第13話:はなすべき相手(6)

 土砂降りというまででない、傘なしではずぶ濡れになる雨。どこを向いても果てしなく雨雲が続く。

 雨を嫌うほうでないが、出歩くのに億劫なのは間違いなかった。他人の敷地、建物へ入るとなればなおさら気を遣う。


 聞き込みリストは住所の順に並んでいた。上から一つずつで、およそ効率的に回れる。

 それでも同じ町内で、多少は行ったり来たりが発生した。普段なら「いつか終わるさ」と言えるのだけど、どうも今日は違った。


「二週間以上も出勤していない人は居ませんか? 差し支えなければ、出勤表も見せていただけると助かります」


 判で押すように問い、隙を見て細間という名の在籍もたしかめる。十五、六軒目までは数えたが、もうその二倍でも利かないはず。


「なにかの事件? 令状ってのがないなら、協力しなくてもいいんだよね?」


 なんて返答も、たまにはあることだ。たいていは、過去に駐禁で捕まったとかの理由で。


「ええ、どうしても嫌だと仰るのを強制的にではないです。ただ、『教えてもらえませんでした』では済ませられないので、次は公式の書類でお願いすることになります」


 その場合、回答の義務が発生する。結果は同じだから、お互いに手間を省けないだろうか。

 威圧的にならぬよう。お願いすれば、聞き入れてもらえなかったことはない。

 だから、あせる必要はないのだ。


「居なかったら……」


 細間が。

 どこまでも尋ね歩いて行き当たらなければ、次はどうしたらいいのか。早く、俺の直感でなくしたかった。

 きっとあの遺体に、奴は関わっている。どこかで名前が出てくれば、その可能性はおよそ確定だ。


 名前が出てこなければ。もし関わっていないのなら、関係ないという証明は難しい。厭らしい細間の顔をちらつかせながら、真犯人を追う羽目になる。


 細間に間違いない。運転免許を失効し、奴の名義の車両も存在しない。

 ついさっき、レンタカーの記録にもないと達先警部補から連絡があった。そんな奴が、どうして寄依町へ居たと言うんだ。

 言っては悪いが、わざわざ公共交通機関で赴く用などない場所。


「居るって」


 重いため息を、そう呟くことでごまかした。

 時刻は午後六時五十一分。俺自身はまだまだ動けたが、訪ね先に迷惑になる。次で最後にしようと、車を走らせた。


 午後六時五十八分、狩野かりのモータースという看板を見上げる。

 住所でなんとなく察していたが、俺の卒業した東松川市立大学のすぐ傍だ。門までちょうど百メートルほど。

 隣に児童公園と、併設された市立の駐輪場。大学にバイク用の駐輪場が足らず、すぐ近くの駐輪場へ駐める学生もあると、たしか聴いたのを思い出す。


 狩野モータースを囲む、防球ネットめいたフェンスは記憶の景色にある。しかしこの店舗自体は、昔からあっただろうか。

 考えるより、問うたほうが早い。あちこち黒染みだらけのコンクリートに足を踏み入れた。整備中と思われる車が三台、燃料タンクの外されたオートバイが一台。


「おそれいります、埼玉県警の者ですが。ちょっと教えていただきたいことがありまして、責任者の方はいらっしゃいますか?」


 天を塞ぐ半透明の波板が、たぱたぱとうるさかった。警察手帳を平手で差し出し、スズキの軽を拭く男性に声をかける。「えっ、あっ」と、俺の存在に初めて気づいたらしく、慌てて転びそうになった。


「驚かせてすみません」

「いえ全然。なんですっけ?」

「社長さんとか店長さんとか、責任者の方は」


 高校を卒業して間なしという雰囲気の、丸坊主の男の子は「うーん、今日は居ないんですよね」と頭を掻いた。けれどもすぐ、「荒畑あらはたさーん!」と奥に叫んだ。


「すんません。どっちみち僕じゃ、なんも分かんないんで」

「ああ、うん。ありがとう」


 車がリフトアップされた作業場から、誰か姿を見せた。「なんだぁ?」と応じ、男の子も「警察の人です!」と答える。

 揃いのツナギ。荒畑と呼ばれた男性は、短い声にも巻き舌の癖が見えた。いわゆるヤンチャをしていた人種によくあるアレが。


「警察ぅ?」

「ええ、ある事件の被害者について調べてまして。該当する人が居ないか、教えていただこうと」

「あぁ、そんなんか。いいすよ、誰?」


 下から睨め上げる視線が解除された。三十歳前後に見えるのだが、まさかまだ暴走行為でもしているのか。


「責任者の方は居ないと聴きましたけど、問題ないですか」

「うん、今日残った中じゃ俺が上っしょ」


 それなら、と。今日何十回目かの定型文を繰り返した。


「二週間以上──」


 思い当たるらしい。荒畑のまばたきが、三回分飛んだ。やがて速いまばたきが五、六回。丸坊主の男の子を呼ぶ。


「おい、不破ふわの奴っていつからだっけか」

「ん? 不破さんは五年目って聴いてますよ」

ちげえ。あいつ休んでっだろ」

「ああ。十日、いや先々週の月曜だから、三週間になりますね」


 ぴったりだ。しかし表情を殺し、変わらぬ声を作る。


「そんなにですか。普通に考えると、なにしてんだって騒ぎになると思うんですが」

「いや? ウチはみんな、昔は悪さしてたとか、イジメられて学校辞めたとか、そんなんばかりだからよ。たまに、ひと月くらいフラッと居なくなる人もな」


 荒畑は腰からタオルを取り、油で汚れた手を拭う。洗ってはいるのだろうが、積み重ねた染みがマーブル模様のようだった。

 同意を求められ、丸坊主の男の子も頷く。


「ですね。でも不破さんは、長くて二日くらいかな」

「だな」


 短く答えた荒畑が「で?」と。「終わりなら、仕事に戻るけど」と続けた。


「すみませんが、その不破さんの持ち物はありませんか」

「あるっけか」

「ええと、コーヒーカップくらいなら」


 すぐにでも取りに行く気配を見せた坊主頭を、「いえ」と止める。


「自宅を教えてもらうことはできますか?」

「悪い、そりゃあ俺らじゃ分かんねえ。この近くとしか知らねんだ」


 人事書類はきちんと保管されているようだ。正しいが、今はもどかしかった。


「じゃあ、責任者の方の連絡先を教えてください」

「構わねえよ」


 請け負ったものの、荒畑は作業場に足を向けた。残った丸坊主の男の子へ、事務所を指さして見せて。

 携帯電話の番号を教わるだけだ、もちろん不都合などない。ついでに「細間って人、ここに出入りしてたりしますか」とも問えた。


「細間さんですか? うーん、僕は知らないですけど。荒畑さんにも訊いてきましょうか」

「いえいえ、十分です」


 こちらは当たらなかった。出かけた舌打ちを噛み潰し、丸坊主の男の子に礼を言う。

 不破という男性について、先輩の係長に報告しなければならない。


 午後七時二十四分。狩野モータース前から車を動かし、書き留めたメモの汚い部分を書き直した。

 さて、と警察電話の端末を取り出したとき。私用のスマホの着信音が鳴った。

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