第5話 雨の日
昼ごろから天気が急に悪くなり、いや朝からその兆候自体はあったけど、想像以上に車軸を流すような雨が降り始めた。通り雨なら授業が終わる前に止むだろうか、と考えていたが、甘かったようだ。むしろ、段々と強くなっているような気さえする。
参ったな、傘は持っていないんだが。
今日は部活もないし、と僕が席に座ったまま途方に暮れていると、「なに、傘持ってないの?」とこれから部活であろう弥呼に聞かれた。
「その通りですよ⋯⋯どうしよっかな」
すると、後ろから野山の声が聞こえてきた。
「
振り向くと、鞄を抱えて傘をこちらに見せるように掲げた野山がいた。
「え、いいの?」
「もちろん」
とは言いつつ、どうしようか悩んだ。苦手な相手と相合い傘をするのには少し抵抗がある。
その迷いを決心させたのは、やはり真人だった。
『せっかくの誘いなんだから、受けなよ』
まあ、そっか。ここで変に断るのも不自然だし。
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
意識するでもなくそう口から出ていた。
「弥呼とはいつもああいうこと話してるのか?」
野山が持つ傘の下に入って、濡れないように鞄を前に抱えて体に押し付けながらの帰り道。
ああいうことというのは、多分金曜日や今朝話していたような、小説の相談のことだろう。
「うん、まあ。そのあたりは、趣味があうから」
電車通学の野山に、徒歩通学の僕の家まで送っていってもらうのは悪いから、駅近くのコンビニまで一緒に行って、僕はそこでビニール傘を買うということでお互い納得した。
駅まではせいぜい十分程度、雨のことと傘のことを考えると、そこからさらに五分くらいはかかるだろうか。いずれにせよ、そんなに長い時間ではないはずだ。
「ふーん。で、普段はどんなこと話してんの?」
「それは⋯⋯まあ、色々」
「例えば」
「この前だと、池住さんが読んだ小説の話とか――」
そうして僕が、弥呼が好きだという小説家の
「あとは、池住さんが書いている小説について相談に乗ったり」
「えっ、どんな小説書いてるのか知ってるの?」
野山は驚いたように聞いてきた。この様子だと、ひょっとして前にどんな小説を書いているのか弥呼に聞いて、教えてもらえなかったのかもしれないな。
「いや、それは知らない。内容はわからない程度の相談しかしないことにしてるから。僕も――僕も、相談に乗ってて結構楽しいかな」
危うく、「僕もよく相談しているんだ」などと言いかけた。咄嗟に出てきた嘘としてはまあまあだろう。
そのまま、僕は野山が聞いてくる質問に答え続けた。
しかし、口が滑ってこんなことをうっかり言ってしまった。
「流れ星に願うなら、何にする?」
弥呼との話を語るうちに、自分の小説の記憶が浮かび上がってきて、ちょうど悩んでいた「真人の願い」の参考にと思い口にしてから、しまったと悔やんだ。
「流れ星?」野山が訝るように僕の顔を見た。「急にどうしてそんなことを?」
そう聞き返されて、僕は内心焦り、それが表情に出ないように努めるので精一杯だった。
『正直に、自分も小説を書いているのだと白状すれば?』
と真人は言ってくる。
冗談じゃない。絶対その後に追及されて面倒なことになるから嫌だよ。
そう返してから、万事休すだと思っていたところ、まるで誰かが救いの手を差し伸べてくれたかの如く、閃いた。
「弥呼からの質問だよっ、現在進行形のね」
「ふうん」
幸運にも、少し変になってしまった口調に野山は特に気に留めることなく、何かを考え始めた。
しばらく黙って歩き続けて、流石に深く考えすぎではないのか、と僕は焦りや心配を抱いた。
「いや、そんなに深く考えるようなことでも⋯⋯」
「いや! ちゃんと考えることだよ、これは。ちょっとでも小説の助けになれるようにね」と僕や弥呼よりも相談を重く受け止めていることを見せてから、
「⋯⋯あ、そうだ。『ちゃんとした大人になれますように』かな」
と言った。
一瞬、二人の間の空気が張り詰めたように感じたものの、「なんだよ、それは」と僕が笑うと、雰囲気はすぐに緩んで、野山も同じように笑った。
コンビニが見え始めた辺りでふと思いついて、「じゃあ、罪悪感に悩む人は、どうやって救えばいいと思う?」と、弥呼にしたのと同じような質問をした。
「それも、弥呼からの?」
「もちろん」
弥呼からの質問、という切り札を手に入れたので、少し余裕をもって嘘をついた。
すると野山は、今度は短く考えて、ただ、「わからない」とだけ言った。
「⋯⋯そっか」
さっきはあんなに真剣に考えていたのに、などとは言わなかった。
「じゃあ、ここまででいい?」
「うん、また明日」
「また明日」
僕たちはコンビニの前で別れた。そうして立ち去る野山を眺めながらぼんやりと、弥呼に嘘をついたことを謝って、話を合わせて貰わないとな、と思った。
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