第24話:執着の殺人(1)

 ──やらかした奴ってのは、寝床を探すもんだ。

 達先警部補に出逢って、最初のころに言われた。遠くへ遠くへ逃げればいいものを、実際に少しはそうする者も居るけれど。

 半数ほどは、寝転がれる場所へ潜む。それも叶わなければ、建物の中で座れる場所へ。


 おあつらえ向きの木賃宿のような場所も、二十年ほど前までは残っていたそうだ。

 今はどこか。

 普段、家に閉じ籠もる人間に野宿はハードルが高すぎる。ホテルはどこもチェーン化され、すぐに警察と連携するのは誰もが知っている。


 となると二十四時間営業のファミレス、スーパー銭湯などが定番だ。

 しかし前者は開けっぴろげで、後ろ暗い身につらい。後者は東松川市に存在しない。

 ゆえに、五分も離れていない国道沿いの。東松川市では唯一の、インターネットカフェにやってきた。午後九時四十二分だ。


「いえ。そのお名前では、本日のご利用はないようです」


 フロントの店員と話すこと一、二分。無惨に当てを外した。

 落ち込む暇はない。次はどこか、頭を働かす。

 パチスロ店や雀荘も定番だが、狩野社長の話からは立ち寄りそうに思えなかった。ならばゲームセンターか。


 いやそれも東松川市にあっただろうか。

 スマホで検索してみると、俺の不見識だ。幼稚園か小学生のころに何度か行った、古い商店街の中にある。

 また五分くらい。午後九時五十一分に、最寄りのコインパーキングへ車を駐めた。


 青果、駄菓子、鮮魚、精肉。煎餅も餅もそれぞれに看板を掲げる。

 今の今まで思い出すこともなかったのに、見れば懐かしいと感じる景色。時刻のせいか景気のせいか、九割がたはシャッターを下ろしているけれど。

 そのわりに数人連れの大人が、そこにもここにも歩く。ああ、そうか、飲み屋街があるのだった。


 三、四軒ごと。人ひとり通れるだけの小路が挟まり、店裏へ伸びていた。ここで追いかけっこをする羽目になれば、まず撒かれる。

 細くとも。いくらでも、何者も呑み込みそうな暗がりから目を背けた。


 目的のゲームセンターは、十数軒目。ほかの小路よりは広い、ションベン横丁とでも呼ばれそうな飲み屋街を蓋するように建つ。

 間口は二間程度だが、奥行きは長い。二階もあったはずだ、と残る十数メートルの足を早める。


 と。インベーダーの時代を引き摺ったような喧騒から、誰かが出てきた。

 閉店は午前〇時のはずだ。まさか件の従業員ではなかろうが、当然にしかと目を凝らす。


「……細間?」


 ほんの二十歩先。飲み屋街のほうへ向かう男の名が、俺の口からこぼれた。

 俺にとって多すぎる意味を孕む、ひらがなにして三文字の組み合わせ。眼をこすり、まばたきをした次には、怒声のための息を大量に吸った。


 しかし開いた口を、己の手で塞ぐ。指の隙間から静かに排気を試み、落ち着けと宥めた。

 場所が悪い。奴の土地勘は分からないが、デタラメにでも逃げるほうが有利すぎる。


 午後九時五十八分。赤と青のきらびやかな明かりの中、先日と同じTシャツと綿パン姿を追った。ちらほらと談笑する酔客はほとんどがスーツで、俺には紛れやすい。


「ぶっ殺すぞてめえ!」


 びりびりと鼓膜を震わす怒気が響いた。ハッと視線を走らせたが、どこからとは分からない。それに同じ方向から、大勢の笑声が続く。


「助けてぇっ!」


 違う方向から、今度は女性の悲鳴。意識を向けたものの、予想どおりに笑い声がかぶさった。

 酔った者同士のじゃれ合いだ。いちいち応じていては、二度と抜け出せない心持ちがする。


 細間の歩みはせわしかった。速いでもないが一目散という空気で、辺りを窺う気配もなく。

 その調子で飲み屋街はすぐに途切れ、雨染みだらけの雑居ビルばかりの通りに変わる。

 道も車の行き違いができる太さにはなった。もう少し行けば、距離を詰めてもいいだろう。


 細間以外に、歩く人の姿はほとんどなくなった。俺は革靴を脱ぎ、間合いを縮めすぎないよう、影から影へ走る。

 奴は相変わらず、なにをか目的の物だけを一心に見つめる風で歩き続けた。何度か路地を折れるのにも、まったく迷いがない。


 どこへ行く気だ?

 細間が住んでいたのは川越市で、本籍も同じく。そんな人間が、こんな時間に、うらぶれた街でなにをしようというのだろう。


「まさか」


 既にあの従業員を監禁しているのか。そう考えてから、いつの間に目的を違えたかと気づく。細間を押さえるのは、諸々の推測が裏付けされてからのほうがいい。

 ただし従業員のところへ案内するというなら、追わない選択はない。


 ほとんど言いわけでごまかし、追跡を続行する。細間はさらに路地を折れ、あるビルに入っていった。

 ほとんどが五、六階建ての中、そのビルだけは四階まで。反面、間口は倍近くのでっぷりとした佇まい。


 コンクリート色の外壁が黒と緑で斑に汚れ、重ねてきた年月を思わせる。路地へ突き出した看板は細かく何十軒も入る恰好だが、一つも残ったものはない。

 奥へ進む細間も、持参した灯りを照らしていた。


 午後十時十三分、持ち物を確認。

 警察電話の端末に、私用のスマホ。胸には三十八口径。キーホルダー型のLEDライトは、明るすぎるくらいだ。

 天井から配線がずり落ち、足元には崩れた壁材の欠片。漆黒の通路を、履き直した革靴に靴下を履かせて踏み込む。

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