
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