第3話・第三問
その日は月曜で土曜・日曜と休日で毎日一花と放課後会話をするようになってから最初の週末をはさんだこともあり、梨花は少しばかり緊張していた。前回のチャットでは変な話をしてしまった気がするが、それでも一花は梨花のことを許容してくれたのだから安心していいはずなのに夢だったかもしれないと慎重な梨花は疑ってしまう。何度も失敗を繰り返した結果、梨花は素直に物事を信じられない部分があった。
授業時間が終わって部活のルームに移動すると、今回は一花の方から話しかけてくれた。ぴろん、と通知音が鳴ってプライベートチャットの通知と画面が表示される。梨花はチャット画面に表示されている文字を見て入力欄に挨拶を返す。
「梨花ちゃんこんにちは」と表示されているから「一花先輩こんにちは」と返事した。
苗字で呼び合っていたのが急に名前呼びになると慣れなくて戸惑う。まだ二度しか話をしたことがないのに、急に距離を詰めすぎではないだろうかとも思う。
けれど一花は梨花の心中を知らずに、変わらない柔らかな文章で会話を始める。
「じゃあ今日の質問ね。電話をかける前に、何を言うか予行練習をしますか? その理由は? そうね、私は予行演習って程のことはしないかしら。用があるから電話するんだから、もちろん用件はちゃんと用意しておくわよ。でも予行演習をするほど緊張しないわ。……ああ、もしかしたら好きな人ができて相手が好きな人だったら練習しちゃうかもしれないわね。だって、好きな人の前でしどろもどろで喋るのはみっともないでしょ。だからちゃんとスマートに喋れるように練習するかもしれないわ。好きな人にはよく見てもらいたいもの」
好きな人はいないと言った一花だが、“もし”と仮定して電話の相手が好きな人だったらと後半は冗談めかしたように質問と答えを寄こしてきた。
梨花は質問をよく読んで、自分だったらとしばらく考えてからキーボードの上に指を躍らせた。
「私は相手が誰でも予行練習してしまいます。うまく喋れる自信がないんです。だから練習しておかないと言いたいことも言えない気がして不安になってしまうんです。電話自体が苦手なのもありますけれど。だから一花先輩とチャットでおしゃべりしている方が気は楽です。もしこれが音声通話だったら私、毎日緊張してしまってとてもじゃないけど続けられません」
一花が梨花を許容したことを信じられないのに、チャット上で会話をしている時の梨花は無防備になって素直な返事をする。警戒しているのなら会話の上でも慎重にならなければならないはずだが、梨花にはまだそれができない。未熟だから警戒心と無防備さが矛盾して簡単に傷ついてしまうことにまだ気付かない。
「じゃあ、ここが通信制の学校でよかったわ。私がいきなり話しかけたらきっと梨花ちゃん逃げ出してたわ」
ぽんと返ってきた言葉に梨花はどきりとした。
そんなこと考えてもみなかった。ただでさえ、最初に一花に話しかけられた時は応じようか迷ったというのに。前提条件をありもしないことに変えるのは狡い。
「最初のチャットの時も私、無視しようかどうか迷いました」
梨花はなんだか悔しい思いがして第一印象を素直に殴りつけた。一花はいい人のように感じるし、嫌いではないがたまたま梨花がチャットの誘いに応じなければなかった関係だ。
「一度も話したことがなくて知りもしない人からのチャットなんて無視されてもしょうがないわね。でも梨花ちゃんはお喋りに付き合ってくれたから嬉しかったし、楽しいわ」
「ごめんなさい。私、おしゃべりが下手で。一花先輩とお喋りするの、楽しいです。でも、びっくりしたんです。普通の学校で話しかけられてたらって想像したら、私、きっともっと上手くできないのわかってるんです」
もしかしたら一花は誰でもいいから話し相手が欲しくて何人かに話しかけては無視されていたのだろうかと梨花は勝手に想像して心を痛めた。話し相手が欲しいだけなのに知り合いではないからという理由だけで無視されるのは気持ちが消耗するのではないかと思う。
「週末を挟んでしまったから……たった二日ですけど、久しぶりな気がして緊張しているんです」
「梨花ちゃんは他に話し相手はいないの? 学校の人じゃなくても、SNSのお友達とか」
「全部見る専です。上手く喋れないのわかっているから、見ているだけの方が気が楽なんです」
カタカタとキーボードを叩いて会話をして、梨花は溜息をついた。
共通の趣味も判然としないままで、一花との会話には自然と自分のことを話す機会が多く、神経を使う分疲れる。別に共通の話題があればもう少し自分のことを開示しなくても済むのにと考えるが、そもそも共通の趣味などがなかった場合せいぜい学校での話題などに限られる。選択肢が少ないことは会話の幅が少ないことと同義だ。それでも梨花は一花との共通の話題を自然に引き出す方法がわからない。
SNSでは仲がいいらしい人たちが簡単にどこかイベントがある度に近くに住んでいることがわかれば一緒に出掛ける約束をしている。しかし、SNSではある程度共通の趣味のユーザーが繋がり合っているので、話題作りも簡単だ。梨花と一花には同じ通信制の学校で同じ部活に所属しているという共通点しかない。映画研究会に所属しているが梨花はそこまで映画好きという訳でもない。建前上、部活に所属していればよくて何でもよかったのだ。
梨花が話題探しに困惑して黙っていると、チャットの通知音がして一花からの新着メッセージがあった。
「梨花ちゃん。会話なんてなんでもいいのよ。お喋りする口実なんだもの。例えば、週末はなにをしていたの?」
一花のメッセージを見て梨花はまた困ってしまう。
なにをしていたと訊かれても、会話のきっかけになるようなことはなにもしていない。そもそも外にすら出ていないのだ。せいぜい、部屋で本を読み耽っていただけで週末はいつも同じく終わってしまう。いわゆる引きこもりな梨花にその質問は答えにくいものだ。
「私はね、サブスクで映画をぼんやり見てたわ。何本見たかしら。覚えていないけれど、悲しい話を続けて見たり、時々ハッピーエンドを挟んだり、見たことない作品をタイトルだけで見たりしてたら週末が終わっちゃったわ」
なかなか返事をしない梨花に助け船のつもりだろうか、先に一花が週末にしていたことを話しだした。それはそれで充実している様にも聞こえるが、ぼんやりとと言うのだから積極的よりは時間つぶしの意味合いの方が強いかもしれない。サブスクで見ていたというのなら映画館ではなく自宅か自室なのだろう。
一花の言葉を慎重に理解してから、梨花は返事を入力し始めた。
「私も本ばかり読んでいたら週末が終わりました」
「外出は苦手? 私はちょっと苦手よ。人が多いと気持ち悪くなっちゃうの」
「得意ではありません。目的があったら外に出ますけど、一人でぶらぶら歩いていてもつまらないですし」
相変わらず会話の主導権は一花にある。けれど梨花はその方が気楽だ。一花はできるだけ先に自分の振った会話の答えを提示してくれる。その分、梨花は嘘はつかないまでも大きく逸脱した返答をしなくて済む。
「引きこもりなんです。外に出ろって言われるんですけど、嫌で」
もしかしたら一花も似た境遇かもしれないと思い、梨花は事実を伝えた。
「たぶん、私もそういう分類に入るわ。この学校、通信制でしょ。多いわよ。だから気にしなくても平気。わざわざみんな引きこもりなんですって言っていないだけよ」
一花の返事を見て梨花はほっとした。
引きこもりだと言うと周囲はなにかと煩い。外に出そうと必死になったり、精神を病んでいるのではないかと心配したり、とにかく通常ではないことを気にかけて矯正しようと試みてくる。だから梨花は形だけでも高校は通信制だが部活に入るという手段で多少のごまかしをしているのだ。
「オープンチャットの方はいつも賑わっているからそんな風に見えなくて……ちょっと安心しました」
「気にしていたのね。大丈夫よ」
一花の言葉に梨花は返事に迷って、スタンプ機能があることを思い出してデフォルメロボットが踊っているスタンプを返した。
学校のチャットシステムにはスタンプも絵文字も対応しているけれど、梨花はいままで使う必要性を感じたこともなく、忘れていた。一花からはウサギが撫でているスタンプが返されて嬉しいと思った。チャットの文字だけでの会話だが、今まで誰にも言えなかったことを少しずつ一花に話しているような気がする。
「一花先輩、もっともっとお話ししてくださいね」
梨花がそっと感謝の気持ちを隠してほんのりと懐く言葉を送ると、一花から「もちろん」と笑顔の絵文字付きで返ってきた。
学校の部活ルームだが、顔も知らない相手で授業時間以外は一般的なSNSと大差ない。だから梨花はいままでずっと傍観者だった。大勢の中に混ざると緊張してなにか突拍子もないことを言い出しそうでその後のことが怖かった。けれど、一花との会話は大勢の中というプレッシャーもなく、会話をリードしてくれることもあり安心感がある。
「私も本ばかりじゃなくてたまには映画見てみようかな」
ふと思い付きで入力したメッセージに一花は強く勧める言葉を発しなかった。時間がそろそろ一時間を経過していて、部活の枠で決められた時間はそろそろ終了だ。
「また明日お喋りしましょう」
「はい。一花先輩、また明日」
会話を終わらせる挨拶を送ると、画面表示に“白井一花がログアウト”と表示された。梨花も学校システムからログアウトして、ブラウザから契約しているサブスクリプションのページに飛ぶ。面白そうな映画はないかとそのまま梨花は興味の赴くままあらすじを読み始めた。
ゆっくり秘密の恋をしましょう 御景那智 @mikage_n
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