第22話:おごめく(7)

 通話相手は寄依署の刑事課長らしい。細間と狩野モータースについて、ざっくりと話す。

 合間に何度か「申しわけない」と聴こえた。そのたび俺の股がぎゅっと閉じ、肩も背も縮こまる。


「じゃ、そういうことで」


 受話器を置く音を、背すじを伸ばして聴いた。俺自身は好き勝手にやったのだから、どうでもいいけれど。


「あの、なにかお叱りを?」

「ああ? んなこと気にするんなら、細間が細間が言ってんじゃねえ」

「すみません」


 また紙束が丸められ、俺の頭をいい音で叩く。


「東松川署へは言っとくってよ。そこからどう伝わるかは、向こう次第だ」

「じゃあ、なにも伝わらない場合も?」

「そうなっても、お前のせいじゃねえ」


 もし狩野モータースの誰かが死んでも、予測できるほど捜査が進んでいなかったと。そういう口裏合わせが済んだようだ。

 これ以上、俺が細間に拘らなければ。


「もし──」


 誰が狙われるのか、狩野モータースに行けば突き止められるかもしれない。ここまでの推測が合っていれば、当人には覚えがあるはずだ。

 そうすれば細間を追うのは俺の密命でなく、正式な捜査対象になる。


「あーあー、余計なこと言うんじゃねえ。いつも言ってんだろ、泳ぎ方は溺れて会得するもんだ」


 耳に指を突っ込み、達先警部補は背中を向けた。

 俺は静かに席を立ち、「行ってきます」と頭だけ下げる。しかしそのまま去ろうとして、「ああ、そうだ」と呼び止められた。


「お前の元彼女の」

「はい? あっ、先だっての件ですか」


 警察に疑心の目を向ける結愛が、これ以上の危険に遭わない方法。難題なのに、さすが答えを出してくれたのか。

 現金に喜び、警部補へ耳を近づけた。


「……いや、今言ってもしょうがねえや」

「ええ?」

「うるせえ。また教えてやるから、目先のことから片付けろ」


 しっしっ、と手で払われる。この人の言葉は信用するが、聴きかけたものは気になった。「ちょっとだけでも」と食い下がったとて、ムダだったが。


 三階へ戻りつつ、確認した腕時計は午後六時十六分。これから映像室を片付け、狩野モータースへ着くころは七時半を過ぎる。

 どうしたものか。考えたが、うまい方法が思いつかない。正攻法で狩野社長に電話をかけた。


「おそれいります。県警の、ええ、そうです。お電話で伺うことではないんですが、取り急ぎで確認したいことが」


 ワンコールと半分で出た社長は、俺の声にかぶさる勢いで「なんでも!」と叫んだ。今から不確実なことを問うので、落ち着いてと窘める。


「まだ仮説の段階です。もしこんなことがあったら辻褄が合うな、という予測の話です」

「そりゃあそうです。疑ってみなけりゃ、なにを問題にしていいか分かりゃしない。車だってそうだ」

「そう言っていただけるなら遠慮なく。不破さんの件に深く関わっている人物と、そちらの会社のどなたかに接点があるかもという」


 深く関わる人物とは、不破自身のことだ。不破が結愛を知っているなら、教えた誰かが居ると考えるのが自然だろう。


「それは犯人ってことで?」

「いえ。少なくとも今のところは、犯人でないと考えています。ただ事件について、なんらかの心当たりを持っていないかと。不躾な言い方をすれば、解決に近づくと期待しています」


 社長は勢い込んだ様子で、なにをか言おうとした。が、大きな深呼吸のように聴こえただけで、「誰を」と抑えた声で言った。


「狩野モータースさんで、バイクに乗る方は居ますか? 原付でなく」


 結愛が見たのはヘッドライトに照らされた向こう側で、車種などまったく分からない。しかしライトやウインカーの位置から、五十や九十CCでないと思われる。


「何人か居ますなあ。ビッグスクーターやら、リッターの者も」

「何人もですか」


 一人か二人くらいと考えていた。はや行き詰まったかと慌てたが、もしかしてと問いを重ねる。


「この一、二週間。有り体に言うなら、不破さんが休み始めてからこちら。そのバイクに乗らなくなった方は」

「うーん? そんなのは居ないですなあ。みんな通勤で使ったり、ツーリングに行くとか話して──」


 ほっとした雰囲気の、息を抜いた声が中途で止まる。なにか思い当たっただろうか。

 急かすことはせず、息を殺して待った。


「色を塗り直すと」

「色ですか。バイクの?」

「ええ、刑事さんの言うように二週間ほど前。不破が来なくなって三、四日経ったころから、うちの作業場へ置きっぱなしに」


 きっとそれだ。

 空いた左手を、ぐっと握りしめる。


「その方のことを教えていただけますか。最初に申しましたとおり、こちらもまだ推測の域を出ません。その方に失礼のないようにお訊ねしますので」


 分かりました、という社長の声がかすれた。

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