第十一話 さよなら

「そうですか。ならば、お望み通り出て行きます。とはいえ、私はまだ未成年ですので、あなたの力がどうしても必要になりましたら、帰ってきます。荷物をまとめるので、家に入れてください」

「はい、どうぞ」

 面白いくらい一瞬で、二人は他人行儀になっていた。部屋の中に入っていく知花の冷たい背中を見ると、心の痛みがぶり返す。決して弱いものではない「親子」という繋がりが、こうして簡単に千切れてしまうほど、知花が受けていた虐待は、酷いものだったんだ。

「……もっと従順な子だと思っていたのだけど、残念だわ」

 しばらくの沈黙の後、知花のお母さんは、独り言のように愚痴を零し始めた。その声が、とてつもない後悔や怒りをまとっていたのならまだ、私はこの人を理解できたかもしれない。だけど、それすらも、ゲームでの失敗を嘆くくらいの熱量しかなかったから、もうわかり合えないと直感した。

「全てが未確定で、色々と期待できていた産まれる前の方が、あの子はかわいかったわね」

 どうしたら人は、ここまで残酷になれるのだろう。これも一種の「熱」のせいなのか?

「あなたにも悪いことをしたわね、ごめんなさい。死ぬまで面倒を見続けないといけない恋人に、あんな汚い傷がついているのは嫌でしょう?」

「別にどうでもいいです。知花が知花である限り、私は彼女を愛し続けます」

 上辺の謝意すら籠もっていない、その冷たい目を睨みつけながら答えると、彼女はなぜか、唐突に両手で顔を覆った。 

「あーあ、どうして私ばっかり……あの子は、こうして良い人に出会えたと言うのに……きっと、神様に嫌われているんだわ」

 さっきとは別の原因、「生理的な嫌悪感」で、血の気が引いた。あろうことか彼女は、絶対的な加害者であるにも関わらず、泣き出したのだ。

「あなたが、倫理観の欠損したキチガイだからですよ」

 怒りを暴力ではなく悪口に変換する、私なりの必死の努力だった。あれだけ知花を傷つけておいて、今さら「悲劇のヒロイン」を演じられる心境が、私には全く理解できない。

 確かに、この人もまた、被害者だったのはわかる。だけど、例えシンデレラであろうとも、自分を虐げてきた継母たちを皆殺しにしたら、ただの極悪人になるんだ。人として人と生きるなら、最低でも、受けてきた痛みで相殺し切れなかった「与えた痛みの責任」は、取らなければならないだろう。

「……まあ、こんなものよね、子供なんて。私がいなきゃ、生まれてこられなかったくせに、本当に恩知らず……元はと言えば、全部あのクソ男のせいよ……あーあ、ろせば良かったな」

 抑えようと思ったけど、やっぱりダメだった。気がつけば私は、前のめりになっていて、顔を覆う彼女の手を、乱暴に引き剥がしていた。

「そうやって、ずっと他責思考で生きてきたから、誠意を持って『ごめんなさい』と言うだけで、嘘みたいに罪が軽くなることを、あんたは知らないんだな。知花に謝る気がないなら、もういいよ」

 左手で首を絞めながら、話を続ける。みるみるうちに青ざめていく顔が、実に無様で滑稽だ。

「今から、『痛み』で罪を償わせるから」

 左手を放し、固く握った右手を振り上げ……私は、彼女の顔のすぐ隣の壁を、思い切り殴った。

「……ありがとう、蕾花。すっごく、かっこよかった」

 荷造りを終えた知花が、部屋から出てきた。変わり果てた姿になった知花のお母さんは、バケモノのように目を見開いて、平然としている知花を見つめた。

「いやあ、踏みとどまるのが大変だったよ」

 家を出る前、二人で決めていたんだ。「決戦の時は気丈に振る舞い、いくら腹が立っても絶対に暴力を振るわない」と。


「さよなら、お母さん。さあ行こうか、蕾花」

 そう言った知花の声が、微かに震えていたことに、果たして彼女は気づいたのだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君の体温で てゆ @teyu1234

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画