友体離脱

赤鐘 響

AI Doll

【The daily life of a lonely man is……】


 慣れは人間の特技の一つである。

 人間という生き物は非常に順応性が高く、大抵の事は時間が経てば日常の一つとして享受することができる。

 「そういうもの」「仕方がない」そういう言葉を自分に言い聞かせて、自己暗示の如く、その環境に身を委ねる。そしてそういった環境に適応するために学習し、知識を身に着け知恵を纏い見聞を広める。要は人間は優秀な生き物なのだ。

 だから孤独にも慣れた。大学入学を機に親元を離れ、一人暮らしを始めた。社会人になった今でもそれは続いている。一人暮らしは孤独だ。朝起きても一人、家に帰っても一人、休日も一人だ。友達や恋人が居れば多少は違うのだろうが、生憎俺にはそういう類の知り合いは一人もいない。

 人との交流が無いわけではない。会社に行けば後輩や上司と関わるし、買い物に行けば店員さんと交流することだってある。ただしそれはあくまでビジネス上での付き合いであり、気兼ねなく話せる相手、つまり孤独を埋める相手にはならない。

 だがそれは全て俺自身が招いた結果である。人との関りを避け、自分の意見など持たず、事なかれ主義を貫き通してきた総決算が今の俺だ。要は傷つきたくなかったのだ。他者との関りは、時に自分を傷つける。もちろん自分が相手を傷つけることだってある。だが、そうした傷の積み重ねが人を強くする。しかし俺はそれを避けて生きて来た。本来人が生きる上で学びとして進む道を、俺は避けて歩いてきた。だから俺が抱えている孤独は、言うなれば必然的という訳だ。

 そういう意味では俺の「孤独に慣れた」という表現は些か間違っているような気もする。俺の場合孤独に慣れたのではなく、孤独に成ったと言うべきだ。なるべくしてなっている。自ら望んで孤独へと足を踏み入れている。

 慣れるという行為は、自分が望んでいない結果が表れた際、それらを無理やり納得させて享受するときに使う言葉だ。

 


【The day the light bulb overhead shone】


 その日の俺は非常に不機嫌だった。

 社会人として仕事をしていると、どうにもこうにもならない日というのはある。朝の満員電車の中で見知らぬおじさんにずっと足を踏まれていたり、出社早々自分の担当している社内ネットワークにトラブルが発生していたり、それを直したかと思えば顧客から急に仕様の変更依頼が届いたり、昼食に買った弁当を会社に持ち帰ってデスクで広げたら、自分が頼んだものとは全く違う総菜が入っていたりと、まぁそういう些細な不幸が畳みかけてくる日だ。

 そういう時の身の振り方というのは自覚していたつもりだったが、どうやらそれはしているつもりだけだったらしく、俺はどうしようもなく嫌になって昼から会社を早退した。

 どこまでも逃げ癖が染みついたクソ野郎である。しかし逃げるが勝ちという言葉もある。そういう日は何をしてもダメなのだから、素直に逃げたほうがいい。そう自分に言い聞かせて俺は会社を後にした。

 会社から帰る途中、俺は翌日上司へ仕事を早退したことに関する謝罪をする用にデパートで一つ菓子折りを買い、その足で中古の楽器店へと足を踏み入れた。

 その楽器店は、楽器の専門店というわけではなく、楽器を一通り扱っているものの、中古の電子機器や生活雑貨も揃っている、いわゆるジャンクショップだ。俺は月に数回この店に訪れて、中古品を買い漁っている。ひねくれた中年のささやかな趣味というわけだ。

 一通り店内を見回った後には、ある程度自分のメンタルも回復しており、最後に店の隅っこにある、弦楽器が並べられているコーナーを見て帰ろうと思った時、背後から「ねぇお兄さん」と呼ぶ女性の声が聞こえた。

 振り返って辺りを見回しても、そこには誰もおらず中古の電子機器が並んでいるだけであった。

「参った、幻聴まで聞こえるようになったか」

 そう一言呟き、自身のポケットからスマートフォンを取り出す。無論最寄りの耳鼻科を調べるためだ。老化と共に現れる身体的不具合、早急に治療する必要がある。最近では肩も上がりにくくなっているというのに……。

「幻聴じゃないよ」

 再び聞こえた女性の声が、スマートフォンを操作する指を止めた。

「こっちこっち」

 確かに聞こえるその声のありかを必死に探す。依然周りに人はいない。

「こっちだって。どんくさいなぁ」

 きょろきょろと不審者の如く周囲を見渡して、俺はある一つの端末を見つけた。そのスマートフォンは、店の端と呼ぶにはあまりに隅っこすぎるガラスの棚の中で細々と明りを灯しており、液晶の中には15.6歳の外見をした女の子のアバターがひらひらと手を振っており、鬱陶しい視線をこちらに向けていた。

「お前か?」

 ガラスに向かって、俺は声をかける。液晶の向こうにいる彼女は「そうだよー」と言って大げさに頷いた。

「ねぇお兄さん、私を買ってくれない?」

 俺はとても感心した。昨今の技術というのはここまで進化しているものなのかと。俺自身ITに関する職種に就いてはいるが、こういった類の技術には疎く、現代社会に蠢くAI技術に対しての理解度は高くなかった。そうか、俺が知らない間にもうここまでテクノロジーは進化していたのだな。

「いや無視は酷いって」

 感心しながら立ち去ろうとする俺に対し、彼女は再び声を放つ。

「買わない」

 彼女の言葉に対し、俺は振り返ってぶっきらぼうに返した。

「なんで?」

「持ち合わせがない」

 視界の端に6桁の数字を捉えながら返す。彼女の真下にある値札にはそれなりの金額が記載されていた。

「値引きするよ?」

「それはお前が判断することじゃない」

「今買っておかないと次に来たときはもうないかもよ?」

 こんな店の端っこに押し込まれておいて何を言っているのだと思ったが、俺はあえて口に出さずそのまま踵を返して店の入り口へ向かった。

「お願い!人助けだと思ってさ!このままだと私捨てられちゃうから!」

 足が止まる。人助けとはまた随分と大きく出たものだ。機械に人助けを頼まれたのは生まれて初めてだ。面白い、少しだけ興味が湧いた。

「そこまで言うなら自分の価値をプレゼンしてみろ」

「プレゼン~?」

「不満か?」

「ううん、いいよ。要はお兄さんが私を買いたいと思わせればいいんでしょ?」

「そうだ、手短にな」

「オッケー」

 液晶の中で彼女は指を丸めた。

「お兄さん友達は多い方?」

 プレゼンをしろと言ったのに、いきなり質問をするとはどういう了見だ。

「……いるように見えるか?」

「うーん、そう言われると居なさそうな感じはするね」

 なげやりに返した俺の言葉に、彼女は平然とした顔で答えた。

「随分はっきり言ってくれるな」

「まぁ表裏がないのが私の取柄だからね。じゃあここからが本題、お兄さんは友達がいなくて、私は誰かに買ってほしいと思ってる。条件は揃ってるじゃん」

 言い終えて彼女は両手を腰にあてて、大きく踏ん反りながら続けた。

「私が友達になってあげる」

 ――友達になってあげる。

 生まれて初めて向けられた言葉に対し、俺はその場で固まってしまった。この世に生を受けて40と数年、友達と言う存在がいなかった俺にとって、その言葉はあまりに衝撃的だった。

「どうしたの?」

「いや、別に」

「で、どうするの?買ってくれるの?」

「なんでちょっと偉そうなんだ」

 入口へ足を進めながら指摘する。

「買ってくれないの?」

「……俺は普段あまり現金を持ち歩かない主義だ。お前も知っているだろうが、現代社会はキャッシュレスが主流なんだ。今ならまだ銀行も空いてる、この店もとっととクレジットカードくらい使えるようにするべきだな」

 クレジットカードが無理なら、せめてQRコード決済くらいは対応させてほしい。もっとも、こういう店に限っては現金オンリーの方が雰囲気は出るのだろうが。

 ゆっくりと、しかし、やや急ぎながら「待ってるね」という言葉を背中で受け止めながら、俺は店を後にした。


【One person and one person……?】


 こうして俺は生まれて初めての友達を現金で購入した。税込み76,000円を支払って購入した。76,000円という金は大金だ。俺が住んでいるアパートの家賃に匹敵する。遠出をしなければちょっとした旅行も楽しめる。いい肉と七輪を買って、河原で焼きながら酒を呷ってもお釣りがくる。そんな金額だ。

 故にそれほどの大金を支払って得たものが、自身の期待値を大きく下回る結果を残したときの傷心具合は計り知れない。

 先日俺は一人の少女が入ったスマートフォンを購入した。AIに対して【一人】という単位を使うのが合っているのかどうかは知らないが、とにかく俺は最新鋭であろうAIが搭載された端末を中古ショップで買ったのだ。そして一緒に過ごして分かった事がある。

 彼女は俺と友人になると言った。俺はその言葉を聞いて購入に至ったわけだが、購入した理由はそれだけではない。

 AIと聞けば、誰もが期待する一つの結果がある。そう、利便性の向上だ。

 昨今の家電製品は、なにかとAIが搭載されている。スマートフォンは勿論、電子レンジやコーヒーメーカー、洗濯機や掃除機、果ては炊飯器に至るまでAIが搭載されている。

 それらは全て、その機能の向上を図る目的で搭載されているのだ。掃除機に搭載されたAIは、その知能を持って部屋の隅々まで清掃し、炊飯器に搭載されたAIは、その知能を持って使用者一人ひとりのこだわりに応じた米を炊き上げる。

 ならばスマートフォンに搭載されたAIは、その知能を持って使用者に何を届けるべきか。この答えは多岐に渡るだろう。何せスマートフォンの使い道は一つではないからだ。掃除機は掃除、炊飯器は炊飯と言ったように、しっかりとした役割がある電子機器とは違う。だからこそ生半可な知能ではユーザーの満足度を埋めるに値しない。もっとも、なんでもできるとは思っていない。いくらAIとは言え限界があるのは分かっている。

 だが、俺の買った端末はどうだ?かなり高性能のAIが搭載されているはずだ。言葉を理解し、質問に答え、なんなら自我も持っている。そもそも会話を始めたのは彼女からだ。内蔵されているカメラを起動させて、そのレンズに俺を映して話しかけてきたのだろう。SFかと思うレベルの性能だ。そんな高性能のAIを日常に取り入れたらどうなると思う?

 かゆいところに手が届くレベルじゃない。孫の手程度の利便性では収まらないレベルで生活の質が向上するに決まっている。

 だからこそ俺は彼女の出来に対してショックを隠せないのだ。彼女は俺が思っているほど賢い存在ではなかった。

 つまり何が言いたいのかと言うと、要するに彼女は率直に歯に衣着せず有り体に言えば【馬鹿】だったのである。どんな感じか知りたいか?

「なぁ、ちょっといいか?」

 端末の中にいる彼女に向かって声をかける。液晶の中で彼女は寝そべって雑誌を広げていた。人間より人間らしい振舞だ。

「んー、何?」

「今日の天気を教えてくれ」

「あー……晴れか曇りか雨だね」

 こんな感じだ。蹴り飛ばした下駄の方がまだマシな予報を教えてくれる。

「おい、これを見ろ」

 彼女に向かって、俺は普段自分が使っているスマートフォンを向けた。

「これが何か分かるか?」

「見たら分かるよ、スマホでしょ?」

 雑誌を手に持ったまま、視線だけをこちらに移して気怠そうに言う。

「そうだ、お前が入っていないスマホだ。じゃあ今から俺がやる事をよく見とけ」

 そう言って俺は自身のスマホに向かって「今日の天気は?」と聞いた。

 10秒ほど時間が空いて、端末から女性の電子的な声で本日の天気が曇りである事を知らせる旨が流れた。

「もう一度お前に聞こうか?今日の天気はどんな感じだ?」

「……曇りデス」

「ふざけるなよ」

 視線を逸らしながら俯きがちに答える彼女に、俺は苛立ちながら眼前に自身の手に持っていた端末を近づけた。

「なになになに、怖いんだけど」

「いいか?この端末には当然だがお前は入っていない。お前のように流暢にしゃべり、こんな冴えないオッサンと友人になりたいなどと言う女は入っていない」

「えぇ……なんで急に褒めたの。いよいよ本当に怖いんだけど」

「別に褒めてねぇよ。むしろ逆だ。お前がいつどこで製造されたものかは知らないが、少なくとも俺が持つこのスマホは4年前に発売された代物だ。AI自体は搭載されているが、そんなに優れた機能を持っちゃいない」

 「ほうほう、それで?」と、まるで他人事のように相槌を打つ彼女に向かって、俺は続けた。

「俺が納得いかないのは、なぜこのスマホでさえ、この型落ちのスマホでさえ答えられる天気予報が、優秀な頭脳を持つであろうお前に答えられないのかという事だ」

 俺は敢えて【優秀な頭脳】の部分を強調して嫌味ったらしく文句を言った。それに対して彼女は不貞腐れた表情で「別にいいじゃんかよー」と返した。

「天気ぐらい自分で調べたら分かるじゃん」

「そういう細かい煩わしさを解消するのがお前の仕事だろうよ」

「違うね、私は君の友達としてここにいるんだ。友達同士で天気予報を聞き合うことなんてないでしょ?」

 ああ言えばこう言う奴だ。

「確かに友人同士で天気予報を聞き合う事は少ないかもしれないが、お前の場合はかなり特殊な部類の友人にカテゴライズされる。AIとして端末に登録されているのであれば、最低限持ち主の軽い要望には応えてもらいたいんだがな」

「むぅ……」

 拗ねた顔をしながら、彼女は液晶の右端に体を半分隠した。

「今日の天気は晴れ時々曇りだよ。湿度はやや高めで降水確率は10%だってさ」

 体を隠しながら彼女は言う。具体的な予報を言ったのは、さっき俺の端末が示した情報より精度が高い事をアピールするためだろうか。こういう部分は妙に人間味がある。

「そうか、なら傘を持っていく必要はなさそうだな」

「どっか行くの?」

「ちょっと日用品を買いにスーパーまで行ってくる」

「あ!じゃあさ、ついでに買ってきてほしいものがあるんだけどいい?」

「それは別に構わないが……その体で使える物があるのか?」

「厳密には私が使うわけではないんだけどね。充電器を買ってきてほしいんだ。ほら、これ見てよ」

 そう言って彼女は液晶の右上を指さした。そこにはバッテリーの残量を示す数値が記載されており、残量は残り30%を切っていた。そういえばバッテリーなど気にせず彼女を稼働させていたが、本来こういった端末には充電が必要なのだ。そう考えるとこいつは結構省エネだな。

「お願いできる?」

「分かった。形状は?」

「C」

「Cか、それなら余りがあった気がするな」

 俺は自身のPCを置いてあるデスクの下にあるケースをまさぐり、短めのTypeCケーブルを取り出した。

「ほれ」

「いいね。じゃあ出かけてる間差しといてよ」

 彼女を手に取り、端末下部にあるコネクターにケーブルを差し込む。デスク付近にあるコンセントに差し込むと、充電開始を知らせる短い効果音が鳴った。

「これでいいか?」

「完璧」

「そりゃあ良かった」

 外出用の上着を羽織って玄関へ向かう。靴箱の上に置かれている折り畳み傘に一瞥をくれてドアノブに手をかける。古びた鉄製の扉が低い音を響かせた。

「いってらっしゃい」

 背後から聞こえたその言葉は、他でもない俺に向けられた言葉だった。

 久方ぶりに聞く、他者からの送り出す言葉に俺は少しだけ愉悦を感じながら「行ってきます」と返した。


【Answer sheets don't talk】


 信用。

【確かなものと信じて受け入れること】辞書にはそう書いてある。傘を持たずに買い物に来た俺は、つまり彼女の言葉を信用していたという訳だが……

 買い物を済ませ、レジ袋を持って外に出た際飛び込んで来た光景を見て、俺は静かに肩を落とした。

 降り注ぐ水滴は地面に小さな水たまりを作り出し、外を歩く人々が持つ傘に滴る雨はやたらと耳に残る高音を響かせていた。

 天気予報はあくまで予報なので、あいつが言ったことをそのまま信じる方が悪いと言われたらそれまでなのだが、どうしてもレジ袋を持つ手に力が入ってしまう。

 店内に戻って傘を買うべきか、或いは止むまで軒先で時間を潰すか、それとも雨の中を急いで帰るか。幸いこのスーパーから家までそう遠くない。成人男性の早歩きで帰れば数分でたどり着く。

 逡巡した結果、俺が下した選択は早歩きで家まで帰る、だった。

 閑静な住宅街を優しく包み込むように降る雨は、しかし俺の体を確実に不快にさせていく。買ったばかりの野菜がみずみずしさを取り戻しながら、袋の中で嬉しそうに騒ぎ立てるのを気にする暇もなく、俺の足は一直線に自宅へと進んでいた。

 玄関にたどり着く頃には俺の全身は水滴にまみれており、前髪から流れ落ちる雨が、かけていた眼鏡に張り付いて視界を占領した。張り付いて鬱陶しいポケットから鍵を取り出して、不明瞭な視界の中開錠し部屋に入る。玄関先から手を伸ばして、洗面台に置いてあるハンドタオルを手に取り、雑に服と袋をふき取ってリビングへ向かった。

「あー……大丈夫?」

 リビングに入った刹那、ケーブルに繋がれた端末から彼女が心配の声を投げた。

「大丈夫か大丈夫じゃないかで言うと、大丈夫じゃないな。雨に打たれたのは久しぶりだ」

 思えばここ数年、雨の中を傘もささずに進んだことはなかった。若い頃は傘などなくともある程度は問題なかったが、歳を重ねるにつれそういった機会も少なくなった。

「ごめんね」

 申し訳なさそうに謝る彼女に対し、俺は「予報は予報だ」と返す。彼女に落ち度はない。悪いのは天気予報だ。そしてもっと言うなら備えを怠った俺の責任でもある。

 濡れた上着をハンガーにかけて、俺はシャワーを浴びるために脱衣所へと向かった。ぴったりと肌に吸い付いたシャツを無理やり脱いで、洗濯籠へ放り込んだ。

 シャワーを浴びた後、俺は冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ベットに腰を下ろした。

「あれ?もう寝るの?」

寝巻き姿に着替えた俺を見てそう思ったのか、彼女は不思議そうな目をこちらに向けた。彼女の右上には綺麗な3桁の数字が表示されており、この短期間で最大まで充電ができる優秀なバッテリーが備わっていることが伺えた。

「いや、別に寝る訳じゃないがどうせもう今日はどこにも行かないし構わないだろう」

「そうなの?折角の日曜日なのに勿体なくない?」

「疲れた」

「おじさんみたいな事言うね」

「実際おじさんだからな」

「またまた〜お兄さんくらいならまだ若者でしょ。ま、私には勝てないけどね」

その言葉を聞いて、俺はこの2日間抱えていた疑問を思い出した。なぜ彼女はずっと俺の事をお兄さんと呼ぶのか。最初に会った時からずっと俺をそう呼んでいる。店で初めて呼ばれた時は、リップサービスのようなものかと思っていたが、どうやら違うらしい。なぜなら彼女は、ここに来てからも俺の事をお兄さんと呼んでいるからだ。買って欲しくてそう呼んでいた訳ではないという事だ。ならば答えは1つだろう。

「なぁ、ひとつ聞いていいか」

「何?女の子に年齢を聞くのは失礼だよ」

「違ぇよ逆だ。俺の歳、いくつだと思ってる?」

「え?30くらいだけど……違うの?」

やはり彼女は俺の事を随分若く見ていたらしい。嬉しいような、嬉しくないような。形容しがたい感情が俺を包んだ。

「45だ」

「嘘!?」

ガタガタと画面の中で騒ぎながら、彼女は目を見開く。

「本当だ」

「マジ?めっちゃ若く見えるよ!」

まるで申し訳なさを誤魔化すかのように、わざとらしく大声でフォローする彼女を見て、俺は少しだけ口角を上げた。

「そりゃどうも」

ゆっくりと自身の輪郭を指でなぞる。若作りをしているつもりはないが、まさか10歳以上も若く見られているとは思っていなかった。

「てかさ!いい加減名前教えてよ、名前」

「名前?」

「そう!名前!私お兄……じゃなくて……おじっ……あ〜……とにかく私いまだに君の名前知らないじゃん!」

最大限配慮した呼び方に苦笑しながら、俺は自身の名前が伊月 光太郎である事を伝えた。

「じゃあ今から光太郎って呼ぶね」

 手に持っていた缶ビールが手から零れ落ちる。落下する直前になんとかキャッチすることが出来たが、ほんの数滴ほどカーペットにビールが飛沫した。

「嫌なの?」

「ちょっと驚いただけだ」

 ジェット機もかくやと思わせる速度で距離を詰めてくる彼女を横目に、俺はティッシュをカーペットに押し当てた。ちょっとと言ったのは、せめてもの俺のプライドだった。

「親族以外に、そうやってフランクに名前を呼ばれたのは久しぶりだ」

 今日二回目の久しぶりである。なんとささやかな久しぶりだろうか。雨に打たれて、名前を呼ばれる事が久しぶりとは、我ながら随分と緩急の少ない人生を送っているのだとしみじみ感じてしまう。

「そうなの?」

「ああ、会社では皆名字で呼ぶからな」

「へぇ、学生時代も?」

「そうだな。そもそも学生時代は名字ですらあまり呼ばれた事もないがな」

「え、じゃあ友達とかには何て呼ばれてたの?ニックネーム?」

 こいつは何を言っているんだ?

「お前何言ってんだ?お前があの日店で俺に聞いたんじゃなかったか?」

「聞いたって……あっ、ちょっと待って。え?噓でしょ?あれガチなやつだったの?」

 あれ、とはつまり俺に友達が居ない事だろう。

「ごめん、言葉のアヤ的なやつかと思ってた。ホントに友達居ないんだ」

 哀愁を漂わせた視線が刺さる。哀れみか、同情か。どんな感情を抱いていたのかは検討もつかないが、彼女の瞳は初めて見る形をしていた。

「まぁ、今までそういうのを避けてきたからな。もともと人付き合いは苦手なんだ」

「でも私とは普通に話せてるじゃん」

「そりゃあお前は――」

 言いかけて言葉が詰まる。お前は機械じゃないか。そんな言葉を寸での所で飲み込んだ。確かにこいつは機械だが、それを言うのはとても失礼な事なんじゃないか。俺は過去今まで沢山の人間を見てきた。友達こそいなかったが、社会人として働いている中で、それはそれは多くの人間を見てきた。中には日本人なのに日本語が伝わらない人も居たし、傍若無人の権化のような人も居た。そんな人達に比べると、彼女の方が人間だとも思える。

「お前は……何?人間じゃないだろって?」

 彼女の言葉に息が詰まる。

 まぁさっきの話題から、あそこまで言ってしまえば誰でも察する内容ではあるが……。

「ああ、悪い。失言だった」

「別にいいよ、本当の事だし。それよりさ、なんで友達作らなかったの?」

 軽く流した後に、彼女は踏み込んだ問いを投げた。本来なら余計なお世話だと一蹴するのだが、先に失言した手前おいそれと突き返すのは気が引けた。

「なんでって……さっきも言った通り俺は人付き合いが苦手なんだ」

 手に持つ缶ビールに浮かぶ水滴が、ゆっくりと手首を伝って袖を濡らした。

「人付き合いが苦手な事は、友達を作らない理由にはならないんじゃない?」

 随分と遠慮のない物言いに、俺は若干イラつきながら細い視線を彼女に向ける。当の本人はあっけからんとした表情で、両手を後頭部に添えてリラックスしていた。

「それを聞いてどうしたいんだ?」

「別に何もしないよ?単純な疑問。なんで光太郎は友達を作らなかったんだろうなーって思ったから聞いただけ」

「だけにしては、かなりデリケートな問題だとは思わないか?」

「さぁ?そういうの分かんないなぁ……ほら、私人間じゃないし」

 ケタケタと嫌味な笑いを浮かべる彼女を見ながら、俺は半分ほど残っていたビールを一気に飲み干し、ゴミ箱に放り投げた。

「良い性格してるな」

「でしょ?私の取り柄の一つだからね」

「そんなに気になるなら教えてやるよ。俺に友達がいない理由はな、俺が臆病で弱いからだ」

 ベッドに寝転がって天井を見つめる。いい機会だ、酔った勢いで全て言ってしまえ。ゆっくりと指でなぞった頬はアルコールで紅潮しており、ほんのりと温かみを帯びていた。

「と、言うと?」

「そのまんまの意味だ。俺はずっと逃げてきたんだ、友達や恋人という存在からな。人は誰かと深く関われば関わるほど、相手と感情をぶつけ合う生き物だ。思い出や体験を共有し、喜怒哀楽をぶつけ合う、そういう生き物なんだよ」 

 相槌を打つ暇も作らず、俺は続けた。

「煩わしい、鬱陶しい、40年間そう思いながら俺は生きてきた。本当は友達を作るチャンスもあったはずなんだ。もしかしたら恋人を作ることも出来たかもしれない。でも俺は逃げ続けた。人との関りを避け、他者への理解を拒み、自分を見せずに生きてきた」

 懺悔のように自身の胸中を吐露しながら、それでも視線は頑なに天井にこびりついている。

「ほんの少し、俺が歩み寄れば。ほんの少し、俺が傷つき、傷つけることが出来れば。ほんの少し、俺が勇気を出していれば、もっと違う未来はあったのかもしれないな。まぁたらればの話をしてもしょうがない。要は俺に友達がいない理由は、俺が誰かを受け入れる強さも、誰かに受け止めてもらう強さも持っていないからという訳だ。どうだ、これで満足か?」

 言い終えて首を傾け、彼女の入っている端末を見る。

 液晶の中で、彼女は寝ころびながら雑誌を読んでいた。

「嘘だろお前」

「あ、終わった?」

「俺があと10歳若かったら壊してるぞ」

「話長いんだもん、しょーがないじゃん」

「お前が聞きたいって言ったんだろ」

 彼女に対して、失礼な発言をしてしまったことの罪悪感と、自身に友達がいない理由をつらつらと並べたことを後悔しながら、彼女を手に取る。

「ちゃんと聞いてたから安心してよ。思ってたより単純な理由だったけど」

 思わず壁に叩きつけそうになったが、俺はなんとか我慢してやや乱暴に、自分が横たわっているベッドに彼女を置いた。

「乱暴だなぁ」

「お前のせいだろ」

「……拍手でもしてあげたほうが良かった?」

「そんな事されるくらいなら非難された方がマシだ」

「そんな事しないよ。光太郎の考え方は別に非難されるものじゃない」

「どうだか、少なくとも世間一般で言えば否定されるべき思考だとだと思うぜ」

「その方が楽だから?その考えこそ否定されるべきだよ。自分の考え方に疑問を持っておきながら、改善せず誰かから否定されて楽になりたいって思うのは良くない」

「達観した物言いだな。俺の気持ちが分かるのか?」

「分からないね。ただネガティブな性格だってのは分かるよ」

「それでよく友達になってやるなんて言えたな」

「気持ちが理解できなきゃ友達になっちゃいけないの?」

「それは……」

 そうだろう、と言おうとしたが以降の言葉が喉でつっかえた。

「私は機械の中にいる存在で、人間とは違う。そして光太郎は機械の外にいる存在で人間。本当の意味で心や感情を理解し合うのは無理だと思う。でも、だからと言って友達になれないとは思わない。ていうか実際私たち友達じゃん、それともそう思っているのは私だけ?」

「お前本当にAIかよ……」

 真横でシーツの皺に沈む彼女を、今度は優しく手に取り机の上に置きなおした。

「もちろん!とびきり優秀のね」

「そのポジティブさは見習わなきゃいけないかもな」

 窓の上に掛けてある時計を見る。短針は3時を指していた。いつの間にか雨は止んでいたらしく、ベランダの向こう側には橙色の光が優しく地面を撫でていた。

「傷つくとか、理解するとか、そういう面倒な事なんて考えなくていいと思うよ。友達を作ることにルールなんてないんだから」

 優しい口調でそう告げる彼女に、俺は「かもな」と返した。

「第一光太郎は私を買ってくれたじゃん。私と友達になってくれた。それは光太郎の言う勇気ってやつなんじゃない?」

「相手が機械でもか?」

「関係ないね。友達である事に変わりはないんだからさ。光太郎は自分で思うほど弱い人間じゃないと私は思うけどね」

「それは慰めか?」

「慰めだね」

 さらっと答える彼女の言葉に、俺は苦笑した。

 もしかしたら、俺は孤独に辟易していたのかもしれない。

 自分の生き方が招いた結果であるにも関わらず、心のどこかで他者とのつながりを求めていたのかもしれない。

 あの日、彼女が俺に「友達になってあげる」という言葉を投げた時、俺は心底驚いた。俺みたいな人間に対してそんな言葉を投げるやつなど、今まで一人もいなかったからだ。だからこそ俺は彼女を買う決断をしたわけだが、その選択が正しかったのかどうかは正直分からない。だが一つの変わらぬ結果として、俺が友達を手に入れたことは確かだ。

 ……嬉しかったのだろう。

 人と関わることを避け、壁を作り、自ら孤独に足を踏み入れ過ごしていた俺にかけてくれたあの言葉が、独りに【慣れた】と思い込んで過ごしていた俺に踏み込んできてくれた事が。だからこそ俺は、彼女を買ったのだと思う。

 ベッドから起き上がり、クローゼットへ向かう。着たばかりの寝巻のスウェットを脱ぎ捨てて、適当に引っ張り出したシャツとズボンに履き替えた。

「今日はこのままゆっくりしようと思ったが、お前の言う通り折角の日曜日だ、酔い醒ましも兼ねて軽く散歩でもしてくる。雨も止んでるみたいだしな」

「あ、じゃあ私も行く」

「別にいいが、その場合ずっとポケットに入ることになるぞ」

「それはヤダなぁ……あ、そうだ。ねぇ確か腕時計持ってなかった?デジタルチックなやつ、あれちょっと見せてよ」

「スマートウォッチの事か?確かに持ってるが、何で知ってるんだ?」

「お店で会った時付けてたじゃん」

「ああ、成る程。よく見てるな」

「観察眼が鋭いところが私の良い所だからね」

 適当に相槌を打って流しながら、俺は作業デスクで充電していたスマートウォッチを彼女の前に置いた。

「ほら、これで何をするんだ?」

「まぁ見てなって」

 端末の液晶の中で、彼女が掛け声とともに指を鳴らしてその姿を消した。直後、スマートウォッチの液晶上に彼女の体が浮かび上がる。

「お、うまくいったね。これなら一緒に出歩けるでしょ?」

 スマートウォッチを手に取る。小さな液晶の中で、小さくなった友人がはしゃいでいた。スマートフォンの方を見てみると、普段彼女が過ごしているホーム画面には、普通の端末と変わらないアプリのアイコンが無機質に並んだ画面だけが残っていた。つまり彼女はスマートフォンから、スマートウォッチへ姿を移したという事か。

「どういう仕組みなんだ?」

「さぁ?私にもよくわかんない。なんかえいってやったら入れた。同期した感じなんじゃない?」

「なんで当の本人があやふやなんだよ」

「まぁいいじゃん、早く行こうよ。ほら、腕に着けて着けて」

 急かされながら、左手首に装着する。普段何気なく身に着けているものではあるが、少しばかり違和感を覚えてしまう。

 財布をズボンのポケットに押し込んで、玄関へ向かう。ドアノブを回して扉を数センチ開き、俺は不意に手を止めた。

「一応言っておくが、外で騒ぐなよ?」

「……騒がないよ」

「なんだその間は。別に話すなとは言わないが、今みたいに俺と会話になることはあまりないぞ。通報されかねないからな」

「通報だなんて大げさでしょ」

「いいや、お前は現代社会における中年男性への風当たりの強さを分かっていない。いいか?嘘でも冗談でもなく、今は俺みたいな中年が昼間に公園を歩いているだけで通報される時代なんだぞ」

「心配しすぎだって。それこそ今の時代ワイヤレスイヤホンとか、スマートウォッチを使って電話している人だっているじゃない。ほら、コンビニとかでさ外の灰皿の所で一人で話してる人がいて、変な人かと思ってよく見たらワイヤレスイヤホンで会話してただけみたいな」

 やけに具体的な例を出してくるな。確かに俺もそういう経験が無いわけではないが、こんな「あるある」の話ができるくらいAIは進化しているのか。

「まぁそれはそうだが、気を付けておいて損はないだろ?面倒なトラブルは避けたいんだ」

「オッケー、まぁ一緒に出掛けられるだけマシか」

 玄関から外に出て、視界に飛び込んできた空は、鬱陶しいくらいに晴れており、圧迫感のある雲など欠片も浮かんでいなかった。コンクリートの隙間に浮かんでいる水たまりと、木々の葉から滴る雫が、確かに雨が降っていたことを告げていた。普段なら目に留まらないものが、今は不思議と鮮明に捉えることができた。思えば一人で歩くときは、いつも下を向いていた。そうか、俺の住む地域はこんな姿をしていたのだな。

 だらりと伸ばした左腕の手首から、不規則な振動が伝わる。おそらく彼女が動いているのだろう。彼女もまた、俺と同じように雨上がりの景色を見ているのだろうか。俺と同じ空を見て、俺と同じ木々を見て、俺と同じ地面を見ているのだろうか。その小さな体を大きく動かし、俺と同じ世界を見ているのなら、少しだけうれしく思う。




To be continued……maybe


 

 


 

 

 

 

 

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