第40話:終着(5)

「たしかに想像の部分は多いですけど、裏を取ってあります。たとえば、どんなにあなたを捜しても見つからなかった理由とか」


 驚くと、目を見開くらしい。常には眠たそうなまぶたが、すっきりと瞳孔を丸見えにする。


「結愛にも監視役、というか保護役が付いていました。でも彼女が家を出れば、もちろんそちらへ着いていく。あなたが牧添家を出入りするのは、そのときだ」

「よくご存知で」


 知られていると分かれば、動揺はないようだ。「いつからです?」と問い重ねる俺のほうが、きっと醜い熱を篭もらせた。


「以前、僕の家へ結愛を招待したあと、一年くらいでしょうか。家を解約したのも知ってるんでしょ? 彼女のところへ寝泊まりするようになって、必要なくなりましたから」

「招待と言うには乱暴だったでしょう」


 細間がまた、こちらへ身を乗り出す。いや違う、奴の腕を俺がつかんでいた。いつの間にかだ、反対の手へも固い拳が作られている。


「あのときはそうですね。僕も若かった」


 五年前の細間は、今の俺より一つ上。若かったと言われ、手を離す。指の駆動を疑いでもするように、グーとパーを繰り返した。


「だから腹が立って、彼らを殺しました。僕が一人で考え、一人でやったことです。僕の結愛に悪事を働いたんだから当然でしょ?」

「そんな言いわけ──」


 言いかけた言葉を詰まらせた。細間がベンチから立ち上がったからだ。同時に奴の手が尻のポケットに伸び、警察官としての習性が俺をも立たせる。

 ナイフでも取り出すか。身構えた目の前へ突き出されたのは、折り畳まれた紙片。


「なんです?」

「二人を殺そうと決めて、計画した紙です。だいたいこの通りに実行したので、捜査するのに手間が省けるでしょ」

「はあ……」


 観念したからと、そんな物まで提供する被疑者はなかなかない。どうしたいのやら咄嗟に見当がつかず、おそるおそるで紙片を受け取った。

 開いてみると、受講ノートみたいな緻密さで文字が並んだ。地図のようなものもあって、たしかに犯罪の計画書のように見える。


「おい飲むな!」


 突然の怒声に顔を上げた。叫んだ達先警部補と、細間も視界の中にない。

 見回す、と五歩くらいの先。空港の外壁へ向いた細間が、アイスコーヒーの紙コップを呷っていた。それを達先警部補が奪い取るものの、すぐに投げ捨てる。


「おい吐け! なに飲みやがった!」


 細間を押し倒し、馬乗りになる。手で口を強引に開かせ、警部補は中を覗いた。

 毒だ。すぐに察し、俺も走った。飲んだあとではできることなどないが。


「ベトナム行きはね、普通に結愛と旅行ですよ。同じ飛行機を取ろうにも、満席だった」

「今、そんなこたあいい。なに飲んだか言え!」

「ニコチンです。ひと箱分、煮詰めたのを。カプセル入りなので、効くのに少し時間がかかりますが」


 タバコひと箱分のニコチンを。三、四人分の致死量を飲んだ、と細間は言った。

 満面の。最高に美味しいケーキやステーキを最初にひと口、頬張ったような笑みで。


「救急車! 水!」

「は、はいっ!」


 新品のスマホは反応がいい。ロック画面から直にダイヤルするのは初めてだったが、すんなりとかかった。


「乗りませんよ」

「うるせえ。たった今から、お前は俺の保護下だ。お前の意思は関係ねえ」


 これだけ騒げば、人が遠巻きにし始めた。中には「要るんですか?」とペットボトルを差し出してくれる人も。

 ありがたく受け取り、細間のもとへ。こじ開けた口へ流し込む俺の脇に、駆け込む誰か。濡れた床に、涼しげなシャツの長い裾が浸る。


その俺の脇に駆け込む誰か。こじ開けた口へ水を流し込むのに濡れた床へ、膝をついて。


「剛くん! ねえ剛くん、なに飲んだの! ダメだよ私、剛くんが居ないと!」


 結愛が。

 タイトなパンツと彼女には大きめなリュックを担いだ、どこか南国へでも行く恰好の結愛が。


「ゆ……!」


 なにか、きっと結愛の名を呼ぼうとして、細間は咽せた。激しく咳き込み、溺れそうになる。

 口からペットボトルを外すと、激しい咳の間に間に結愛を呼んだ。


「ゆ、ゆ、結愛。なな、なん、なんで」

「どこでも着いていくから。牢屋の中だっていいんだよ。だから一人にしないで!」


 大粒の涙で顔じゅうをびしょびしょに濡らし、叫び散らす。細間とたしかに見つめ合う結愛を、俺は視界の外へ消した。

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