第2話 相談

 一時間目の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。結局小説のことが頭を離れず、授業に身が入らなかった。

 よくないなぁ⋯⋯。

『ま、いいんじゃない? 夢中になれるものがあるってのは』

 真人はそう励ましてくれるけど。

 僕はなんとなく、隣の席に座っている池住いけずみ弥呼やこにちらりと目を向けた。弥呼も僕と同じく小説を書いていて、さらにそのことはお互いに知っているのだが、緩い空手部に所属しながら副業みたいに書いている僕と違って、弥呼は文芸部に所属して、結構本格的に書いているらしい。らしいというのは、僕も弥呼も、お互いにどんな小説を書いているのかは秘密にする、というのが暗黙の了解みたいになっていて、といっても弥呼の小説は文化祭のときに発行される文芸部の部誌を通して読むことができるので、その時になったら、弥呼だけ読まれるのは不公平だから、多分僕のも読ませることになるのだと思う。いやそれどころか、文芸部の部誌には部員以外の作品でも載せることができるから、弥呼から僕の作品もせっかくだし載せてみないかと誘われているが、ずっと答えはぼかし続けている。

 だって、他人に小説書いてるなんて知られるの恥ずかしいんだもん。弥呼は、お互いに知っているから、例えればお互いに弱みを握ってる感じだから問題ない。もちろん弥呼が文芸部で小説を書いていることはちょっと知ろうと思えばすぐに分かるから、全然条件は違うんだけど。それと、弥呼がどんな小説を書いているのか探ろうとしてこないっていうのも一枚買ってる気がする。知られたくない理由は、恥ずかしい以外にも、知られた後の読ませてよ攻撃をかわすのが面倒だっていうのもあるだろうから。

 弥呼の他には、親でさえも僕が小説を書いていることは知らない。

『ちょうどいい機会だし、弥呼に聞いてみれば?』

 そう真人が勧めてくる。

 聞かないよ、今回のは。

 弥呼とは、たびたび小説に関する悩みを相談し合う仲でもある。行き詰まった時には、小説の上っ面だけをなぞるような、必要最低限の情報だけを伝えて、アドバイスを貰うという関係。だから、今筆が詰まっていることを伝えて、助言を請えばいいじゃないか、と真人は言ったのだが、何しろ今回の小説は内容が内容だから、話すことがためらわれる。

『大丈夫大丈夫。そこまで詳しい内容を言わなかったら極めて健全な物語なんだから』

 いや、極めてってことは絶対ないでしょう⋯⋯ストーリーテラーが自殺しようとしてるんだよ?

『じゃあ、その辺りを避けて伝えればいいよ』

 えー、うーん、まあ⋯⋯そう言われてみれば、大丈夫な気がしてきたな⋯⋯まあ、やってみるか。

「ねえ、今書いてるやつで、詰まってるんだけどさ」

 頃合いを見計らって、僕は弥呼に語りかけた。

「うん、どんな話なの?」

 弥呼からの返事に、僕はひどく抽象的に返す。

「えーっとね⋯⋯罪悪感に縛られている人が出てくるんだけど、その人を救ってあげたいんだよね。だから、罪悪感から開放するにはどんな話というか、流れにするのが自然かなーって」

「んあー、罪悪感ね。どんな罪に対するものかにもよりそうな気がするけど⋯⋯」

 そう言って、弥呼は少し考え込んだので、その答えが出るのを待つ。ちなみに、弥呼の助言も、完全に参考にできるわけではない。的外れな回答が返ってくることも今まで何度かあった。それでも、精度はかなりのもので、実際今まで何度も僕は弥呼に助けられている。

 しかし、今回は、弥呼の答えは出なかった。というのも、出る前に横槍が入ったからだ。

「何の話? 罪悪感とか聞こえたけど」

 野山のやまかず。クラスメートで、弥呼とも結構仲がいい。

 というか、弥呼の男友達って僕を除けば野山くらいなのではなかろうか。部活ではどうなのか知らないけど。

 ともかく、厄介なことになった。当然野山は僕が小説を書いていることは知らないので、罪悪感という単語を聞かれてしまった以上、なんとかしてごまかさないといけない。どうしたものかと僕が策を考えあぐねていると、弥呼が助け舟を出してくれた。

「ああ、小説の話だよ、この前読んだやつ」

 ナイス、弥呼。

「へえ、なんていう本?」

 そうだよなあ! 聞くよな! 普通は!

 弥呼の方を見ると、どうやら答えに困っているようだった。しかし、かと言って、僕もとっさに罪悪感が関連する本が浮かんでくるほど読書家では⋯⋯いや。

『あれでいいんじゃないの? ほら、実際にこの前読んだやつ』

 あった。そうして、僕は真人の力も借りて、この前読んだ小説の題名を言った。

「ああ、そうなんだ」

 どうやら野山はその小説を読んだことがないらしく、どう話をつなげてよいものか悩んでいるようだった。

 その小説は何と言っても、絵凪の自殺の原因を罪悪感によるものにしよう、と僕に閃きを与えてくれた本だから、鮮明に記憶に残っていた。

「あ、ヤバい、そろそろ二時間目始まっちゃう」

 弥呼のその発言に、僕と野山は反射的に時計を見た。確かに、次の英語が始まるまであと三分もない。僕も弥呼も準備していなかったので、用意のためにロッカーへ行こうと席を立ち上がると、自然と話は終わった。

 よし、逃げ切れたな。

 野山和、実はあまり得意なタイプではない。

 そう思いながら授業の準備を終えて席に戻る。授業が始まる前に、弥呼から、

「さっきの質問、答えるのちょっと待っててね」

 と言われた。

 しかし結局、一日の授業が終わっても、弥呼からの答えがもらえることはなかった。まあ、忘れられたんだろう。

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