第19話:おごめく(4)

「この名簿は、お客さんを必ず登録するんですか」

「そうでもないです。走行中に調子が悪くなって、たまたま来たとか。一見のお客さんにまで名前は訊かないんで」


 その代わり車両番号を。つまりナンバープレートで登録をする、と狩野社長。


「責任の確保ってやつです。あとでクレームがあっても、うちでやった仕事か分からなくなりますんでね」

「その登録は奥さんが?」

「そうです。担当した従業員が伝票に書いたのを見て」


 すると結愛も、スクーターの番号で登録されている可能性は残る。一桁とて憶えていないけれども。


「あと、別の刑事にも訊かれたかもしれませんが。不破さん当てにか、なにを目当てか分からないような、客でない人間が来るようなことは?」

「そりゃ、飛び込みの営業みたいなのは来ますけどね。除くなら、あるようなないような。機械いじりってのは、道行く人にまあまあ覗き見られる職種なんでねえ」


 たしかにと頷いた。俺もまったく詳しくないし、整備に憧れたこともない。だがスケートボードみたいな板で車の下へ潜るとか、ドアやらボンネットやら取り去るような場面は「おっ」と目を向ける。


「要するに不審なやつってことでしょう?」


 なおも社長は「うーん」と考え込んだ。不破のためなら、という言葉は本心らしい。ただし、やはり思いつかないようで、急に事務所の窓を開けて叫んだ。


「おーい荒畑! ちょっと来てくれや!」


 どこへ居たのか、巻き舌の彼が駆け足でやってくる。


「不破はちょっと、人を食ったようなとこがありましてね。でも荒畑とはウマがあったみたいで、昼飯なんか一緒に食ってましたから」


 不破はバカだと社長は言っていた。人を食う、荒畑とウマが合う。ヤンチャ仲間か、と想像をした。


「いや社長。俺もからかわれてたクチっすわ」


 バツの悪そうに頭を掻き、荒畑が事務所へ入った。「ああ? お前が六つ七つ上だろうに」という社長のツッコみにもまた「いやまあ」と歯切れが悪い。丸坊主の男の子へとは、随分と態度が違う。


「不審なやつ? 朝の刑事にも言ったですけどね。そんなのいちいち憶えてないっしょ、ですよ。フェンス越しに覗かれるのとか、毎日だし」


 同じ問いに、独特の巻き舌口調と敬語めいたものの混ざった回答。荒畑の視線はちらちらと狩野社長を窺っていた。


「そうじゃなくて。ほれ、仕事終わりに一緒に帰ったりしてたろ」

「え? ああ、コンビニに行ってただけで、そっからは別々に。そのあと不破を追いかけてく奴とか居たら気づいたかもですけど、あからさまなのはなかったと思うですよ」


 得るものはなかった。社長も「そうか」と肩を落としたが、すぐまた「なにかあるだろ、よく思い出せよ」と食い下がる。


「いえいえ、そこまでは。私の帰ったあと、フッと思い出すなんてこともあるかもしれません。そのときにまた」


 名刺を二枚、デスクに置いて事務所を出ようとした。が、もう一つ問うてみる。


「不破さんは通勤とか、普段の足はなにを?」

「徒歩です。足と言いますか、その──警察の方に言うのもアレですけど。夜、峠の道を走るような車も」


 これは社長が、額の汗を拭く素振りで。もちろんこの場で「けしからん」などと言うほど俺もバカでない。


「二輪ではなく、四輪ですね? ありがとうございました」


 午後一時三十二分。コンビニでデータも受け取り、県警本部へと車を出発させた。防犯カメラの映像を見るには、そのほうがいい。


 不破は結愛に付きまとっていない?

 いや不破自身のバイクとは限らない。借りたとか、盗んだとか。すると、ここ二週間ほどで発見された拾得バイクや盗難バイクを調べるべきか。

 どうやって? ほとんどは持ち主に返されているはず。一人ずつ当たってもいいが、洗車でもされていればお手上げだ。


 ダメだ。不破の乗り物は棚上げにして、結愛に連絡してみることにした。午後二時七分、グループで登録されたアイコンから通話を選ぶ。


「どうしたの? 仕事中だよね」


 イヤホンを通じた結愛の声は、直に聴くのとまた違う。俺の心配をしてくれるらしい言葉にも舞い上がりそうだ。


「教えてほしいことがあって。前に乗ってたスクーターのナンバー、ナンバープレートの。分かったりするかな」

「どうかな、調べれば分かるかもしれないけど」

「分かったら、チャットで送っといてもらえる?」

「うん、分かったらね」


 なんのためにと結愛は訊かなかった。俺は仕事中で、彼女は休日。たぶんそういう理由だろう。


「あと……狩野モータースって知ってる?」

「狩野モータース?」

「うちの大学の門から、百メートルくらいのとこ。車の整備とかする」

「あー、あったね」


 できれば結愛には、確定したことだけを伝えたかった。けれども不破との繋がりは、彼女自身の記憶に頼るのが最善のようだ。


「行ったことある?」

「うーん? あ、あるかな一回だけ」

「えっ?」

「スクーター買って、初めて大学まで乗って行ったとき。動かなくなっちゃって、押して歩いてたらそのモータースがあって」


 自動車ばかりだったが、中にオートバイもあって、ダメで元々と頼んでみた。

 どうやらそれが、あの日。二年生の最初の授業の日であるらしい。七年と少しの前になる。


 通話を終え、十分ほどして。結愛からのチャットが通知された。間もなくの所沢インターを降り、信号待ちで盗み見る。


 午後二時二十分。結愛が自分で撮ったらしい、ピンク系のパステルカラーをしたスクーターが写真で届いた。きっちりナンバープレートも読み取れる。

 午後二時三十四分。県警本部の地下駐車場で、狩野モータースへ電話をかけた。


「おそれいります。ええ、先ほどお邪魔した。電話越しのお願いで申しわけないんですが、車両番号での登録をされているか調べていただけますか」


 どうもおかしい。快く引き受けてくれた、奥さんは別として。


「ない? 登録されていないんですね、ありがとうございます。確認ですが、車両番号でも登録されない可能性は」


 狩野モータースの奥さんは、皆無と答えた。

 奥さんが入力の元とする売り上げ伝票に記載がなければ、社長が厳しく指導をするからと。

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