第7話:最初の事件(6)

「失効してる?」


 スーパーで買い込んだ四割引きの握り寿司を、手づかみで口へ。最初の一つを飲み込んだのが、午後六時十七分。

 車を停めたついでに、細間の運転免許を照会してみた。しかし記録は残っているものの、有効期限を過ぎている。

 住所は川越かわごえ市。結愛を監禁した、当時の自宅のままだ。


 押しかけたとて、なにを調べる権限もない。

 出合い頭、寄依町で死体を捨てただろうとぶつけてみる手はある。が、上策とは思えなかった。


「あれ、免許がないってことは──」


 車を運転できない。となると死体を運ぶことが難しい。

 そう考えて、否定の方向に首を振った。これは警察官的な発想だ。免許証がなくとも、運転技術まで失われるわけではない。


「現場かあ……」


 とりあえず、どうもできないのなら次の糸口を捜さねばならない。残る寿司を口に押し込み、車を動かした。

 とはいえ、これから現場へ行ったのでは真っ暗になる。押して一人でうろついて、怪我でもした日には目も当てられない。

 では、どうするか。悩みながら首都高速へ乗ったのが午後六時二十八分。


 林道の通過車両のチェックは行われているだろう。付近を半日の聞き込みで、なにか成果はあったろうか。

 やはり、その辺りを捜査本部で確認してからだ。整理をつけて間もなく、ふと標識に目が留まる。


 次の出口を示す緑色の案内標識に、東松川の文字。

 さいたま市から寄依町までの、およそ中間。なにも考えぬようにして、やり過ごす。けれどもすぐ、残り一キロの標識が姿を見せる。

 さらに、残り五百メートル。


 ちらり。助手席を見るが、当然に誰も居ない。時計は午後七時九分。

 俺の腕が、ハンドルを左へ回した。


 寄依町と違って、幹線道路から田畑は見えない。ドンキのような大型店舗と、普通の一軒家が同じ通りへ並ぶ。

 最後に帰ったのは二年前の、俺の実家を素通りした。そこからバスで二十分の距離に、東松川市立大学はある。

 さすがに車へ乗ったままでは、キャンパスの様子は窺えない。怪しまれない程度、ノロノロと行き過ぎた。


 さらに十分走って、結愛の家。監禁事件以来、初めてやってきた。

 目の前を過ぎたが、灯りは見つけられない。結愛も家族も、まだ帰っていないのか。

 五十メートルほど離れた反対車線に車を止めた。また、細間が結愛を狙っている可能性はあるだろうか。あったとして、林道の遺体との関連がない。


 これは私情で妄想だ。分かっていても、暮れた街並みに細間を探さずにはいられなかった。

 午後七時五十五分。停留所にバスが止まり、そこから誰かが歩いてくる。パンプスの音、ビジネススーツ。

 結愛だ。


 細かな表情までは読み取れない。なんだか疲れて見えるが、仕事帰りだからかも。

 パステルカラーのスクーターは手放したのか。

 髪は少し長めに変えたらしい。顔の輪郭や全身のシルエットは少し丸く──変わらず可愛らしい。


「気をつけろよ」


 と言えば、会う口実になるか。

 なるわけがない。うなだれて、残っていたお茶を飲んでごまかす。

 五分ほどで、通りに面した窓へ灯りが点く。格子付きの小さめの窓は、風呂場と思える。


 なにやってんだ。


 結愛はもう、俺の彼女ではない。刑事の仕事でもないとなると、今の俺はなんだ。

 謝るのさえ、自己正当化のようで怖気がはしる。すぐにUターンをしようと、サイドブレーキを外した。


 それと同時、着信のバイブレーションを感じた。私用のスマホの。

 サイドブレーキを戻し、画面を見る。通知はチャットアプリのもので、相手は賀屋。


【忙しかったらごめん。警察の中洲川に相談したいことがあるんだけど、時間ってとれる?】


 警察の、と。但し書きに眉を動かした。


【しばらく休暇とかは難しそうだけど、なにかあった?】

【やっぱり忙しいんだ。ちょっとも無理?】


 返信すると、先読みしていたような速度で返ってくる。


【そんなに緊急なら、どうにかするよ。相談ってどんな?】

【えーと、会ってからというか。中身まであたしからはちょっと】

【ん? 賀屋のことじゃなくて?】


 家族か友達に頼まれて、警察官を紹介という話らしい。正直なところ、俺という個人に頼まれても大したことはできなかった。良くも悪くも警察という組織は融通が利かない。

 だが、悩みごと相談のようなことで解決できるのなら。それでは済まない状況で、速やかに被害届を出せとでも言えるのなら。

 あとで悔やむのは、二度とごめんだ。

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