帰宅後。

 僕は自転車に乗って神社へと向かった。

 そこに行けば、カッちゃんに会える気がしていた。

 石段を登りきると案の定、カッちゃんが賽銭箱に腰かけ僕を待っていた。


「おめでとさん。よかったじゃねえか」


 祝福の言葉を投げかけるカッちゃんに、僕は意を決して尋ねた。


「ねえ、カッちゃん。僕が一位になれたのは——全部、カッちゃんの力なの?」

「ああん?」

「アンディーとザワっちが学校を休んだのは、裏でカッちゃんが、何かをしたからなの?」


 僕は俯いて、両の拳をぐっと握りしめた。返事を聞くのが怖かった。

 カッちゃんは眉間に皺をよせ、僕の顔をしばらく見つめた後——「キキキキキキキキキッ!」と、これ以上にないくらい可笑しそうに体を揺らした。


「何を言うかと思えば――そんな野暮なことしねえよ!」

「で、でも——」

「まあ聞け。ユウは別に、『めだる』そのものが欲しかったわけじゃねえんだろ?要は、情けないてめえ自身を乗り越えたかったわけだよな?だろ?」

「う、うん」

「だったらオイラの出る幕はねえや。あの二位のガキに勝ったのは正真正銘、ユウの実力さ」

「じゃ、じゃあ——アンディーとザワっちが学校休んだのは?」

「オイラは何にもしてねえよ。まあ、ユウの記憶を頼りに、ちょっくらそいつらの顔を拝みには行ったけどよ。ああ、オイラの姿はユウにしか見えねえから、心配はいらねえ。まず、怪我した方のガキ大将——ありゃあ、勝手に階段から足を滑らしただけ。骨が折れちゃあいたが、まあ、すぐに歩けるようになるだろうぜ。で、もう一人の顔の整った方だが——ありゃあ仮病さ」

「仮病?」

「おうよ。ユウが毎日走り回ってるのは、この辺りじゃあけっこう有名な話だったみたいだな」

「え、そうなの?」


 驚きはしたけど、田舎の狭いコミュニティーのことだ。そんな噂が広がっていてもおかしくはなかった。


「ユウは自分があいつに勝ってるところが想像できなかったみてえだが、向こうの考えは違ったようだな。ガキ大将が相手ならいざ知らず、ユウに負けるのは我慢がならなかったみてえだぜ」


 そこまで脅威とみなされていたのは驚きだったけど——確かに、プライドの高いアンディーなら無い話ではないと思えた。


「とにかく、片方はてめえの不注意で怪我をして、片方は逃げた。誰がなんと言おうと、ユウの勝ちだ。胸を張れって」

「僕の——勝ち——」


 呟く僕の視界が、じんわりと滲み始める。


「おいおい、何だよ、泣いてんのか?」

「な、泣いてないよ——ああ、そうだ」


 僕は手の甲でごしごしと涙を拭うと、照れ隠しも込みで、用意していたチョコバーを一本、ポケットから取り出した。

「望みを叶えたのに約束を破るのか!」とカッちゃんが怒り出す可能性も考えて、念のため家から持ってきていたものだった。


「おお、『ちよこれえと』だな!」


 カッちゃんは嬉しそうに賽銭箱から飛び降りると、


「周りのは包みは食えねえんだよな。知ってるぞ」


 と言い、太い指で器用に包みを開けた。


「これを待ってたんだよ。こういう風に誰かから貰ったもんじゃねえと、そっちの食いもんは食えねえからなあ」

「へえ。いろいろ面倒な決まりがあるんだね」

「まあな――おっと、こりゃあうめえや!」


 カッちゃんは大きな口でチョコバーをくちゃくちゃと味わいながら、夢見心地な口調で言った。


「ユウはこんなもん毎日食ってんのかあ。まったく、羨ましいぜ」

「そんなので良ければ、これからだって沢山あげるよ」

「気持ちはありがてえが、そういう訳にもいかねえのさ。オイラはもう、元の世界に戻らねえと」

「えっ、そうなの?」

「これも決まりでね。オイラが戻れば、この神社の〝綻び〟も消えちまう。そしたら、もう会うこともないだろうぜ」

「そっかあ……」


 せっかく打ち解けられたのに、こんなにすぐに別れなければならないのは寂しく思えた。


「そうしょげるなって。久々に〝こっち側〟に来れて、オイラも楽しかったぜ」

「うん……でも、どうせだったら何か一つ、ちゃんと願いを叶えてもらえばよかったなあ」

「はあ?何言ってんだ、ユウ」


 チョコバーの包みを背後に放り棄てながら、カッちゃんが怪訝そうに呟いた。


?」




「え?」

「何だ、気づいてなかったのかよ。ほれ——あのひょろひょろに痩せた青瓢箪みてえなガキ、学校に来てなかっただろ?」

「——磯田君?」


 どうしてここで磯田君が出てくるんだ?

 何だか、猛烈に嫌な予感がした。

 そして——その予感は的中した。


「お前よお、あのガキのこと、憎くて憎くて仕方なかっただろ?」


 大きな舌で口の周りを舐めながら、カッちゃんは言った。

 細かく尖った歯が、口内にびっしりと並んでいるのが見えた。


「そりゃあそうだよなあ。あのガキは、自分より後ろを走ってるユウのことを心配しやがった。格下の分際で、同情して気遣いやがったんだ」


 カッちゃんの真っ黒な瞳が、見透かすように僕を見つめていた。

 それまで愛嬌があって可愛らしいと思っていたカッちゃんの顔が、今では獰猛な獣のそれに見えた。


「ヘマをやらかした際、てめえと同じか、もしくは上の立場の奴にからかわれんのはまだいい。仕方のねえこった。けどよ――内心見下してた野郎にあんな目で見られちゃあ、そりゃあ許せねえよなあ」


 僕はその言葉を否定しようとした。「違う」と言いたかった。


「違わねえよ」


 僕の思考を先回りして、カッちゃんが言った。


「毎日毎日、走りながら思ってたんだろ?『あの野郎、ふざけやがって』って。頭ん中で、痛めつけたのも、一度や二度じゃねえよなあ。あの日の屈辱があったからこそ、一年間折れずに毎日頑張ることができた——そうだろ?」


 僕は、答える代わりによろよろと後ずさった。まともに立っていられなかった。

 これ以上は聞きたくない。でも、訊かねばならない。

 僕は震える声で、カッちゃんに最後の質問をした。


「い、磯田君を——どうしたの——?」

「なあに、安心しろって――」


 そして、カッちゃんは答えた。

 全く悪びれずに、明るい口調で。


「——もう、この世にゃあ存在しねえよ」




 気が付くと、僕は叫び声をあげながら、転がるようにして石段を駆け下りていた。

 背後でカッちゃんが僕を呼んだような気がした。でも、僕は振り返ることなく、必死で自転車を漕いだ。

 その日は夕飯も食べずに、布団を頭から被って、朝まで震えていた。

 それからしばらくの間、僕は学校を休んで部屋に閉じこもった。


 眠りに落ちると、決まって同じ夢を見た。

 僕は磯田君と二人で、持久走大会のコースを走っている。

 背後からは僕達を飲み込もうと、真っ黒な闇が獣の様な唸り声をあげ、まるで津波の様に迫ってきている。

 体力のない磯田君は、やがて苦しそうに息を吐きながら、ゆっくりと歩き始める。

 僕は一度だけ振り返るけど、少し迷った後、彼をその場に見捨てて走り出す。

 そういう夢だ。

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