ぬいぐるみ

山本薩埵

ぬいぐるみ

 音楽の好みは思春期に決まると言うが、私がそれに魅せられたのは15歳の時だった。

 父からもらったCDの中の一枚、その歌は、叫びだった。音楽で、自分の感情をぶつける。これが芸術なのだと思った。

 私も、音楽で、この溢れる感情をぶつけたい。

 それから私は、作詞作曲を始め、動画配信サイトに歌を投稿するようになったのだ。

 最初の作品を投稿すると、意外と反応が返ってくるもので、「初心者なのにすごい」「期待の新人」と言われ、音楽仲間もできた。ちっぽけながら、私の思いは届くのだと、小躍りした。

 それでも私は謙虚で、出会った音楽の先輩たちには叶わないと思った。なぜ彼らがまだ売れていないのか、この頃の私には分からなかった。

 音楽を始めたことを、父は応援してくれた。

「父さんも昔はギターをやってたんだ。今はやめちゃったけどね」

 私はやめる気ないけどね、と強気には返さずに、お礼だけを伝えた。

 同じ時期くらいに音楽を始めたタケルとは、すぐに友達となり、度々議論を交わした。

「タケル、俺は音楽に大事なことは芸術性だと思う。感情の昇華こそ音楽のあるべき姿で、それに共感してもらいたい」

 しかしタケルは冷静だった。

「音楽はエンタメだよ。君の好きな先輩たちは、それが分かっていないから売れないのだよ。彼らはいつもマイナーな音色を使って、ダラダラとした歌詞のイケてないメロディを歌って、構成もまとまっていない。音楽にはね、様式美があるのだよ」

 確かにタケルの言うことは正論で、タケルの曲は、初心者と思えないくらい洗練されていた。けれども、再生数は私と同じくらいだったので、私とタケルのどちらかが優れているという訳ではなく、どちらも何かが足りていないのだと思った。

 それでもタケルと私は切磋琢磨しあい、ハイペースで作詞作曲を続けた。音楽理論はすぐに勉強できるが、耳は少しずつ鍛えられてゆくものだと、一年してやっと分かった。

「タケル、俺たちはあのとき憧れていた先輩たちを超えたと思う。けれども、再生数は、一番最初の曲が一番伸びたのに、二曲目以降は全然続いていかない。なぜだろう、やっぱり実力不足なのだろうか。再生数も先輩たちに追いつかないし」

 タケルはそんな日も冷静だった。

「先輩たちは、自分の曲を聴いてもらうために、俺たちの一曲目にコメントを残したに違いない。実際君は、律儀に先輩たちの曲が出るたびチェックしているだろう。先輩たちは俺たちの一曲目しか聴いていないのにな。あとは、彼らは、仲のいい人の曲は何度も聴くのさ。それが彼らの再生数が伸びて、俺らの再生数が伸びない仕組みさ」

「タケル、俺らは一体どうすれば……」

 しかし、タケルはもう冷静な分析をしてくれなかった。

「俺は音楽をやめるよ」

 タケルはそう言い残して、私とタケルとの縁はほとんど切れた。

 クソだと思った。

 ちょっとやって、再生されないからって、やめてしまうのかよ。

 確かに再生されないのは惨めだ。

 辞めるのに十分な理由だ。

 では、この魂の叫びは、誰に聴いてもらえばよいのだ。

 あの程度の再生数を維持するために、コソコソ政治をしている先輩たちもクソだ。

 全部クソだ。もう嫌になった。

 それで、私は「叫び」という歌を作った。

 この歌は、特段再生されたわけではないが、一つだけ「疲れていたけど、元気がもらえました」とコメントを貰えた。

 この一言で、私こそがミュージシャンに相応しいのだと錯覚した。

 それから何曲も作り続けたが、どれも駄作だった。音楽仲間とも交流した。皆、私の歌を「いいね」と積極的に言ってくれるが、どれも上から目線の言葉だと気づいた。皆、自分が一番なんだ。そういう意味では、ファンなんて、一人もいないのだ。どれだけ歌を作っても「ほら、こいつより、俺のほうが上手いでしょ」のマウントのエサにしかならないのだ。

 特に、最近知り合ったコウスケは、最低だった。コウスケは、よくこう言っていた。

「お前と違って、俺たちは努力している」

 身内で聴き合って、再生数を伸ばすことが努力なのだろうか。彼らに騙されてはいけない。やっているフリが得意で、向上心がなくて、そういうやつほど努力を口にする。後ろめたいからだろう。本気でやっている人は、努力なんて言葉をつかわない。なぜなら、するのが当たり前だからだ。

 さらにコウスケが言うには、

「音楽は、人に聴かれるためのエンタメで、流行に乗っていない音楽はいらない」

 流行りに乗るのが音楽なら、その流行りはどこから来たのだろうか。誰かが挑戦して、作ったその道を、我が物顔で歩いているくせに、他人の挑戦を否定するのは、卑怯ではないか。しかも、もし、音楽が他人に気持ちいい思いをさせるためのツールでしかないのだとしたら、私のこの強い思いは、どうやって昇華すればいいのだ。

 本当にクソだ。現実はクソだ。

「あんた、音楽ばかりで勉強やってないでしょ。このまま大学受験どうするの」

 母はいつも厳しかったし、口答えできるほど私は強くなかった。

 それで、私は自然と音楽はやらなくなり、受験勉強へと専念した。

 私は音楽をやめたから、いつまでも、どこまでも探していてほしい。この数百人のリスナーとも、お別れであった。さようなら、クソな趣味。もう二度とやらないかな。

 合格発表当日、私は大学まで来ていた。掲示板の前で、受験番号を探すと、そこに自分の番号を確認した。

「やったよ。母さん、受かったよ」

「おめでとう、でも、大学入っても勉強やらなきゃだめだからね」

 母さん、あなたはいつもそうだ。私が何を成しても、頑張れとずっと言ってくるのだ。

 やめよう、今日は、お祝いの日だ。その夜は家族で団らんし、喜びを分かち合った。

 大学では、授業を受けて、テスト勉強をして、友達と遊んで、至って普通の大学生活を送った。もう、これから、普通に就職して、普通に暮らす未来しか考えられなかった。

 それなのにあるとき、友達のカイトが、突然大学をやめた。

「俺、音楽で食っていくから、大学やめるわ」

 なんでやめてしまうのか、友達として止めたかった。でも、悔しかった。自分と同じような学生と思っていたカイトが、虎視眈々と、夢に向かって努力をしていたのだ。その間私は、就職する未来を言い訳に、遊びほうけていた訳だ。

 そして私は、夢から現実に引き戻されるように、音楽に引き戻された訳だった。

 音楽を再開してよかったことは、就職活動でのアピールポイントになったところだ。そして私は、とある企業に就職し、音楽も続けたのだ。

 夢を追う全国民に伝えたい。夢を追うことは、尊いことだ。夢は見返りをくれないが、人は見返りのために行動する訳ではないのだ。私は、日本一のミュージシャンになると決めた。この目標は、叶えるためのものではなく、向かうためのものだ。あの方向に進めば、きっと間違いないだろう。

 それで、私は働きながら音楽を続けた。よく、働きながらじゃ音楽はできないという人がいるが、それは間違いである。ほら、今この会社にも、働きながら音楽を続けている仲間がいるのだ。

 私は「ぬいぐるみ」という歌を作った。小さい頃欲しかったぬいぐるみ、買ってもらえなかったぬいぐるみについて歌った歌だ。この歌はちょっとした人気になって、この歌を、ラジオで流してもらえることになった。生まれて初めての達成だった。なんだ、夢は叶うんだ。希望が全身から溢れ、これから、歌で、皆に共感を与える未来を思い描いた。

 でもね、この話には続きがあるから、最後まで聞いてほしい。そう、最後まで。

 そのあと私は、うまく歌えなくなった。それどころか、体の節々が痛み、力が入らなくなっていた。病院に行くと、治療の確立されていない、難病だと診断された。

 私は、入院を拒否した。音楽ができないなら死んだほうがましだと思ったからだ。そのうち、水も飲まなくなった。

 父は私に語りかけた。

「入院しよう」

 私は首を振ったが、父は続けた。

「父さんね、昔、水が飲めなかったときがあるの。あの震災のとき。もう覚えてないかもね。あのとき、水が足りなくなって、大人たちは子供たちに水を飲ませるために、自分たちは水を絶ったの。体調が悪くなる人もいたよ」

 私は、では、どうすればいいのだ。

「水を飲んで、あのとき、父さんが我慢したぶん、あなたは水を飲んで」

 私は、弱いのだ。これから訪れる、未来に、耐えられないのだ。でも、父さんが生きて苦しめと言うのなら、そうするのもやぶさかでないだろう。

 私は、断水をやめ、入院することにした。

 そんな状況でも母は「頑張りなさい」と言うのであった。もちろんそのつもりだった。生きることを、途中で、諦めるわけにはいかなかった。

 そう、そのつもりだった。

 体の痛みは日に日に増した。それでも母は頑張るよう促した。

「頑張りなさい、もう少しで治療薬が出るって、それまで頑張りなさい」

「母さん、無理だ。もう、一分一秒も耐えられない。早く死にたいんだ」

 私も母も、泣いていた。涙が出るたび、頭がズキズキと痛んだ。

「母さん、ごめんね。俺だって、生きたい。けど、もう無理なんだ。俺は、安楽死を選ぶよ。今まで、ありがとう」

 すると、母は、猫のぬいぐるみを私の上に置いた。

「ほら、今まで、買ってあげられなかったから、ぬいぐるみ。ごめんね、ごめんね」

 猫のぬいぐるみは、つぶらな瞳で僕を見ている。猫のぬいぐるみは、何も知らないかのように、ニコッとしていた。次に私が口走ったのは、意外な一言だった。

「母さん、俺、やっぱり、まだ頑張りたい」

 夕日が病室にさす中、母と私のくしゃくしゃの笑顔は、赤かった。

 それから、猫のぬいぐるみと一緒に、闘病した。猫のぬいぐるみは、ちょこんと座って、笑っているだけだった。

 痛い、痛いよ。脚も、腕も胴も頭も、全て痛いよ。苦しい。けれども、消えてた窯に火が灯るように、芽生えた希望は消えなかった。それは、明日も、猫のぬいぐるみが笑っていることだった。

「生きたい」

 誰もがこう思っているはずだった。苦しくて死んでしまう人も、心のどこかで、この感情を持っているのだ。それを忘れないでほしい。死にたいだけで死ぬ人なんていないのだ。皆、本当は、幸せに生きたいのに、現実がそうさせてくれないのだ。

「生きたい」

 その気持ちだけで、生きることができたら、どんなにいいことか。生きるには、支えが必要なのだ。父が、母が、私を生かしたように、猫のぬいぐるみが、私を生かしたように、強い気持ちのみが、私たちをこの世に留めるのだ。だから、人を助けるのに、思いのこもっていない軽い言葉を使うのはやめてほしい。

 それから、新薬により、痛みや体の動かしにくさはだいぶおさまった。それから、私は作曲を再開した。歌は歌えないが、歌なしの音楽だけでも、この気持ちは伝えられると思った。生きること、それは苦しみだ。ひとかけらの喜びがなければ、私はとっくに死を選んでいただろう。世界は、素晴らしい。それを、音楽で、表現した。

 病室に透き通ったメロディが流れる。

「父さんはギターをやめちゃったけど、あなたはずっと音楽続けられたね」

「ありがとう、父さん」

 父さん、母さん、私、そして、猫のぬいぐるみ。記念撮影をした。私は、少し痩せたかな。

 こんな日々も終わり、私は、また体が動かなくなってきた。意識もあまりはっきりしない。けれども、猫のぬいぐるみだけは、はっきりとわかった。枕元に、ずっと一緒にいることがわかった。

 こんな私も、この世の中に、何かを残すことができただろうか。

 もう、まぶたが開かないのだ。

 母の声がする。

「あなたの音楽は、たくさんの人に、勇気を与えているみたいよ。今まで頑張ったわね。猫ちゃんも見ていたよ」

 そうかい、母さん、音楽をやっててよかったよ。色々あったけど、音楽で、一人の人にでも共感を与えることができたのなら、よかった。私は、うんうんと返事をしているつもりだった。

「ゆっくり、おやすみ、おやすみ」

 そうか、私は……。

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