第25話:執着の殺人(2)
剥き出しのパイプ、柱の凹凸。細間が振り返ったとして、どうにか身を隠す場所はそこここにある。音を立てぬよう繋いで進むのは、神経の摩り切れる思いがした。
なにしろ灯りは細間の持つのが頼り。撥ねた光が、後ろを行く俺にも、どうにか物の輪郭を判別させる。
靴下越しの靴裏に、硬い粒の感触が煩わしい。モルタルかタイルの破片、おそらくガラスも。
渇ききった土と埃の臭いも鼻を衝く。こんなところで転倒すれば、どんな目に遭うか想像もしたくない。
最初に管理人室のような部屋とエレベーターがあったきり、なにもない壁が続く。通路の行き当たりを細間が折れると、途端に闇が襲った。
真ん中をまっすぐだ。少なくとも鼻をぶつけるような障害物はなかった。
そう思うのに、探る手が数歩で壁に触れる。その手を目の前へ持ってきても、なにかあるというくらいにしか見えない。
こんな中では、優れてもいない平衡感覚が完全に麻痺していた。
歯を食いしばり、無意味に切れる息を殺し。逸る足を宥めてゆっくりと、摺り足のごとく宙を滑らす。
だんだんと、耳が冴えていく。いや、むしろおかしくなっていたのかも。
規則正しい細間の音が、少しずつ遠ざかる。靴下で消したはずの俺の踏む音が、耳もとに潮騒を聴くようだ。
俺と細間と、いったい何本の足が奏でているか分からなくなる。
──落ち着け、細間を捕まえるチャンスじゃないか。
部外者の立ち入りを禁ずるとは、どこかに記されていただろうか。あればそれだけで不法侵入を問える。
このまま追った先に誰かを閉じ込めているなら、もちろん監禁の現行犯。
「俺が……」
やっと、自身の手で奴を取り調べられる。
いつかそんな機会があれば。夢物語と考えていたことが、現実となりかけていた。
荒れた俺の息に静けさが戻る。辿り着いた通路の角、その先にもう灯りは見えない。
まだ足音は聴こえる。たたっ、たたっ、と二歩をワンセットに。
階段を下っている?
それなら追い詰めたも同然だ。こんなビルの地下に、複数の出入口などあるわけがない。
間もなく聴こえた鉄扉の開閉音で、LEDライトを点灯させる。
まっすぐな長い通路の一方へ、等間隔に鉄扉が並んだ。スタンドやバー、雀荘も入っていたらしい。大小の電飾看板が、あちこち転倒して置き去りにされた。
反対の壁は窓だが、発泡スチロールの板で潰されていた。風営法などなんのその、という気概に胸焼けがしそうだ。
ともあれ、急がねば。
足元だけでなく、天井からも配線や照明器具がぶら下がる。ちょっとしたジャングルだなと
あった。上と下とへの階段が。
通路はまた折れてどこかへ向かっていたけれど、細間が階段を使ったのは間違いない。手すりから乗り出して下を覗くと、やはり鉄扉が見えた。
どこか。少なくとも俺の近くで、なにか軋む音がした。
同時に強い光が、俺を背中から照らす。振り返った視界に映るのは、顔面に落ちてくる黒い影だけ。
眼を瞑ったのか開けたままだったかも分からないが、赤と黄色の閃光しか見えなくなった。
立ったままも堪えられず、おそらく足をもつれさせただろう。フッと重力を失い、直ちに強い衝撃と痛みが肩と背中を乱れ打った。
落下が止まると、波間を漂うようなふわふわした感覚。痛いとさえ、明確な思考はできなかった。
眩しい光が下りてくる。まぶたを閉じるのも思いつかず、光の中心を呆然と眺めた。
なにをかかぶせられ、今度は息苦しい。
自分の吐息と汗の臭い。蒸し暑い闇の中、いつしか俺は意識を閉じた。
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