第21話 幕引きの黒

「彬か」


やがて、冬夜の目にはっきりとその姿が見える距離まで近づくと、彼は足を止め、冬夜とその足元にある灰の山を交互に見比べる。


「悪い、少し遅れちまったみたいだな」


「いや。むしろ丁度いいくらいだ」


「それなら良かった」


屈託なく、彬は笑う。彼によく似合う、明るい笑顔だった。


「しっかし、京花ねえさんはともかく、冬夜もだったか……」


「そう言う割には、あまり驚いていないようだが」


「あぁ。何ていうか、ただもんじゃないって雰囲気は最初に会った時から感じてたよ。思えば本能的な恐怖、ってやつだったのか?」


ぽりぽりと、頭を掻きながら困ったように彬は言う。


「まぁ、ぶっちゃけるとさ。お前が敵だってちゃんと知ったのは今日じゃないんだよな」


「それで落ち着いてるのか。いつ、知った?」


「ほら、あの廃ビルで」


「あぁ。あの時オレに猫の死骸ぶん投げてきたのはお前だったか」


その時の事を思い出したのか、冬夜は顔をしかめてみせる。

二人は、まるで世間話でもしているかのようだった。


「あぁ。あの時は焦ったよ。どうにか逃げ切ったけど、バレたんじゃないかって、ずっと不安で夜も眠れなかった」


「それは杞憂だったな。オレも京花も、気付けなかった」


彬が苦笑を零すと、釣られたように冬夜も僅かに頬の筋肉を震わせた。

もっと、彬と話したかった。こんな事になる前に話しておけば良かったと、冬夜は心の奥底で後悔を噛み締めていた。

京花もそうだ。冬夜は彼女が嫌いではなかった。

人を食ったような態度はいちいち癪に触るし、妙に親しげにからかってくるのも鬱陶しかった。

だが、それら引っ括めて彼女のことが、嫌いではなかった。彼女のわざとらしい関西弁が二度とは聞けない事が、彼女の悪戯っ子のような笑顔が二度とは見られない事が、悲しくて堪らなかった。

桜もそうだ。妹思いな彼女が嫌いではなかった。

自分の作った料理を美味しいと言って微笑み、彼の話に驚いてみせる彼女が嫌いではなかった。“もう一度自分たちとはじめよう”、最後に彼女が言ってくれた言葉が、耳に残っている。

あれはその場を収めるための方便だったのかもしれない。それならそれでも構わない。それでも、あの一言は、たまらなく嬉しかった。

嫌いな奴なんていなかった。

何故、もっと皆と話せなかったのか。何故、自分はこんな道しか選べないのか。どこで間違ったのかさえも分からない。

分かったところでやり直しなど効くはずもないのに、答えが欲しかった。


「さて、それじゃあ……」


「あぁ」


溜息をついて、彬は真剣な表情を浮かべる。今までに彼が見せたことのない顔だった。


「言い残すことはあるか?」


問いかけながら冬夜は一歩踏み出した。そのしっかりとした歩みは止まらない。


「そうだな……いや、いいや。いや、待てよ。いや……いや、」


「どっちだ」


「悪い悪い。最後に一つ話をしても良いか?」


「聞こう」


時間はもう残されてはいなかった。それでも冬夜は頷いて、静かに待った。


「あの時、さ。……俺が死んだ時」


ぽつりぽつりと、彬は語り始めた。それはさながら独白のようであった。


「俺と、桜……二人だけでちょっと遠出してさ」


「遠出?」


「まぁ、遠出なんて言っても、電車で一時間くらいのもんさ。長らく桜とは一緒だったけど、二人だけ、なんて数える程もなくて、柄にもなく緊張してた」


「意外だな。幼馴染なんじゃなかったのか?」


「幼馴染だからさ。小さい頃は親が一緒だったし、京花ねえさんや夢もいたから」


「そんなものか」


「そんなもんだろ。少なくとも俺達はそうだった。みんなして昔からずっと一緒で、きっとこれからもずっと一緒なんだって思ってた」


そこまで言って彬は一息をつくと、決心したように、


「だから、俺が桜の事を好きになったのも、当然の流れだったのかもな」


風が、二人のあいだを吹き抜けた。春には似合わない、冷たい風だった。


「……つまり、デート、とかいうやつの真っ最中だったわけか」


「まぁ、な。デート……少し違うかもしれないけど。あの時はまだ、俺の片思いだったわけだし。……あの日、俺は、桜に告白するつもりだったんだ」


冬夜にとってもそれは意外な事だったらしい。彼は驚いたように目を瞬かせる。


「正直、あの日、何を見に行ったとか、何して遊んだとか、ロクに覚えてないよ。頭の中は思いを告げることばっかりで、大分パニクってた。で、結局何も言えないまま、時間だけが過ぎてって、気がついたら帰り道。丁度今くらいの時間になってたんだよ」


彬が苦笑する声が聞こえた。否、あるいはそれは嗚咽だったのかもしれない。


「そんな時になって、ようやく言えたんだ。ムードもへったくれも、何もなかったけどさ。多分、一生分の勇気とか振り絞って、やっと、言えたんだ」


暗闇の中、彬の表情は冬夜にはっきりと分からない。笑っているようにも、泣いているようにも、捉え方によっては如何様にも見えた。


「桜は、一瞬、きょとんとした顔してさ。そんでちょっと考えてから困ったみたいにはにかんで……」


空を、見上げる。厚い雲に阻まれた空には、月さえも浮かんではいなかった。


「そんで、二人まとめてあの事故に巻き込まれたんだ」


「ッ……!」


「そこから先は……言わなくてもいいか。どうせ、俺はあの時死んだんだから」


彬は深い溜息をついて向き直る。彼の顔に浮かぶのは、どうしようもない諦観だった。


「……桜に、答えは聞かなかったのか?」


それは、二度目の生を得てからの事だった。冬夜の問いかけに、彬は肩をすくめて、


「もう一回、おんなじ事聞くのか? 格好悪いって。それに、俺も桜も、もう死んでるんだぜ? 答えに意味なんてないだろ」


ぎりぎりと、奥歯の軋む音がした。砕けるのではないかというほどに歯を食いしばり、黒衣の少年はうつむく。

あまりに、救いがなさすぎた。

何故、彼らがそんな目にあわなければならないのか。考えたところで答えなど出るはずもない事を、しかし考えずにはいられなかった。

その考えを振り切るように、津川冬夜は一歩、友人に向かって踏み出す。


「ついでに最後にもう一つ。桜はどんな風に逝ったんだ?」


至近距離から目を見つめて彬が問う。黒衣の少年は一度開きかけた口をつぐんで、目を伏せながら、


「……自分の最期を認めて、安らかに眠ったよ」


「そっか。冬夜が言うんなら信じるぜ」


満足したように頷くと、彼は目を閉じて感慨深げに、


「全く……二回も死ぬなんて、そうあるもんじゃ、」


冬夜が彬の横をすれ違う。

風の畝ねる音がした。冬夜が右の手刀を一閃させた事で生じた音だった。

彬は最後の一言を言い切る事ができなかった。

断たれた首が地面にたどり着く前に、彼の体は灰となって風に舞った。

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