第4話 運動とぼく

 昨日は散々な結果だったけど、ぼくはまだあきらめてない。

 テストの点数が悪いのはいつものことだし、と少しめげそうになっていた心を持ち直す。

 給食を食べて昼休み。

 真っ青な空の下、すずしい風に吹かれながら、ぼくはグラウンドにいた。

 周りは鬼ごっこやドッチボールに盛り上がり、さわがしい声が絶え間なく耳をつらぬく。

 ぼくは勉強だけじゃなく、運動も苦手なんだ……。

 仁王立ちで腕を組みながら、ぼくはその、空にも負けないくらい明るい青でぬられたうんていを見上げた。

 ぼくが挑戦したことがあるのは、真ん中でポキッと折れたような山型のうんていなんだけど、あれはぜんぜんできなかった。

 学校にあるのは山型じゃなくて平たんなうんてい。

 これならまだできるかも……?

 目標は、うんていを渡りきることと、鉄棒で逆上がりを完ぺきに仕上げること。

 逆上がりは明日にするとして、今日はうんていを最後まで渡りきるんだ。

 そう心に刻むと、ぼくはさっそくうんていの二本の段差を上がる。片手で横の棒をしっかり握りながら、最初の一本に片手で掴み、支えていた手のひらを離してその一本に伸ばして掴む。そして足を段から離し、宙ぶらりん状態になった。

 すかさず次の一本に手を伸ばさなきゃいけないところを、ぼくは動けずにいる。

 なんでかって……片手を離してしまったら、そのまま落ちてしまう自信しかなかったから!

 ぼくにはこんなに腕の力がなかったなんて!

 自分の力のなさに半ば絶望しながら、足をばたつかせた。

 腕がぴりぴりしてきて、掴んでいる手のひらはもう限界だと悲鳴を上げている!

「あっ」

 すると、掴んでいた手のひらがずるりと落ちた。

 とっさに足を伸ばして着地を試みるも、バランスをとれずに勢いよくしりもちをついた。

 瞬間、鋭い痛みがおしりから全身に駆けめぐる。

「いったぁ!」

 顔をしかめておしりをさすりながら、ゆっくりと立ち上がる。

 今の痛みでやる気が半分以上吹き飛んだよ。

 あきらめて鉄棒にしようかな。いやいや、あきらめちゃダメでしょ!

 ぼくの中の天使と悪魔が、両耳からささやいてくる。

 いや、落ち着け……。

 深呼吸して周りの声をシャットダウンすると、ぼくは十数秒だけ目を閉じて考え込んだ。

 昼休みは、あと十五分ほどで終わってしまう。

 ……よし、じゃあこうしよう。あと一回だけチャレンジして一本も進めなかったら、鉄棒をやる。そうだ、それがいい。

 そしてぼくはもう一度、うんていの二本の段差を上がると、さっきと同じように両手で一本目を握った。

 大事なのは勢いだ。足を離したら、止まらずにもう一本を掴む……。

 頭で何度もイメージトレーニングすると、勢いよく段差を蹴った。

「はじめくん、テストの次はうんてい?」

 いつもの凜とした、かわいい声が真横で咲いた。

 おどろいて声のした方を向く。

「あゆみちゃん!あっ」

 一瞬、意識が逸れたせいで、ぼくは腕の力を完全に抜いてしまった。途端、ぼくは一日で二度しりもちをついた。

「いたっ!」

 あわてた様子であゆみちゃんが駆け寄ってくる。すると、ぼくの手をとって起き上がるのを助けてくれた。

「大丈夫?」

「あ、う、うん」

 初めて好きな女の子に手を握られたことにドキリとして、痛みが引っ込む。

「はじめくんって、運動とか自分からするイメージない……テストのときといい、今日といい、なんだか様子おかしいよね。……もしかして、あたしがあんなこと言ったから?」

 あゆみちゃんはぼくの手のひらを両手で掴んで、じっと見つめながら、わずかに眉をしかめた。

 あんなことというのは、商店街で話してくれた、「ゆうかんな者の前にしか扉は現れない」ということだろうか?

「だったとしたらごめんね。ケガはしてほしくない」

「あ、謝らないでいいよ!」

 あゆみちゃんの顔にいっそうかげりが増した気がして、ぼくはあわてて言う。

「ぼくがしたくてしてるんだから、大丈夫!それに、あゆみちゃんがぼくに教えてくれたの、すごくうれしかったし……」

 ごにょごにょと言いながら声が小さくなり、最後の方は聞き取れたかどうか。

 ぼくは恥ずかしくなって、どうか顔が真っ赤になっていませんように!と心の中で祈った。

「ほんとに?」

 上目遣いで、その丸い瞳がぼくを見つめた。

「ほんとに!」

 あぁ、勢いあまって大声を出しちゃった!安心させようと思ったらつい……。

 あゆみちゃんはおどろいたように、さらに目をまん丸にしてぼくを見ている。

 言葉を探そうとてんやわんやしていると、あゆみちゃんのかわいい顔がふっとゆるんで、やさしくほほえんだ。

 初めて見たあゆみちゃんの笑顔は、ぼくの心臓をギュンッとつらぬく威力で。

 め、めちゃくちゃかわいい!

 あゆみちゃんはうっすらと笑みをたたえたまま、鈴のような声で話す。

「うんていができるようになりたいの?」

 ぼくはというと、いまだにあゆみちゃんの笑顔に頭が追いついてないけど、かろうじて答える。

「あ、えと……うんていと、鉄棒で逆上がりができるようになればチャレンジャーかなって、思って……」

「逆上がりの方がまだ簡単だから、鉄棒から始めなよ。明日の昼休みもグラウンドにいるの?」

「そのつもり……」

 あゆみちゃんはそっかとつぶやくと、そのまま考え込むようにあごに手をやった。

「なら、いいのがあるよ」

「え?」

「明日ね」

 そしてふわりとスカートをひるがえすと、小走りで校舎の中に入って行った。

 なんだったんだろ……。

 よくわからないまま、ぼくはぽつんとその場に取り残された。

    *

 次の日の昼休み。

 昨日と大して変わらない空に、変わらない風景、周りの声。

 ぼくはグラウンドの、今度は鉄棒の前に来ていた。

 あゆみちゃんが昨日言っていたように、鉄棒から始めようと思って。

 決して、うんていに心をくじかれたからではなく。

 鉄棒は三つあり、横から順番に、大、中、小と高さがちがう。ぼくはその中、ちょうど胸のあたりの高さの棒を、しっかりと掴んだ。

 何歩か下がって、勢いをつけて地面を蹴る!……でもちっとも上がらない。

 くぅっ、とぼくが苦い顔で唇をかんでいると、あゆみちゃんと先生が前から歩いて来るのが見えた。

 いつもワンピース姿のあゆみちゃんが、今日はめずらしく白いシャツに短パンだ。しかも先生の方は明るい黄色や赤でぬられた、軽くカーブした大きな板のようなものを抱えている。

「前川、逆上がりの練習してるんだってな。清水に教えてもらうんだろ?がんばれよ」

「は、はい」

 なぜかにこにこと笑っている先生は、鉄棒の前にその板を置くと、さっさと帰って行った。

 ……えーと……。

「なにこれ?」

 ぼくは困惑しきった頭で言う。

「鉄棒補助パットだよ」

 あゆみちゃんは淡々と答えた。

 ぼくはというと、説明されてもパッとしない。

「これを蹴りながら上に上がるの。見てて」

 そう言って鉄棒補助パットというものを蹴りながら、くるりといともたやすそうに回って見せた。

「なにもないより、このパットを使うとすごく簡単になるから」

 ほら、とぼくを手招きする。

「しっかり持って、おなかに力入れて」

「う、うん」

 ぼくは言われた通りに板を蹴る。でも、あと少しで上がりきらなかった。

「おしいね、あともうちょっと」

「うん」

 横目であゆみちゃんの方を見る。

 あゆみちゃんは、真剣にぼくにコツを教えてくれている。

「もう少し助走をつけて、地面を蹴り上げて。足は振り上げきること」

 あゆみちゃん、ぼくのためにしてくれてるんだ。……ぼくもがんばらないとだよね。

 言われた通りに助走をつけ、板を蹴りあげ、おなかに力を込めて……。

 練習し始めて十五分。

 汗を流しながら鉄棒に挑み続け……そして、足が浮いて、景色が逆さまになったかと思うと、次の瞬間には足が地面に着いていた。

 で、できたんだ……。

 追いついていない頭で手のひらを見つめる。

 鉄棒補助パットつきだけど、自力じゃないけど!

「できた、できたよ!」

 頬を伝った汗を拭って、ぼくはうれしい気持ちを抑えられずにあゆみちゃんを見る。

「ね、簡単でしょ」

 簡単ではなかったよ……でもあゆみちゃんのおかげでできたんだ。ひとりじゃぜったい無理だった。

「ありがとうあゆみちゃん、つきあってくれて」

 あゆみちゃんは目を細めてほほえむと、どういたしましてと静かに言った。

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