エピローグ

「——それ以降、カッちゃんに会うことはなかった。今でもたまに、磯田君を見捨てて逃げる夢を見ることがある。もしかしたら、夜中に絶叫しながら飛び起きて、君を驚かせてしまうこともあるかもしれない。その時はごめんね」


 そこまで言うと、悠太は深々と息を吐き、私の方へと首を傾けた。


「軽蔑したかい?」

「そんな」


 私は慌てて否定した後、私は未だ混乱する頭で悠太に尋ねた。


「それで、その……結局どうなったの?その、磯田って子は?」


 まさか、本当に死んでしまったのだろうか?

 悲惨な結末を覚悟しての質問だったが、返ってきた答えは予想外のものだった。


「それがね——居なかったんだ、磯田君なんて生徒は」

「『居なかった』?『居なくなった』じゃなくて?」

「ああ。先生やクラスメイト——誰に聞いても、そんな奴は知らないって言われたよ。彼の机も、ロッカーも、出席簿の名前も——彼の存在したあらゆる証拠が消えてしまっていたんだ。持久走大会の朝からそうだったのかはわからない。気にも留めてなかったからね。家の場所までは知らなかったから、確かめには行けなかった」

「それって、一体どういうこと?」

「わからない」


 ただ——と、悠太はまた、別の思い出を語りだした。


「高校生の時、図書館で何気なく手に取った本に、気になることが書いてあった。サトリっていう、人の心を読む、毛むくじゃらの妖怪に関する記述でさ」


 その妖怪なら私も知っている。漫画などにもよく登場する、比較的メジャーな怪異だ。


「その本によれば、サトリの言い伝えの起源は、中国の伝承上の動物なんじゃないかって説があるらしくてさ。そいつには、いろいろな呼び名があるんだ。やまことか、猳国かこくとか、玃猿かくえんとか—|あとは、かくとか」

「それじゃあ——」


 息をのむ私に、悠太は「わからない」ともう一度繰り返した。


「普通に考えれば、全ては僕の妄想なんだろう。カッちゃんは、君の言うところのイマジナリーフレンドってやつなのかもしれない。実は幼少期、たまたま図書室かどこかで目にして、自分でも忘れていた妖怪図鑑か何かの記憶を元に生み出された妄想さ。でも——磯田君は?」


 悠太の言葉が、徐々に熱を帯びていく。

 その表情は、まるで許しを乞うているようでもあり、一方で、罰を求めているようでもあった。


「幼稚園の年少組から小学六年生までずっと同じ教室で過ごして、運動音痴でよくみんなからからかわれてて、けれども手先が器用で図画工作では一目置かれてて、授業参観にはいつも目鼻立ちがそっくりな背の高いお母さんが来てて、給食の牛乳が飲めなくていつも残してて、そして自分を内心見下してた僕なんかを気遣ってくれた——あの磯田君も、僕の頭が創り出した架空の友達だっていうのか?それとも——」

「そうだよ」


 私は悠太の独白を遮り言った。言わずにはいられなかった。


「何もかも、悠太の妄想だよ。にゃははうぺーと同じで、心理学とか、精神医学とか――そういうので全部説明がつくの。だから、罪悪感なんて持つ必要ないんだよ。忘れちゃえばいいんだよ」

「……そうだね」


 悠太は力なく呟くと、私から目を反らした。

 それから、


「正直に言うとね」


 と、続けた。


「時が経つにつれて、磯田君の記憶はどんどん薄れていってるんだ。友達と遊んだり、君と一緒に居る時なんかは、大抵忘れてしまってる。悪夢を見る回数もだいぶ減った。その内、何にも思い出せなくなるんだろうし、きっとそうなるべきなんだ。でもね。夢の中の磯田君は、いつも変わらない表情で僕を見てるんだ。決して責めることなく、けれども寂しそうな、どこか申し訳なさそうな表情で。それを見る度、僕は思うんだ。本当に忘れてしまっていいんだろうか、って。もう、磯田君のことをおぼえてるのは、この世で僕だけなのに、ってさ——」


 そこで一旦言葉を区切ると、


「——笑えるだろ?」


 そう言って、悠太は泣いた。




 ——数年が経った。

 大学を卒業し、私達はまだ付き合っている。

 平凡ながら、幸せな日々。

 既に、お互いの家族に挨拶も済ませた。

 きっと、私達は結婚するのだろう。


 あの夜以降、悠太と「磯田君」についての話はしていない。

 同棲を始めて暫く経つが、彼が心配していたような、夜中に叫びながら飛び起きる状況には出くわしていない。

 もう、磯田君のことは忘れてしまっただろうか?

 そうであればいいなと思う。


 お正月に実家に帰省した際、私は大切に保管していた『ねこねこランドの大冒険』を資源ゴミに出した。

 いつか自分に子供ができたら、読み聞かせしてあげたいなどと思ってもいた絵本だ。


 悠太がこの絵本を目にしたら、あの晩、私に話したことが——幼き日の忌まわしい思い出が頭をよぎってしまうかもしれない。

 それに、もしも仮に——あり得ない事だとわかっているが——カクや磯田君が、彼のイマジナリーフレンドではなかったとしても。


 それでも私は、やはり悠太に幸せになってほしい。

 私と一緒に幸せになってほしいのだ。

 たとえそれが、どれほど罪深いことであっても。

 悠太がそれを望んでいなくても。

 ——だから。

 彼に思い出を捨てさせる以上、私も何かを捨てねばならない。


 さよなら、にゃははうぺー。

 さよなら、磯田君。

 さよなら、私達の〝居ない友達〟。


 この胸の微かな痛みは、私なりのささやかな贖罪なのだ。

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イナイトモダチ 阿炎快空 @aja915

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