第39話:終着(4)
「居るなら簡単ですね。足跡でも見つかりましたか?」
「見つけるには見つけました。俺以外に二人分、と言えれば良かったんですが。少なくとも五、六人、探検でもしたんでしょうかね」
ホームレスなら常宿化しているはず。いわゆる素行不良者が、遊びに入ったのだろう。
「二人分しかなかったとして。その二人が仲良しだと、足跡から分かるんですか?」
「それは調べてるところです」
おそらくこの二つと絞り込み、調べている。しかし、きっと分からない。どちらの足跡もありふれた靴底で、どこで誰が買ったかなど追いようがなかった。それに俺なら、直ちに靴を処分する。
「じゃあ、お手伝いが居たのか分かりませんね」
「居たはずです。遠回りの順路を作るのも、一人では手間がかかりすぎる。二人でやれば簡単です、扉の鍵のどちらかはツマミを捻るだけですから」
「それは刑事さんの想像でしょ」
想像をして、実行可能であれば裏付けを取る。捜査とは、それを何回でも繰り返すことだ。と胸に思うだけで、悠然とも見える細間と議論することはないけれど。
「──この脱出ゲームについて、
「なんだか壮大になってきましたね」
茶々を入れる細間から、女だけイニシャルなのかとツッコみがない。もちろんこの男が、結愛を落とすようなことは言うまいが。
「Yさんは、不破という男にも狙われます。周囲をうろつくだけだった荒畑と違い、不破は直接的にYさんを襲おうとした」
細間の首が縦に動く。首肯か相槌か、区別はつかない。
「でも反対に殺されました。荒畑よりずっと前からYさんに付きまとっている、監禁男によって山中へ棄てられます」
「いいですね」
「なにがいいんです?」
「サスペンスドラマなんかになりそうで」
尻尾をつかませないが、首肯だったらしい。
「ドラマならいいんですが」
「脱出ゲームでしたね」
「──それでまあ、なぜ不破は殺されたんだろう。なぜ顔を切り刻まれたんだろう、と。不思議に思いました」
「ええ?」
細間の疑問の声が、瞬時に膨れた。俺のほうが辺りを窺い、気に留める人のないことにほっとする。
「どうして不思議なのかが不思議です。自分の恋人や奥さんが、って考えれば殺されて当然と思うじゃないですか」
「そう感じる人も居るでしょうね。私だって、それ以上ないくらい怒りますよ。でも本当に殺すかっていうと」
氷だけの紙コップを、細間は握り潰しかけた。上体を乗り出し、殺すまではしないと言った俺を覗き込む。
「そっちの刑事さんも?」
「そうなってみなけりゃ分からんが。たぶんな」
「へえ……」
背中の側へ振り返り、達先警部補にも訊ねる。
やはり否定されたことに細間は目を丸くし、笑いきれない笑みを浮かべた。
「それで結局、不思議は分かったんですか」
「時間稼ぎだと思います」
「殺すことが時間稼ぎ?」
「ああ、いえ、顔を潰したことが。実際に巡り合わせが悪ければ、被害者が誰だかまだ分かっていない可能性もあります」
勤めているのに、出勤しないことを同僚や上司が不審がらない。それでは孤独死になる人と同じだ。
「日本の警察は優秀って聴きますけど」
「気づくはずの人が気づかないと、さすがにです。おかげで監禁男は、必要な時間を稼ぎ出すことに成功したみたいで」
狩野社長は、間違いなくいい人だ。けれどもそれが裏目に出ることはある。
不破と荒畑の殺された理由を、どこまで説明するものか。逃げ出してもいいかなと少し考える。
「どうも分からないですね。必要な時間ってなんですか? 不破という人は、Yさんを襲おうとしたから殺されただけでしょう」
言わねばならない。俺の、この口で。
分かりきっているが、どうにも後送りにしてしまう。羽田までの車中、いつでも代わってやるという警部補の言葉もちらつく。
「協力者と二人して、海外へ逃亡する準備の時間です。正確には、荒畑を殺したあとまでかかったと思いますが」
「どれだけかかったんです? パスポートなら、一週間くらいで取れるでしょ」
「違います。必要だったのは心の準備です」
声なく、微笑んだまま。細間は頷く。
「不破を殺したのは監禁男でなく、協力者のほうでしょう。協力者の廊下やダイニングが、ワックスまでかかってピカピカでした。一人暮らしで、いつでもそこまで保っている人なんか居ません」
本当の殺害現場は、ルミノール試験を行えば分かる。致命傷は首の動脈で、そこらじゅうを染めたはず。
「顔がズタズタにされたのは時間稼ぎと言いましたが、刺傷をめちゃくちゃにするためでもあります。調べれば、女性が刺したのではと予測できますから」
俺にもコーヒーをくれ。できれば致死量のカフェイン入りで。
「監禁男は、一緒に逃げようと言った。しかし律儀な協力者は、うんと言わない。それで捜査を遅れさせ、説得する時間を作った」
おもむろに、細間は伸びをする。ほとんどを言い当てられ、観念しただろうか。
「だからあんたは荒畑を殺した。同じ罪を犯せば、結愛も折れるだろうと考えた。俺を閉じ込め、手の込んだマネをしたのは、結愛のパスポートを作る時間稼ぎだ」
荒畑殺しの翌々日、牧添結愛名義のパスポートが申請されている。受け取りは七日後とも記された、外務省への
さらに航空会社から、細間より四時間遅いベトナム行きの便に、牧添結愛の席が確保されている旨の回答も。
「凄いですね」
細間はくすくす笑いつつ、小さな拍手もした。
「認めるんですね?」
そのはずだ。刑事として、辿り着くべきところへやってきた。それなのに、問う声がなぜか早口になった。
「いいえ、凄い想像力だなと」
むしろゆったり、細間は答えた。滑らかに回る舌が、言葉を詰まらせる気配は微塵もなく。
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