第26話:執着の殺人(3)
「ねえ篤志くん。私たち、ずっと一緒に居られるかな」
結愛が言った。この間、同棲の話をごまかしたばかりなのに。
いや違う、彼女はこんなことを言わなかった。変わらず隣へ居てくれる結愛に、言ってほしいと俺が願っているだけだ。
「うん、一緒に居たいよ」
答えた俺の声が聴こえない。精一杯、恰好をつけて微笑んだのに台無しだ。
もう一度、今度こそきちんと伝えよう。俯いて咳払いをし、再び上げた視界は真っ暗だった。
どこへ行った? というか、ここはどこだ?
腰を低く、両手でゆっくりと辺りを探った。最近、同じようなことをした気がする。
まあ、結愛が居ないならどうでもいい。そろそろ課題を仕上げて、教授に出さないと。
課題? 教授? 達先──警部補。
そうだ、仕事をしなきゃ。
ふうっと暗闇が遠ざかり、ぼんやりした灯りに包まれた。
「そろそろ起きません?」
男の声。ざっ、と耳を擦る音と感触。頭を覆っていたものが取り払われ、ゆらめいていた俺の意識も現実を取り戻した。
開いた眼に、グレーの物体だけが見える。それがなにか考える前に、酷く身体が重く感じた。
脇にコンクリートの壁があって、もたれようと体重を傾ける。が、叶わない。
腕を伸ばした距離で硬い音がして、なぜかそこで俺の身体が留め置かれた感覚がする。
眼をしばたたかせ、ついでにこすろうとした手が動かなかった。グレーの物体の向こう、首を伸ばして覗く。
手錠がかけられていた。銀メッキの色の、いかにもオモチャという見た目をした。
太さのまちまちな鉄パイプが三本、床と天井を結ぶ。抱きかかえるように、俺の両腕は伸びていた。それで両の手首を繋げられたのでは、満足に動くのもままならない。
午後十一時四十四分。腕時計は健在で、時刻を確認できた。メモのできない今、きっちり憶えておかなくては。あとで書類を作るのに困る。
「……目、覚めました?」
左手から男の声。それでようやく俺は、ハッと身構えた。動けないでは、気持ちだけだが。
「おかげさまで、今」
誰だ、と悩む必要はなかった。首を巡らせれば五、六歩の距離に奴が居る。
天井も床もコンクリートの、五メートル四方はある広い部屋。およそ真ん中、パイプ椅子に座った細間と、対面して座るもう一人の誰か。
「良かった。頭でもどうかしたかと」
「あちこち痛いですけど」
「そりゃあ、こっちも驚いたんで。こんなところまで勝手に着いてこられたら、不意打ちくらいします」
細間は眉尻を下げ、心配する笑みを作った。うるさい、と怒鳴りたかったが呑み込む。
それは細間が、正面に顔を向けたから。この場に居るもう一人、見覚えのあるツナギを着た男はパイプ椅子に縛られている。
タオルで目隠しと猿ぐつわまでも。だがほぼ間違いなく、男の名を俺は知っていた。
「荒畑さんをどうする気です?」
俺の問いに応じるのは、細間より荒畑が先だった。うなだれていた頭をこちらへ向け、言葉にならない声で叫ぶ。
ガタガタと椅子ごと撥ねようとして、転びそうにもなった。
「うるさいですよ」
どこへ持っていたか、細間は包丁を突きつけた。二十センチ足らずの刃先を荒畑の上腕に当て、素早く横に動かす。
「うぐっ!」
「僕は騒がしいのが嫌いだって言いましたよね?」
同じように、二つ、三つ。腕に傷が増やされる。
荒畑はたちまち動きを止め、唸り声もやんだ。見れば袖を捲り上げた反対の腕にも、同じような傷がいくつかあった。
「この人をどうするか、でしたっけ。僕に問う前に、この人に訊いたほうがいいと思いますけど」
言いつつ細間は、包丁の腹を荒畑の頬へ当てた。あれでハキハキと話せる人は普通ない。
「ほら、荒畑さんはどうなるべきなんですか」
猿ぐつわが外され、金属の板が柔らかい肉を叩く。ぺちぺちと間抜けな音のたび、荒畑は身を縮めるばかりで、なにを言うこともできない。
「ほら」
「ぅあっ!」
先ほどより少し深く、刃先が食い込む。叫び声にか跳ねたパイプ椅子にか、細間は「うるさい」と同じ場所を刺す。
「分からないんですか? 自分がどんな人間か、声に出してみますか? それなら言えますよね。さっき僕に教えてくれたのを、もう一回です」
声を失った叫びも、細間は構わない。「早く」と刃先で頬をつつかれた荒畑は「お、俺ぁ」と告白を始めた。
「牧添さんが可愛くて」
「牧添さん?」
「ゆ、結愛ちゃんが」
元彼女の名前。きゅっと鳴るのは俺の奥歯。
「プラグ換えただけで、凄ぇ何回も『ありがとう』って握手してくれて。直せるのが凄いって褒めてくれた」
いつ、なんのときと補足はないが、細間は「ええ」と知った風に頷く。
「また来てくれねぇかなって思ってたら、店の前を毎日ほとんど通るようになって。それからずっと好きで」
結愛が狩野モータースを利用することは、二度となかった。しかし隣接する駐輪場を使う結愛は、荒畑の眼に映り続けた。
それはもちろん卒業までで、結局一度も声をかけることさえしなかった。
「また会いてぇって思ってたら、一回だけ来てくれた」
卒業して一年ほど過ぎたころ、結愛は駐輪場へやって来たらしい。狩野モータースにでなく、たぶん大学に用があって。
「もう会えねぇって思ってたのに会えて。なんだか収まらなくなっちまって、次は話しかけようって決めた。でも今度は何年も会えなかった」
震えた声は、己の恋心に浸ってとか照れたとかではない。そう思うと、俺の立場でどんな感情を保てばいいやら気持ちが悪い。
「そしたら半年くらい前、また会えた。絶対話そうって、手紙も持ち歩いてて、仕事場の出口までは行った。けど、言えなかった」
俺は卒業以来、大学へ行ったことがない。結愛はそう何度も、なんの用だろう。けれども狩野モータースや荒畑にでないのは間違いなかった。
そんなことで付きまとうなよ。俺の推測が当たっていたのに、憤りだけが湧き上がる。
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