どうせ、君はフィナーレに散る。
夜泥棒
彼女はまるで、舞い散っていく花火のよう。
あまりにも残酷な青が、空に広がっていた。
「ねえ、明日、花火見に行こうよ。春輝」
青すぎる青空が、もくもくと地平線からあふれ出す入道雲の哀しい白を助長しているようだった。飛行機雲が交差し、蝉しぐれは止まず、熱い日差しが肌をなで、汗が首を伝う。
そんな夏過ぎる夏を背景に、むき出しの曼殊沙華みたく凛と立っていたのがナツだった。
相変わらず、自分が情けないと思った。
勇気もない。甲斐性もない。ただ上っ面を取り繕うのだけが得意で、ただ流されるままに生きてきた。いっちょ前に格好つけはしたものの、その中身はからっきし。
まぶしすぎる背中を追いかける俺と、振り返っては俺の手を引っ張るナツ。
また今日も、俺は何も変わっていないんだ。
「どうせ、明日、私は死ぬ。死に際に咲く花火ほど、残酷で綺麗なものってないでしょ?」
「ま、まだ死ぬって決まったわけじゃ…………」
「んーん、死ぬよ。昨日さ、私のドッペルゲンガー――アキが言ってたじゃん。『八月二十四日、私は死ぬ。だから私が現れた』ってね」
―――自分のドッペルゲンガーを見ると近いうちに死ぬ。
都市伝説でよく聞くフレーズだ。そもそもドッペルゲンガーなんているのかすら怪しい。そう、つい一か月前までは思っていた。
しかし、現れたんだ。
ナツのドッペルゲンガー。
彼女はナツと酷似していた。それは見た目だけじゃなく、記憶も仕草も性格も、全部全部。
彼女はアキと名乗った。そして一か月間、話して、遊んで、関わって、笑って。
そして昨日、唐突に言ったんだ。『八月二十四日、私は死ぬ。だから私が現れた』と。
「お、俺は、信じられない……信じたくないっ」
「いい加減さー、その辛気臭い顔やめろよ~。春輝はさ、にこにこ笑ってた方がかわいいんだよ? だから笑えっての~」
なんで、こんときにも君は笑っていられるんだ?
君は明日、死ぬんだぞ?
いつまで、その憧れの姿でいようとするんだよ。
「それにさ、なんだか夢、見るんだ。アキが現れた時からずっと」
「……夢?」
「うん、夢。明日、春輝と夏祭りに行く夢。すっごく楽しくて、泣いちゃうくらい楽しくてさ。こんな楽しいなら死んでもいいかな~、って思うくらい楽しいの。…………でもさ」
「…………ナツ?」
「死ぬんだよ。花火が終わる、その時に」
その笑みには諦めみたいな乾きが見て取れた。いつもの笑顔とも違う。いたずらげでも、天真爛漫でもない。どこか悲しげで、それでもいいやって投げ出してるみたいな笑みだ。
「それでなんだか合点が行っちゃったんだ。なるほどって」
どうしてそこまで達観していられるんだよ。自分のことだろ。
ナツは俺の隣に座って、夏空を仰いだ。
「どうせ、アキにも誘われてるんでしょ?」
「いや、誘われてないな。むしろ来るなって言われた」
「ありゃ? あの子のことだからいつもの色仕掛けでハルキをそそのかして、花火大会に連れていくもんだと思ってたよ。私よりちょっとミステリアスガールだからね~。でも……最期くらい、譲ってやるよってね」
「っ…………」
「だからそうやってすぐ眉下げないでよ。ほらっ、こうやって」
「いひゃいいひゃい」
むにむにと俺の頬を引っ張るナツの姿に、俺はなにやってんだよ、と自分に鞭を打つ。
つらいのはナツだ。
だけど、こんな時だからこそ、彼女はいつもの口癖を言葉にするのだ。
「――笑ってよ。春輝にはその方が似合ってる」
ナツは昔から、これが口癖だった。
俺が泣いたとき、臆した時、弱ったとき。決まってこの言葉を口にする。
俺は自分がどうしようもないくらい情けなくなり、大きく息を吐き、答えた。
「ごめん……わかった。花火、見に行こうか。それに、明日はナツの誕生日だからね」
「うん! 祝ってよ! 楽しみにしてるね!」
そうして、俺たちは最期の日を迎えた。
――――――
八月二十四日。
都内で開催された花火大会。
屋台の数はもちろんのこと、人の数がすさまじかった。
あたりを見渡せば人の山。浴衣の花がそこら中で咲き誇り、下駄の乾いた音に夏の涼しさが感じられた。
たまに大型カメラを担いだテレビ局と思われる人がちらほら見えるのも祭りの規模の大きさを表していた。
「モデル、楽しかったなぁ~。ここ最近はさ、前よりもっと仕事増えてさ、人気も上がって…………春輝のおかげだね」
ナツは人気のモデルである。中学三年時にスカウトされ、それ以来うなぎ上りに人気は上昇。高二の今時点で、広告やらテレビのCMやらで引っ張りだこ。若者なら知らない人はいないレベルの時の人なのである。
いつもだったら、マスクにキャップをはめ、気づかれないように変装するのだが、今日はそういうのは取っ払い青系統のかわいらしい浴衣姿であった。玉のように白いうなじが妙に目を引く。
こんな人込みでなかったら即ばれていたことだろう。いや、気づいている人もいるのかもしれない。
チョコバナナをハムハムと食べながらまだ花火が上がっる前の夕日を仰ぎ、そういった。
「なんで俺のおかげなんだよ」
「だって春輝がいろいろ手伝ってくれたじゃん。私に仕事が増える原因になったのだってハルキがエックスでバズらしてくれたおかげじゃん」
「そんな大層なもんじゃないよ。ナツは売れるべくして売れた。それだけなんだよ、いっつも」
勝手に輝くから、いっつも眩しくてしょうがないんだ。
それから、俺たちはいつものようにバカみたいな何気ない会話をして、笑って、ドキドキして。
今を忘れるように…………いやそうじゃない。
今までを振り返るように、俺たちは一緒に歩いたんだ。
「あははっ、これ似合う…………かな?」
「すっごく似合うよ。ほんとにナツらしい、髪飾りだ…………綺麗だよ」
「…………ありがと。春輝からの贈り物だからね。一生……大切に、するよ」
俺があげた髪飾り。
緻密な細工がされた青い花。
今日は夏の誕生日だ。だから俺が事前に買ったものだ。何度も何度も悩んで、それで買ったものだ。
ナツは心底嬉しそうに、同時に悲しそうにそれを付けて、笑った。
そして、いよいよ花火が始まるというアナウンスの元、開会の言葉などが響く中。
ふとした瞬間、俺の目の前からナツの姿が消えた。
――――――
やばい、やばい、やばい、やばい…………。
ナツとはぐれた。
もしも、あの手を握っていたら、なんて考えても遅い。いつだって勇気がなくて、こんな時でも、これっぽっちの一歩すら踏み出せないのか。俺は。
人込みは花火の鑑賞エリアの河川敷に流れている。
今は屋台エリア。人気が少なくなり始めたここで、ナツがウロチョロしたら大騒ぎになりかねない。
一刻も早く探さないといけないのに。
「はーるーきっ!」
「うわっ」
肩を軽くたたかれ、振り返ってみればそこにはアキがいた。ナツのドッペルゲンガーだ。
ナツとハルの見た目は全く同じだが、アキは眼鏡をかけていて、浴衣を着ていなかった。
だからアキだと分かった。
「にひひひっ、来るなって行ったのに来ちゃうんだ。この裏切り者~」
「そっ、そんなことより!! なっ、なつと、はぐれてっ!」
「まぁーまぁー、落ち着きなっての」
まるで分かっていたことのように、アキは俺を宥めた。
そして、ひどく安心する微笑みを浮かべ、俺を見た。
「大丈夫。まだ花火は上がってもないでしょ。だから、まだ、なんだよ。まだ死なないよ」
彼女の目を見てしまった。そのむき出しの光に魅せられた。まるで、心を素手で鷲掴みにされるようだった。
「な、んで…………そんなことが、わかるんだ?」
「ドッペルゲンガーだからだよ。『八月二十四日、私は死ぬ。だから私が現れた』。この文字通り、だね」
疑問はあった。疑念はあった。だが確証はなかった。
だから、アキと出会った一か月間。ずっと目を逸らし続けていたんだ。
俺は、息を大きく吸って吐いた。
「じゃあどうしてそれを止めようとしなかったんだ?」
すると、アキはひどくむなしい顔で口を歪めた。
「運命っていうのはさ、そう簡単には変えられないんだよ」
「そんなの、やってみないと――」
「――無理だったんだ」
こんな顔、見たことがなかった。
余命宣告同然のことを言い渡されたナツでさえ、カラッと笑って見せたのに。
今のアキの顔には、莫大な悲しみと後悔が張り付いていた。
「あっ―――」
とその時、アキの背に誰かがぶつかった。この人込みだ。仕方ない。
倒れかかる彼女を俺はとっさに支えた。ふわりと花畑みたいな匂いと、柔らかくて脆い感触。
……この感触が、偽物だなんて、思えないよ。
アキと出会ったこの八月。
初めはドッペルゲンガーなんて言われて、ナツとそっくりな見た目で、正直不気味だった。同じ顔で、同じ声で、同じ仕草で笑うもんだから、その姿に恐怖すら感じた。
だけど話してすぐに分かった。偽者なんかじゃない。レプリカなんかじゃない。アキは…………。
――からんっ
鈴の音のような音が鳴った。
アキのポッケから落っこちた何かが、鳴いたんだ。
俺はそれを拾い上げる。
「ぁっ…………」
「アキ……これ」
――青い花の髪飾り。
俺がナツについさっき渡したはずの髪飾りだ。
……やっぱり。
「だめっ!」
花火が咲いた。
アキの背後で、残酷に咲いた。
アキは俺の手からそれを取ると、まるで宝物をかばうかのように、胸に抱いた。
そして恐る恐る俺の顔を見て、あぁやってしまった、という風に顔を歪めた。触れてしまえば今にも壊れてしまいそうだった。
そしてアキは、優しく微笑んだ。
「まだちょっと時間はあるよ。少し、デート、しようか」
――――――
花が咲いていた。
夜に咲いていた。
いつか集めて宝箱にしまった色々のビードロを、夜空に撒いている様であった。それが美しいと思えるのはきっと、いづれは消えてしまうからなのだろう。いつかは失ってしまうからこそ、それは美しく輝くんだ。
「8月24日。私は春輝と夏祭りに行ったの」
まるで、どこかに想いを馳せるようにアキは話し始めた。
それは俺が知る由もない記憶だ。
「私の浴衣姿を見て顔真っ赤にして、絞り出した言葉が何だったと思う? 『ゆ、浴衣の花、綺麗だね』だよ? アハハっ、さすがの私もカチンときちゃってさ、ちょびっとだけ意地悪したら、ようやく『似合ってる』って言ってくれたの」
「…………とんだ甲斐性なしで、ごめんな」
「んふふ、いいよ。それでさ、花火を眺めて、屋台を回って。手も……つないでみてさ。心臓がはち切れそうなくらい鳴るもんだから、私は毎回意地悪しちゃうの。不器用だからさ、本心隠すためにすぐ茶化しちゃうんだ。それでも春輝はにこにこ笑って、それで許してくれるの。なんだかんだ、私の照れ隠しも見透かして…………それで、これ、もらったんだ」
手に出したのは青い花の髪飾りだった。
それを懐かしそうに髪にとめた。
「嬉しかったんだよ……すごく、すごくうれしかったんだ。春輝のことだから、ほんとに悩んで悩んで選んでくれたんだってわかるからさ。より一層嬉しくて。つけて見せたら、やっと『似合ってる』って言ってくれたの。顔真っ赤にしていうもんだから、お前のほうがかわいいっつーのって……」
次第に声が沈む。
「それでさ、フィナーレが始まったころかな。マネージャーに気づかれちゃってね。流石に危ないから駐車場に来いって言われたの。多分家まで強制送還かな。それでも楽しかったから満足だったんだ」
「でも、向かう途中でさ。誰かが叫んだんだよ『うっわ! 桜井ナツじゃん!』って。それ聞いた周りの人が一斉に私を囲んで、すごい人だかりになっちゃったんだよ。カメラを向けるのは野次馬だけじゃなくて、テレビ局の人もいたんだ」
「春輝は必死に人込みかき分けて私の手、引っ張ってくれたんだ。それで、なんとか道は開けてくれたんだけど…………」
「そっ、そこに、フード被った男の人がいてっ……なっ、ナイフ持っててっ……」
「それが私めがけてっ…………!」
声が震えた。
彼女の顔を見た。
もう限界だった。目からは涙があふれ出し、あっ、とか、う、とか声にならない声を出していた。
俺は彼女の背を優しくさすった。
「もう、いいよ。全部、わかったから」
アキは言った。『八月二十四日、私は死ぬ。だから私が現れた』と。
アキは俺がナツに渡したはずの髪飾りを持っていた。
そして今アキが語ったこと。
それらを考えればわかる。
「お前はドッペルゲンガーなんかじゃないんだな。アキ…………いや――――ナツ」
その涙は何も答えなかった。
しかしその沈黙が答えだった。
「未来から、来たのか」
――――――――――――――――
アキは俺の告白に、返事はしなかった。
震える肩を落ち着かせて、俺を見た。
「私は今頃、駐車場に向かってる頃」
何をしろ、とは言わない。
その目が、物語っていた。
「フィナーレの最後の一発が散るとき、それがその時」
俺は立ち上がり、彼女に背を向けた。
「運命っていうのはね、等価交換なんだよ」
等価交換、か。
そうだろう。運命なんてものはそう簡単に変わるはずがない。でないと、ナツがこれほどまで苦労するはずもないんだから。
「私のやることは変わらないよ…………」
「パラドックスってのがある。それでお前だけが……てのは保証できないんだぞ?」
「うん、分かってる。でもいいの」
こんな時でも笑って見せるのか。
ほんとにまぶしくってしょうがないな。
いつだって甲斐性なし。
勇気もなければ、度胸もない。
大事なところで一歩踏み出せず、ため込んだ後悔なんて数知れない。
傷ついた分だけ強くなる。そんなの嘘だ。
傷ついた分だけ自分を嫌いになるだけだ。言わなかった自分。踏み込めなかった自分。
そんな嫌いな自分がどんどん増えていくんだ。
「ごめんな。今まで、ほんとに、ごめんな」
いつもいつも、ナツが俺の手を引っ張って。
俺はそれに引っ張られて、その背中を眺めるだけ。
男が聞いてあきれる。
「でもさ」
何度、彼女を悲しませたたのだろうか。
何度、彼女を泣かせてしまったのだろうか。
「もう大丈夫だから」
もう、これ以上、彼女を一人にはさせない。
一人で、孤独に輝くことなんてさせない。
俺が意地でも隣にいてやるんだ。
「―――うんっ」
俺は走り出した。
この勇気はきっと、今の俺だけのものじゃない。
きっと、今までの俺の勇気と、想いが、今の俺に重なっているんだ。
荒れる呼吸の中、背後で咲く花火が、無性に俺を見ているようだった。
――――――――――――――――
走って、走って、走って。
息は切れ、喉は乾き、汗が全身を伝った。
だけど頭に浮かぶのはただ一人の顔。
いっつもいっつも大人ずら。
ことあるごとに俺を子ども扱いする彼女。
笑って、はしゃいで、走って、突き進んで。
そしてまた笑う。
俺は彼女の泣いている姿を見たことがない。
俺は彼女が弱音を吐いている姿を見たことがない。
いつだって漫画のヒーローみたいに無敵で。
ちゃんと傷ついてるくせして、気障っぽく笑って見せるんだ。
なんども彼女の力になりたいと願ったはいいものの。
こんな俺が彼女のためにできることなんて思い浮かばなかった。
彼女と一緒に居ていいのだろうか。
俺なんかが、彼女に手を引かれていいのだろうか。
きっと、そういうのは漫画の主人公の役目で。
イケメンで信念があって、だれからも期待されて背中押される奴の役目だ。
俺なんかに与えられる役目は、脇役がお似合いだ。
だけど。
だけど。
今はそんなことどうだっていい。
だって、ただ、君の力になりたいから。
もし、君がどうしようもないくらい泣きそうな夜があって。
淡くきらめく星さえも、君の心に闇を落とすのなら。
今度こそは。
俺が連れ出してやりたい。
手を引っ張って、そして満点の星空の下で、笑うんだ。
そんな役目さえできれば、他は何もいらない。
―――――――――
携帯を確認したけれど、一向に電波が復興する余地はない。
マネージャーからの連絡は来たのに、春輝への連絡は届かないなんて、神様は残酷だな、と思った。
花火会場の駐車場へと続く広間には街灯と提灯の明かりが強く、隠していない顔が赤裸々に見えてしまう。
「うっわ! 桜井ナツじゃん!!」
だれかがそう叫んだ。
ぎょっとした。
その瞬間、周りの大勢の人が、一斉にこちらを見た。
「え!? 本物じゃん!!」
「何あれ!? 生のが百倍かわいい!!」
「ちょっとサイン貰おうぜ!!」
ぞろぞろと人だかりがこちらに向かってくる。すごい数だ。
私は少し早足で、気づかないふりをした。
けどダメだった。
「桜井ナツさんですよね!! ちょっと一緒に写真とってもいいですか!!」
「い、いや、プライベートでは…………」
「はいチーズ!!」
「あははっ、有名人まじでえぐいわ!! 早く拡散しよー!!」
「あ、俺も俺もー!!」
私の言葉など聞かず写真を撮り始めた人たち。
退路を塞ぎ、囲まれて、逃げ場がなくなってしまう。
その騒ぎを聞きつけ、すさまじい勢いで人数を増やしていく。
およそSNSなんかで拡散しているのだろう。
そしてカメラを持ったテレビ局の人達も一緒になって私を映し出す。肖像権とかガン無視だ。何かの撮影の一環だと思われているのだろか。
「や、やめてください! しゃ、写真も、だめです!!」
「私、NHTのものですけモデルの桜井ナツさんですよね。生放送で来てるんですけど、少しだけ撮影なんかを―――」
「そっ、そういうのはお断りします!」
と、頑張って声を上げたものの、私に向けられる声は変わらなかった。
「ほらほらこっち向けよー!!」
「やだ浴衣とか着てんじゃん。超エロい」
「うなじとかやばくね!?」
「胸でっか」
あぁ、怖い、気持ち悪い。
こんなのやだ。早く抜け出したい。
シャッター音が鳴りやまない。録画だってされてる。
すべての視線も声も音も、気色悪くってしょうがない。
そんな視線、向けないでほしい。デリカシーとかないのか。
有名人なら、何を言ったっていいのだろうか。
私の姿は、この人たちに見せたいわけじゃない。
見せたい相手は一人しかいないんだ。
何時間もかけて浴衣選んで、母さんに着付け手伝ってもらって。
髪もいつもの何倍も時間かけて、化粧だって頑張って。
ずっとこの日を楽しみにしてたの。
すべてはあの人のためなんだ。
「なんかさ……ファンサひどくね?」
冷えた声で誰かがぽつりとつぶやいた。
それに呼応するみたいに、ざわざわと皆が呟く。
「やっぱ裏で態度悪いとかっていう噂マジだったんだ。冷めるわ、普通に」
「あ、俺はイケメンとか侍らせてヤリまくってるって聞いたわ」
「うっわきっつ」
あぁ、もうやめて。
「それにやっぱり写真の方がかわいい? 思ってたよりちっちゃいし」
「おどおどしてんの萎えなんだけど。もっとクールなイメージだった」
そんなの口に出さなくていいじゃん。
そんなコメント何度も目にしたよ。
あぁ、ほんとに……。
「あぁーあ、なんか思ってたんと違うわ。なんか萎えたわ」
心に何かが刺さった。
冷たい何かだ。
もう、嫌だな。
…………今日で、最期、なのに。
「ぁっ…………」
自然と涙が出てきた。
だめだ、もう。
あの人がいないって分かった時点で、もう取り繕う元気もなくなってしまった。
あの人が見てくれないと、意味がないのに。
…………あぁ、最期くらい、会いたかったなぁ。
彼はいつも、私を憧れの人、みたいな目で見る。
いっつも辛気臭い顔してるから、私が手を引っ張るの。
何をするにも無気力で、無関心。
優柔不断で、臆病で、勇気なくて、甲斐性なしで。
小さい頃から一緒だけど、ずっと私の弟みたく、私の後を付いてきた。
私が前で、彼が後。
ずっとそんな構図なんだ。
だから私も取り繕って、つい大人ぶっちゃう。
でも彼はそれを全部見透かしたように苦笑いするの。
それがたまらなく嬉しくて、悔しくて。
また彼をからかってしまう。
それも今日まで、か。
「ちょ、いいかげんこっち向けよ!」
「あっ、や!!」
すると、人込みの中男の人の硬くてごつごつした手が、私の腕を引っ張った。
いつ、私は死ぬのだろうか。
もしかしたら、この人に殺されるのだろうか。
そう考えたら、自然と力が抜けてきてしまった。
もう、いいかな。
だって、これで……あの人が。
「なつッ!!」
「――っ!」
誰かが私の名前を叫んだ。
誰か。
なんて、考えないでもわかる。
あの人だ。
春輝だ。
――――――――――――――――
すさまじい人の数だった。
ざっと百人は超えているだろう。俺が通っていた中学校の前項生徒よりもはるかに多いのだから。
ナツを囲む円状の人だかりは異常なまでに熱を持っていた。
我先にと彼女を一目見ようと人込みはごった返していた。
「なつッ!!」
叫んだ。
我ながら、通った声だと思った。
「はるきっ!!」
帰ってきた声は紛れもないナツのものだった。
するとナツと俺を見やった人込みの連中が状況を把握しきれず呆然とする中、ナツは人込みを潜り抜け、俺のもとへとやってきた。
野次馬も何事かと憶測を飛び交わせている。
だが、そんなこと、どうでもいい。
「来い!!」
人込みに手を伸ばしてた。
誰かがそれをつかんだ。
確認しないでもわかる。ナツだ。
こんな細くて弱弱しくて、でも暖かい手はナツしかいない。
俺はそれを引っ張り、走った。
「はっ、はるき!」
不安そうな声だ。目じりにきらめくのは涙だろうか。その涙をみて、どうしようもなく胸が熱くなった。
変えられるだろうか。
運命。
それは等価交換だ。
死という運命があるのなら、それ相応に世界に影響を与えるだけの運命を用意する必要がある。
だったら、やることは一つしかない。
俺はある場所へと向かった。
人込みがぞろぞろと俺たちのもとへとやってくる。
たどり着いたのは、もう用済みとなった舞台だった。およそ、花火が始まるまでの間、踊りやら歌やらを披露していたのだろう。
そんな舞台にはただ提灯の明かりだけがスポットライトのように俺たちを照らしていた。
肩で息をするナツ。あれほど大きかった背なかがなぜこんなにも弱弱しく見えるのだろうか。
「あれだれ?」
「かれし、とか?」
「いやねーだろ。なんかパッとしないし」
野次馬たちは口々にそんなことを言う。しょうがない。俺とナツが釣り合うはずなどないのだから。
みな舞台に上がった二人が何を始めるのかとカメラを向けたり、疑惑の声を挙げたりしている。
「なあ、ナツ」
花火が咲いた。
あと、何発で終わるのだろうか。
「は、るき? あははっ、春輝がこんなことするなんて思ってなかったなぁ……」
「意外?」
「うん、すっごく嬉しい…………」
パラパラといろいろにはじけた火花が、彼女の横顔を染める。
俺がすべきこと。
それは運命を変えること。
アキは言った。
『八月二十四日、私は死ぬ。だから私が現れた』と。
もしアキがナツのドッペルゲンガーであるなら、この言葉に不思議はない。いや、不可思議ではあるが、矛盾はない。
だが、アキはドッペルゲンガーではなかった。
アキは未来から来たナツだった。
であるならここで一つの矛盾が生じるのだ。
なぜナツは未来から来たのか。
もし未来でナツが死んだとしたら、ナツが生きたまま過去に戻れるはずがない。
だがナツはこうも言っていた。「そっ、そこに、フード被った男の人がいてっ……ナイフ持ってて……」「それが私めがけてっ……」と。
これは明らかにナツの身に危険が迫っているということだ。
ここでまとめよう。
ナツは運命を変えるために、未来から来た。
ナツは死の対象ではない。
だが確実に死が迫っている。
では誰の死か。
『さあ来場の皆様! これより打ち上げられる七尺玉を持ちまして、フィナーレとさせていただきます! さあカウントダウンを始めます! 10……』
会場にアナウンスが響いた。
俺は目を凝らして、会場を見渡した。
どこかにいるはずなのだ。
「はるきっ…………」
震えている。
あぁ、ナツだってただの女の子なんだ。
どうしてそのことに早く気づけなかったのだろうか。どうして、俺が彼女を支える勇気を出せなかったのだろうか。
「大丈夫だよ」
俺は震える彼女を引き寄せた。
今度は俺の役目だ。
だから、何度も何度も言われたその励ましを、今度は俺が口にするのだ。
「――笑ってよ。ナツにはその方が似合ってる」
それを聞いて、ナツは俺の胸に頭をうずめ、そして、こちらを上目づかいで微笑んで。
「うんっ……!」
ほらやっぱり。
君が笑うだけで、このちっぽけな男が一歩踏み出せる。
俺はその手を強く握った。
――――かたん、
舞台へと続く階段を誰かが上る音がした。
そっちを見た。
黒いフードを深くかぶった男が、息を荒げ駆け上っている。
手元を胸に隠しているが、銀色にきらめくものを握っている。
あぁ…………あいつか。
『9……』
カウントダウン。会場の皆が口をそろえていた。
俺がやるべきことは一つ。
俺が防ぐべきことも一つ。
鬼の形相で迫る黒フード。
殺意をまじかで感じた。
体が震えた。
「――――っ」
その瞬間、俺と黒フードの間を割って入った者がいた。
ナツだ。未来から来たナツだ。
そう、これが彼女の思惑。
彼女が変えたい運命。
それはナツの死、ではない。
では誰の死か?
―――ナツをかばって刺された、俺の死だ。
運命は等価交換。
俺の死という運命を変えるためにはそれ相応の運命を用意しなければならない。
およそ、ナツは何度も繰り返したのだろう。試行錯誤して、それでも運命は変えられなかった。
だから、最終手段として、彼女はもう一つの運命を用意したのだ。
――――それが、己の死。
己の死と引き換えに、俺の生を得る。
なんとも優しすぎる彼女が出しそうな答えだ。
未来から来たナツが死ぬ。それによって、今を生きるナツも死ぬことになるかもしれない。タイムパラドックスというやつだ。
だがそれすらもいとはず彼女は死を選ぼうとしているのだ。
そんなの。
そんなの、間違っている。
だから、俺が変えてやる。
「なあ俺たちも上がろうぜ!!」
「お、おう!! まじかで見てえしな!!」
誰かが興奮気味に言った。
舞台に集まっ野次馬、その数は裕に百を超えている。傍から見れば人気バンドがライブでもしているのかと思われるレベルの人だかりだった。
ナツが俺の胸から離れていくのと同時に、しびれを切らした野次馬たちが一斉に舞台へと上がってきた。黒フードが先陣を切ったからだろうか。
俺となとの間に人が入ってきた。
「はるき!!」
「な、なつ……!! くそっ! 押すなよおお!!」
俺とナツが人込みにもまれ、離れていく。
ナツが伸ばす手。
今度こそはと伸ばし返したが、つかめなかった。
後悔なんてしている暇はない。
結果を変えるのは今の俺だ。
これが、分岐点だと分かった。
きっと、俺はこの先何度もこれから行う選択について考えてしまうのだろう。
それがこの瞬間だと思った。
だからもう、やるしかない。
『8……』
俺は大きく息を吸い、そして、声をだす。
「聞いてくれええええ!!」
野次馬たちがぴたりと止まった。
俺とナツを結ぶ直線状から人が吐けていく。
そうだ、開けてくれ。
ただ君にだけ伝えたいんだ。
「おれがこれからいう言葉、一語一句聞き逃すなよおおお!!」
出せ。
勇気を。
この繰り返された八月で、俺じゃない俺が彼女を守れた勇気を。
まるで、俺の周りとナツの周りにスポットライトが当てられているかのようだった。
距離は遠くなった。触れることもできない。
だがいい。
俺は、右ひざを着き、そして、ナツを見た。
『6……』
「桜井なつ…………いや、ナツ!!」
カメラで撮られているから、どうした。
好きにしてくれ。
みなの記憶に残れば残るほど、この運命が強くなるから。
「おれっ!! 成瀬春輝、十七歳は!!」
せめて、伝わるようにと、声を上げた。
「臆病で、不格好で、格好悪くて、甲斐性なしで!! いっつもお前に苦労かけてばっかで、絶対お前とつり合いなんかしないけど!!」
ほんとに情けない。
情けなくってしょうがない。
だがこの言葉だけは、形にするべきだ。
伝わらなくてもいい。拒否されてもいい。
だけど、この気持ちだけは、きっと、本物だから。
「そんなこと、どうでもでもいいくらいにさ!!」
大きく息を吐いて、そして吸った。
『4……』
今まで臆してきた。
こんな臆病な自分が、俺は大っ嫌いだ。
『3……』
今まで君に助けられてきた。
君が手を引っ張ってくれるだけで、俺は走ることができたんだ。
擦りむいたって、転んだって。
君はいっつも俺を立ち上がらせて、そして一緒に来いって笑いかけるんだ。
『2……』
今まで君を追いかけてきた。
君の背中に、君の本音のありかを探そうとはしなかったんだ。
君はスーパーヒーローではないんだ。普通の女の子なんだ。
そんなことに気づかないまま、君を追いかけ続けていた。
『1……』
今まで君を想い続けていた。
軽々しく好きだなんて言えない。好きなんて言葉でくくりたくはない。
きっと君への想いを現すことばなんて神様でも知らない。もし、この感情に名前を付けることができても、そんなものでくくりたくはない。
だが伝えるべきなんだ。
この言葉を形にするべきなんだ。
それが、俺すべきことだと思ったから。
『0……!!』
だから――。
「おれはっ!! 君のことをっ――――――愛してるッ――――っ!!」
――花が咲いた。
一番高いところで、儚く咲いた。
音は聞こえなかった。
誰も、そんな音、聞こえなかった。
夜に響いたのはきっと、情けない告白だったから。
――――――――――――――――
フィナーレの最後の一発が、世界で一番儚い音を鳴らしたとき。
あぁ、なんで私はアキなんだろう、て悔しくなった。
ずっと臆病で、私の後を追っていた君が。
なぜか、ずっと遠くに行ってしまったようだった。
君の背中はとっても大きくて。
君の目線の先には、私じゃない私がいる。
それがとっても悔しくって。
でも、いいやって思えた。
なんども繰り返したこの八月で。
私は、数えきれないほど君に助けられた。
変えようってあがいても、運命は変わらなくって。
毎度、泣き叫ぶ私に向かって、君はその言葉を口にする。
君の散り際の言葉はいっつも一緒で。
世界がリセットされても、最終的にその言葉をもらえるのは私でありたかった。
誰の記憶にもない、君と過ごした時間だけが積み重なる中で。
重ねた分だけ愛おしくなっていく。
だから、この青い夏が終わらないでほしいと願っては。
でも、微睡んで秋を夢見ていた。
あぁ、そうだったんだ。
そこでやっと気づいた。
私はこの夏を終わらせたかったわけじゃないんだ。
私はただ、君に伝えたかったんだ。
臆病で、不器用な私だから。
いっつもはぐらかしては、からかってしまうけれど。
私はただ、君に伝えたかっただけなんだ。
君が幾度も残した「愛している」の。
私にしか言えない、私の「ありがとう」を。
そして、できることならもう一つ伝えたい。
私の背を追う君がいたから。
私は今まで頑張れたってことを。
君がいたから、この夏がこんなにも名残おしいと思えたことを。
この仮初の命が、こんなにも惜しいと思えたことを。
「――――――ありがとう」
――――――――――――――――
蝉が泣いている。
まるで過去を憂いているようだと思った。
入道雲がもくもく浮かんでいる。
きっと、あの水平線まで行ったら掴めるのだろう。
夏らしい夏だ。
そう思うと、この肌を刺す日差しすらも愛おしいと思えた。
「ねえ、春輝」
君が呼んだ。
「――――ありがとう」
その言葉だけで、すべてがどうでもよくなった。
今の置かれている状況も、どうでもよく思えた。
「それでさ……私たち、これからどうするの?」
「どうするって……」
「あんなことしといて、とぼけるつもりか~」
「あぁー……」
あんなことを思い返して、今でも頭が沸騰してしまう。
すると彼女はスマホを取り出して、にやにやと画面を見せてきた。
『おれはっ!! 君のことが――だい』
「まていやあああ!!」
「ありゃりゃ」
ほんとにやめてほしい。
人の告白を、世界中の不特定多数の人間に見られることがどれだけ恥ずかしいか。
もう布団にくるまって穴があったら入ってふたでも閉じてしまいたい。
でも懲りた様子もなく彼女は俺に微笑むのだ。
「こんなになっちゃったら、そりゃ、運命もかわっちゃうね」
あの日の、俺の告白は、SNSで拡散され、ニュースにも取り上げられるほどまでに拡大した。
俺の思惑通り運命を変えることはできたが…………。
できたのだが、学校ではずっと刺さるような視線と「お前まじパねえな!!」などと知らない人にまで感想を言われる始末。
ナツはというと会見やらニュースやらで引っ張りだこになった。
まあ時間がたてば収まるだろう。
ナツは「にひひ」と笑って見せて、身を乗り出した。
「幸せにしてよね」
ほんとに彼女にはかなわない。
「春輝が変えた運命なんだからさ」
あぁ、俺は彼女を幸せにする。
だが、一つだけ間違いがあるよ。
「いいや、違うよ」
俺の言葉を聞いてきょとんとしたナツ。
俺が変えた運命。
ちがう、そうじゃない。
俺だけであったら変えられなかった。
こんなちっぽけな俺では踏み出せすらいなかった。
運命を変えられたのは幾度も踏み出した俺じゃない俺のおかげで。
そして彼女と、彼女じゃない彼女のおかげだ。
「幸せにする、じゃないよ」
俺は彼女を見た。
彼女じゃない、彼女も重ねた。
「幸せになるんだ。二人で」
その瞬間、目の前で咲いた笑顔は。
きっとどんな夜に散った花火よりも。
静かで。
ともすれば、暖かかった。
どうせ、君はフィナーレに散る。 夜泥棒 @091361
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