ダダダ
dede
悪魔の救済
「ねえ、師匠。あれって」
「ああ、地縛霊だね」
師匠は優し気な口調で語る。
師匠はいつだって優しい。言ってる事は分からない事が多くても。
未だにこの中性的な服装を好む師匠の性別すらよく分かってないのだけども。その優しさだけは信頼してる。
「辛そう」
「ああ、でも邪魔してはいけないよ。あれは美しいものだ」
師匠は地縛霊を見かけるといつもそう表現する。
僕はそれを言葉で理解しつつ納得はできていなかった。
「不満そうだね」
「だっていつだって彼らは辛そうです」
「もちろん辛い。辛くても彼らは自らを縛る。楽になる方法は簡単だ。自らを解き放てばいい。それでも彼らはその地に縛り付ける。自分の大切だったもののために。それはとても尊いものだ」
「祓うのもいけないのですね」
「ああ。邪魔は良くない。人に害しない限りしてはいけない。そもそも稀な事だ。いつだって彼らは自分たちの事でいっぱいなのだから。周りが見えてないのだよ」
「可哀そうです」
師匠は首を横に振って否定する。
「その感情を抱くことすら冒涜だよ。いいね?」
僕は首を横に振る。
「わかりません」
「そのうち分かるさ」
そう少し寂しそうに師匠は言うのだった。
ある日僕がビルの屋上を見上げた時の事だった。
「!!師匠!?」
「なんだい、また地縛霊かい?」
「いえ、生きてる人間です!!」
そう伝えると師匠をそこに残し僕はそのビルに駆け込んだ。
エレベーターのボタンを連打するが、随分上の方で停まっている。早々諦めて横の階段を駆け上った。
階段の行きつく先まで辿り着くと、ドアを開けて屋上に出る。強い風に服がはためき、髪が乱れた。
周囲を見渡したら、手すりの向こうに立つ彼女を見つけた。
僕は一切声を掛ける事なく彼女に近づく。当の彼女はビルの下に釘付けでちっともこちらに気づいていなかった。
そのまま僕は手すり越しに彼女を乱暴に抱き締めた。
そこでようやく僕の存在に気づいて腕の中で必死にもがくが、もう遅い。
「ちょっ!?あなた、誰な」
彼女は喚こうとするが、それを無視して彼女の耳元で囁いた。
「10秒」
「え?」
「ここから地面まで仮に10秒として。あなたはその10秒の間何を考えて落ちる気ですか?結構長いですよ、10秒」
「そ、そんなの私の勝手……」
「頭から落ちれたらいいですね。頭の中をぶちまける事になりますが即死で済みます。落ちどころが悪いと、大変ですよ。骨とか突き出た状態でしばらく生き永らえるんです。すごい、痛いでしょうね?どう思います?
アスファルトに広がっていく自分の血に沈みながら、激痛の中、どうしようもない引き返せない状況で、後悔せず済みそうですか?どうなんです、お姉さん?」
僕は昔聞いた話をまんま伝える。何度か飛び降りた地縛霊の方の告白を聞いた事があった。僕はそれは当然な事だと思っているのだけど、彼らは皆後悔した事をとてもイケナイ事のように語った。
僕の腕の中で彼女の力がスッと抜けるのが分かった。
きっと想像してしまったんだろう。途端に自分のしようとしたことが恐くなったのだろう。それから彼女は僕の腕の中でしばらく子供のように泣いていた。
「絶対、手を離さないでくださいよ?」
「もちろんですよ。分かりましたから、ゆっくり手すりからこちら側に来てください」
「本当ですよ?絶対ですよ?絶対手を離しちゃダメですからね?」
「ええ、絶対ですから」
ようやく手すりを乗り越えた彼女はへたり込んだ。顔は涙でグシャグシャだった。とてもバツが悪そうだ。
「やれやれ」
振り返ると、入り口のドアの所に師匠が立っていた。
息も乱れてないのでエレベーターで来たのは間違いないにしても、余りに遅かったのできっと声を掛けるタイミングを見計らっていたんだと思う。
「ほら」
近づいた師匠は僕に冷えた水のペットボトルを差し出した。
僕は水を受け取ると、持っていたハンカチを濡らして彼女に差し出す。
そして水も彼女に渡す。
「ありがとうございます」
師匠は彼女に聞いた。
「財布とスマホは持ってるかい?」
彼女は気まずそうに答えた。
「いえ……部屋に置いてきました」
「かと思ったよ」
師匠は僕に視線を向ける。
「家まで送り届けなさい」
すると彼女は困惑した。
「そこまでして貰う訳にはいきません。一人で大丈夫です」
「信用できない」
師匠はぴしゃりと言い放った。それに彼女は言い返せない。
「帰り道にまた変な気でも起こされても困るからね」
とは師匠も本気で思ってはいないだろう。でも一人で帰したくない気持ちは僕も一緒だ。師匠は僕にこっそりと2万円握らせた。
(これで温かいものを食べさせなさい)
僕はこくりと頷く。師匠は優しいのだ。
「彼女はどうだい?」
「変わらず、です」
あれから僕は彼女としばしば会うようになった。
普段は自然としていたが、時折辛そうにしている。
師匠は僕が彼女と会ってる事を知っていたが、その事については特に何も言わなかった。
「君は、アレかい?彼女のことが好きなのかい?」
「そう……見えますか?」
あまり意識してなかったけど、そうかもしれない。
師匠はニンマリと笑った。
「そう見えるねぇ~?脈はあると見てるのかい?」
「ムリじゃないですか?死ぬほど好きで死ぬほど大切な人がいるみたいですから」
結局どうして飛び降りようとしたのか教えて貰えていない。でも、決まって辛そうな表情を浮かべるのは仲睦まじい恋人たちを見掛けた時だった。
「そうかそうか。それで、それでいいのかい?」
「……よくないですよ」
「そうかい。ところで近々会う予定はあるかい?」
「それなら今日もこれから会いますよ」
フフと師匠は笑う。
「マメな事だね?ではこれを彼女に届けてくれ。プレゼントだ」
そう言うと、琥珀色の液体の入った瓶を差し出す。
「貴腐ワインといってね、とても甘くてフルーティーなんだ。きっと彼女も気に入るんじゃないかな。あ、そうだ。これに合うと思うんだ」
といって、チーズの固まりも投げて寄こした。
「では、よろしく頼むよ」
「はあ、貴腐ワインですか……あまりアルコールって飲まないんですけど」
「あ、ごめんなさい。飲まないんじゃ、いらないですよね」
「あ。まったく飲めないわけじゃなくて。でも、一人で部屋で飲む習慣もなくて」
と、彼女は悲痛な表情を浮かべる。これもまた何かの記憶を引っ張り出してしまったらしい。
ただ、ここからがいつもと違っていて、何か意を決した表情で
「……その。この後空いてますか?少し付き合って頂けませんか?」
「喜んで」
「あ、本当に甘くて飲みやすい。美味しい」
「お口に合って良かったです」
「ごめんね、飲めないのに付き合わせてしまって」
「いいんです。代わりに飲めるようになったら一緒に飲んでくださいね?」
すると彼女は困った表情を浮かべて「……うん」と答えた。
――――――2時間後―――――――
「だからさぁー、めっちゃ好きなのよ?ねえ、分かる?分かる?分かんないよねー?」
「ねえ、そろそろ飲むの止めましょうか?ね?ね?」
「えー、まだいいでしょー?」
すっかり出来上がった彼女がいた。
甘くて飲み易くてついつい進んでしまったらしい。これまでの鬱憤も溢れてしまったんだろう。
という事で絶賛僕にうざ絡み中である。
彼女は瓶を抱えて離さない。
「これ、すごい美味しいんだよ。大好き。今度師匠さんにお礼しなきゃ。あーあー君も飲めたら分かったのに」
「そうですね。残念です」
まあ、これで彼女の気が晴れるなら安いものだと思う。
「あーあー……好きだったなぁ」
そうポロポロ涙を零しながら、ポツリポツリ話し出した。
伏せた彼女の表情は、前髪が隠して窺えなかった。
「……はい」
それに僕はただ静かに相槌を打つ。
如何に好きだったかということ。
大切だったかということ。
もうどうしようもなくなってしまったということ。
誰かを恨むこともできず、ただ苦しいということ。
……もう、死ぬしか終わらせ方が分からなかったということ。
「もう、どうしたらいいのかな?今でもすごく大切なんだ。でも苦しくて苦しくて仕方がなくて。ねえ、どうしたらいいのかな?ねえ、知ってたら教えてよ?ねえ?ねえ?……ごめん、今私すごいウザイよね。今の忘れて」
「僕のことを好きになったらいいと思います」
「え?」と彼女は伏せていた顔をあげた。
僕は彼女の手首を掴む。
「僕はあなたの事が好きです。大事にします。させてください。
だから、もう何もかも忘れてしまって、僕の事を好きになりませんか?」
彼女は泣きそうな表情で抵抗した。
「やめて。手を離して」
「離しません」
酔いが回ったせいか、その抵抗も些細なもので、僕の手を振りほどく事は出来なかった。
「お願い、そんな事言わないで」
「イヤです。十分苦しんだじゃないですか。もうその想いがあなたに報いることはないんですよ?」
「裏切りたくないの!!」
「ええ、あなたは悪くない」
僕は強引に彼女の唇を奪った。
「本当だ。確かに甘くて美味しいです」
「ひゅー。やるねぇ、少年」
「茶化さないでください。その後大変だったんですから」
「どう大変だったんだい?」
「一晩中泣いてました」
裏切ってしまったと。踏みにじってしまったと。汚してしまったと。
あれほど大事に思っていた気持ちを。死ぬほどだとすら思っていたのに。
私は私を裏切ったのだと、泣き疲れて眠りにつくまで泣いていた。
僕はその間ずっと彼女の手を握っていた。やはり最初は抵抗されたけれど、そのうち諦めた。
握った手からは彼女の体温が感じられて、ああ、生きてるんだな、っと思った。
「師匠。僕はイケナイ事をしたのでしょうか」
その僕の言葉に、師匠はニヒルに笑って応える。
「まさか?いや、彼女にはさぞ君は悪魔のように映っただろうけどね。そもそも煽った私が言える筋はないよ」
「でも、いつも地縛霊の邪魔をするなと」
「そりゃ死ぬほど辛い思いをしたんだ、気が済むまで遂げさせてあげたいじゃない?
でもね、彼女は生きてるんだ一緒にしちゃいけないよ。
そもそもだいたい大人ななんて汚れてるものだし、汚れてるなんて言い方が悪いよ。これはね、新しい色で上書きしてるのさ」
「方便ですよ、師匠」
「体裁整えただけで生きやすくなるなら、ジャンジャン考え方を整形したらいいさ。
第一、君は彼女を大事にするんだろ?良かったと思わせてあげればいいさ。それとも何かい?君は今回した事を後悔してるのかい?」
「いいえ?」
僕はしれっと言った。
すると師匠は僕の頬に手を添えて、目を覗き込む。
「君も汚れてしまったんだね」
師匠は僕の頬から手を離すと、ニコリと微笑む。
「澄んだ目をした少年はもういない。すっかり男らしい表情をするようになったじゃないの?」
「どうでしょうか。もっと頼りになる男になりたいとは思ってますけど、彼女を幸せに出来るでしょうか?」
ぺちんっ。
額に衝撃が走る。師匠のデコピンだった。
師匠は優しく微笑んでいた。
「難しく考えなくてもいいんだよ。今回バッドエンドでも、次の話ではハッピーエンドになるかもしれない。なら何度だって新しい物語を用意するだけさ。そのためには生きてる事が第一だ。死んだ人にはさすがに言えないけど、生きてる人間には何度だって私はそう言うよ」
ダダダ dede @dede2
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