第35話:大罪人

 ──あなたは、強い子だから。


 勝気だった性格が災いして、幼い頃からよくそう言われてきた。

 強い子だから、独りでも大丈夫。強い子だから、守らなくても大丈夫。強い子だから、放っておいても大丈夫。

 両親はだんだんと私の下を離れて、病弱気味な弟につきっきりだった。


 ……私だって本当はもっと甘えたかったというのが本音だ。

 でも言えなかった。両親を失望させたくなかったから。


 そして私は十歳になり、雷魔法の才が開花すると余計に両親は離れていった。

 だが私はその頃には両親に甘えることを諦めており、魔法の鍛錬や勉学に励んだ。

 休日は御伽噺やロマンス小説を読み漁り、主人公のように王子様が現れるのを夢みるようになる。


 ──そんな時だった、あの人に出会ったのは。


「ボルテッサ、こちらがライゼル殿下だ。挨拶しなさい」

「ぼ、ボルテッサ・エレクトラです。お会いできて光栄ですわ殿下」


 私がドレスを持ち上げて、恐る恐る挨拶をすると彼はふっと微笑んだ。それこそまるで王子様のように。その緋色の瞳に私はあっという間に吸い込まれた。


「よろしく、ボルテッサ嬢」

「は、はい!」


 差し出された手を握ろうとしたその時、


「お、おい! 急にどうしたんだ!」


 焦ったような馬子の声と同時に背後にいた馬が暴れだしたのだ。

 容赦のない鉄の蹄が襲い掛かってくる。私は咄嗟に身構えたが、その前に──後ろから、ライゼル様に抱きしめられた。


 瞬間、緋色の炎竜が馬に牙を剥く。馬はすぐに炎竜の威厳に怯え、大人しくなった。

 一瞬の出来事だったが、ボルテッサは己の身体が震えていることに気づく。怖かったのだ。だけどどうせ誰も守ってくれないと思ったから、己の力で対処しなければいけないと判断したから、身構えた。だけど、それをライゼル様が止めたのだ。


「大丈夫か、ボルテッサ嬢」

「どうして助けてくれたのですか」


 それは私が抱いた疑問。今まで両親でさえ自分を守ろうとしなかったのに。

 強い子だからと、親の責任を放棄できる便利な呪文を唱えて、私に背を向けてきたのに。


 するとライゼル様はむしろボルテッサが変なことを言ったかのように、


「女性を守るのは当たり前だろう?」


 そうさらりと言ってのけたのだ。


 その時、私は初めて恋に落ちた。ライゼル様こそ、私の王子様なのだと確信したのだ。

 だから、彼の妻になるために今まで必死に努力を重ねてきたつもりだ。魔法学園でも優秀な成績をおさめて、ライゼル様を幼い頃から想い続け、一番彼を知る私こそが彼の妻に相応しいと思っていた。




 ──あの女、ソノラ・セレニティがライゼル様と出会うまでは。




***




「ボルテッサ嬢? 大丈夫か?」


 名を呼ばれ、ハッとする。 

 ボルテッサは今王城の玉座の間から移動して、雷宮の私室にいることに気づいた。横にはあのライゼルが心配そうにボルテッサの顔を覗き込んでいた。いつもはこんな至近距離に近づいてくれない、むしろ自分を避けているまであるあのライゼルが、自ら近づいているのだ。ボルテッサの頬に熱が宿る。


「お姉様大丈夫?」

「え、えぇ。大丈夫よ。なんだか夢みたいで……。ほら、突然の出来事だったから。それにライゼル様が、こんな近くにきてくださるとは思わなくて、」


 林檎のようなボルテッサの真っ赤な頬に可愛い妹分であるエアリスがクスクス笑う。

 ライゼルがボルテッサの手をとり、真っ直ぐに瞳を見つめてくる。


「これからは一緒に過ごす時間が多くなることだろう。余の保護者として君に身を委ねるよ。改めてよろしく頼む」

「あ、ら、ライゼル様!?」

「まぁ、お姉さまったら顔が真っ赤よ!」


 エアリスがからかうようにそう言ってくるので照れくさくて俯いてしまう。突然ライゼルがボルテッサにこんな態度をとることに若干不気味さすらあるが、それよりも長年恋焦がれた相手の傍にいることができる幸せに嬉しさで飛び跳ねてしまいそうだった。

 話題を変えるかのようにボルテッサはこちらをニコニコ顔で観察しているコランを見た。


「それにしてもまさかあなたが第一王太子様だとは思いませんでしたわ。髪も瞳も変わっていたので……。今までの無礼は、」

「勿論不問だよ。僕の恩人であるエアリス嬢の従姉妹である君を不敬罪で罰するわけがない。それに君の従者としての生活は案外悪くなかったのでね」


 ドミニウス魔王国第一王太子、ブレイズについてはよく知っている。一時期は彼こそがボルテッサの婚約者にと推されていた人物だった。

 しかし彼が病弱だという噂が流れると、ボルテッサの両親はすぐにボルテッサをライゼルの婚約者にと推し始めた。なんとも欲に忠実な両親である。


「エアリス。そろそろ僕達は部屋を出ようか。突然の出来事で二人は疲れているだろうしね。休息を邪魔してはいけない」

「えぇ、そうですわね。ではお姉様。しばらくライゼル様とくつろいでくださいな。私とブレイズ様はまだ色々と話し合わなければならないことがございますので」


 そう言って、エアリスとブレイズは足早に部屋を出て行った。

 つまり、ボルテッサはライゼルと二人きりになる。二人きりになった途端、ライゼルがボルテッサの髪を撫でるので、ビクリと肩が揺れた。


「ら、らら、ライゼル様!?」

「すまない。君の黄金の髪が美しくてな」

「ライゼル様……一体どうしましたの? 少し前までは私よりもソノラ様を贔屓していらっしゃったのに……」

「ソノラ?」


 ライゼルはキョトンと首を傾げる。


「あぁ、先ほど投獄されたご令嬢か。彼女は……正直であまり好きではない」

「そう、ですか」


 自己中心的。ずっと目障りだった女が想い人にそう評価されており、内心ほくそ笑む。しかしそれと同時にとてつもない違和感がボルテッサを襲った。


「……そういえばエアリスに伝え忘れていたことがありました。少しだけ雷宮を離れますので、ごゆるりなさってくださいな」

「分かった。君を待っていよう」


 ボルテッサはそそくさと部屋を出て、さっそくエアリスとブレイズを探す。あのままライゼルと一緒にいると、幸せではあるがなにか大切なものを失ってしまいそうで部屋を出てきてしまった。根拠のない勘だが、ボルテッサは自分の勘はよく当たると自負していたのだ。


 そこで、エアリスとブレイズを雷宮を出た少し先で見つける。二人は話し込んでいるようだ。

 なんとなく会話を盗み聞きをしてみる。ほんの少しの好奇心だ。


「お姉様、喜んでくれましたわ! 次はお姉様に雷宮よりも大きな屋敷を贈りたいのです。聖宮を改築して新しいお姉様の宮にしようと思います」

「うん、いいんじゃないかな。すぐに手配してあげよう。……それにしても君は本当にボルテッサ嬢が好きなんだね」

「えぇ、お姉様は世界で一番美しく、カッコいい私の英雄ですもの!」


 ボルテッサはそんな可愛らしい妹分の言葉に頬を緩めようとしたが、一つ気づいたことがある。

 エアリスは風魔法の使い手だ。だから彼女は気配察知能力に優れている。実際、第一の試練の時には彼女のその能力を利用したことだってある。だがそんな彼女がこの距離で潜んでいる自分に気づかないのはどうもおかしい。


「──それで、それは君が結果に見合ったのかな?」

「えぇ、大満足ですわ!」


 ボルテッサは眉間に皺を寄せる。聞き間違いかと思った。


「忘れていないだろうね? これで君の望み通りにボルテッサ嬢とライゼルが結ばれたら、」

「もちろん分かってますわ。。それでいいのよね?」

「……契約をもちかけた僕がいうのもなんだけど、あっさりというね。怖くないの?」

「怖くありませんわ! この世にお姉さまより大切なものなんてありませんもの!」


 エアリスは満面の笑みであっさりとそう言い放った。そんな彼女に「君って狂ってる」と口角を上げるブレイズ。


 今の話が本当だとしたら。代償を支払って権力や力を与える話には覚えがある。悪魔だ。あのブレイズは、悪魔の類で間違いない。死者であるはずのブレイズが生き返ったというのもなんとも不思議な話だ。悪魔が関わっていると考えるとそれも納得できる。悪魔の闇の力は強大で、生贄次第では死者蘇生すら可能だと、悪魔学の教師が語っていたのを思い出した。

 つまりエアリスは──悪魔と契約するという大罪を犯してしまっている可能性があるということだ。この国では悪魔を召喚、契約した者は極刑だ。


 ──『この世にお姉さまより大切なものなんてありませんもの!』


 さきほどのエアリスの言葉を反芻しながら、ボルテッサはヘタリとその場に座り込み、気づけばポロポロと涙を流す。




「つまり、私が……あの子を大罪人にしてしまったということなの……?」

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前世でASMR配信者だった最下位令嬢は訳あり炎帝陛下を癒します! 風和ふわ @2020fuwa

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