第21話:おごめく(6)

 息を呑む。

 現に殺人事件を扱っていても、やはりほかの犯罪と違う感情が湧き立ってくる。

 特に計画的に、しかも連続となると。


「細間は」

「ん?」

「そういうことをしでかしそうな奴ですか。あの細間って男は」


 アイスコーヒーが喉へ入っていかない。椅子に座ろうとすれば、デスク上に飛沫が散った。


「だいたい知ってんだろ、お前も」

「俺が知ってるのは、捜査書類でだけです。あれは数値化したような、誰が見ても観測できることだけです」

「当たり前だ。『こいつは助兵衛そうだからやったんだと思います』なんて、裁判官に叱られちまう」


 理解していなければ、司法書類の作成などできない。けれども今、問うのはスケベそうの部分だ。

 頷くと、達先警部補はカップをぐいっと傾けた。


「俺も直に調べたわけじゃないからな。捜査本部の取り纏めで居ただけで」

「ええ、知ってます」

「可能性で言うなら、百かゼロってとこか」


 考える素振りをしながらも、サラッと言った。

 やるかやらないか、どっちか。という意味だとしたら、答えていないに等しいが。


「ええと?」

「オタク気質っつうのか? これが大事ってもんと、そうでないもんへの執着が百とゼロなんだよ」

「──オタクに訴えられますよ」


 一応、窘める言葉を吐いた。だが言わんとするところは、よく分かる。


「あと、性格も。茶の一杯も出されれば、『すいません、すいません』なんて、なんべんも下げる頭が机にぶつかるくらいだ。かと思や獲物・・に関しちゃ、『あれは僕のですから』だと」


 モノマネというほどでないが、警部補は声色を変えて言った。細く震えるのと、低く引き締まったのと。


「大事なものを。獲物を奪われまいとするなら、ですね」

「俺にはそう見えたな」


 結愛の名を出さなかったのは、達先警部補の気遣いだろうか。俺にはそのせいで、毛を逆立てて威嚇する獣の姿が思い浮かんだ。

 たぶん不破は、獲物を横取りしようとした。そしてまだ、横取りしようとする敵が狩野モータースに居る。

 そう考える以外に、細間の辻褄は合わない。


「狩野モータースに注意を呼びかけないといけませんね」

「なんて言うつもりだ。細間は、お前の勝手な憶測で調べてるだけだろうが。誰かを狙う証拠どころか、奴が居たことすらお前の記憶だけじゃないのか」


 そうだ。不破の件は確定した気になりかけていた。少なくとも細間が殺したと断定できなければ、次の殺人も俺の妄想でしかない。

 こんな段階で危険を告知しようものなら、営業妨害で訴えられても仕方のないところ。もしくは従業員への名誉毀損。


「そうですけど。なにも言わないってわけにも」

「まあ寝覚めは悪いがなあ」


 警部補はやりかけの仕事から完全に手を離し、考え込んだ。俺も同じくのつもりだが、どうも頭の中が散らかっている。

 不破と細間の繋がり、狩野モータースの誰か。それに結愛の顔が次々に浮かんでばかりで、なんの答えも出そうにない。


 沈黙の時間が過ぎていく。

 捜査一課というこの部屋の中は、また新たに持ち込まれた事件によって慌ただしい。

 負けじと、ではないだろうが。達先警部補は丸めた書類を平手に打ち付け始めた。案外と小気味のいい音だが、それでもってすっきりとはしない。


「それ、照合結果じゃないですか」

「んん? 写しのコピーだ、気にするな。写しの本チャンは別にしてある」


 もうなにがせいなのか。ともあれ、コピーだからと乱雑に扱っていい道理はない。奪い取り、DNAの照合表を目に映す。

 塩基配列が云々という項目を読んでも、理解不能だ。分かるのは普通の日本語で解説した部分。


「髪、爪、精液……」


 遺留品として残りやすいスリートップ。髪は言わずもがな。爪は思わぬところへ飛んでいたり、本体が腐敗しても変質しにくい。精液は主に性犯罪で。


「精液?」

「なんだ。人のシモが気になるのか」

「いやその、自宅ですよね。ティッシュかなにかから?」

「どっかに書いてあるだろ」


 少ないページを捲ると、あった。詳細は捜査報告書を参照となっているけれど、ゴム製避妊具内から採取と。

 さらに髪の毛も、三人分の女性の物を除いたと書かれている。


「これ、頻繁に連れ込んでたってことですよね」


 指さし、突き出す。距離を調節する暇を置き、「だな」と首肯が返った。

 そうなるとまた、妙なことが一つ増えてしまう。同じ結論に達先警部補も至ったようで、「んん?」と唸った。


「俺の偏見ですけど。女性を取っ替え引っ替えで連れ込む奴が、誰か一人のストーカーなんてしますかね」


 しない、と警部補も首を振り、警察電話の受話器を取った。

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