第一章
第一話 独占欲は美しい
「貴方たち、犬を放し飼いにしましたね⁉先程ドーベルマンに噛まれるという被害が出ました…。『全犯罪死刑制度』に則り、連行させて頂きます」
ああ、まただ。
また美しくない『死』が執行されてしまう。
少し憐憫の情を乗せた視線で、ミソギは歩道で警察に止められている若い男と女を見た。
『全犯罪死刑制度』を知っていても、違反していると分からなかったのだろう。
軽犯罪法第十二条の『人畜に害を加える性癖のあることの明らかな犬その他の鳥獣類を正当な理由がなくて解放し、又はその監守を怠つてこれを逃がした者』に該当してしまうだなんて、可哀想な人だ。
「いやあっ、離して!」
「辞めろ!」
必死に、逃れようと叫ぶ男女。
恐らくカップルだろう。
お揃いのキーホルダー。
着けられている位置が対になっている耳飾り。
死へのデートとなってしまうだなんて、一体誰が思えようか。
「…あ、いいこと思いついた」
ミソギはカップルを見てあることを思いついた。
自身の顔を見ることはしないが、いつもは怜悧な顔つきを歪めさせ、企みをしているような悪い笑顔をしていることだろう。
「作品名は…『独占欲は美しい』かな」
叫び声が止まない歩道を後にする。
段々現場から遠ざかっていくミソギの背中を、蝉は、責めるようにジリジリと鳴いていた。
歩き始めて約十分。
汗と湿度が肌にべったりと纏わりついてくる嫌悪感から顔を歪める。
少し休もう。
ミソギは目的地近くの公園をぼう、と眺めることにした。
太陽がギラギラ照らしている。
流石に、この太陽の下で遊びたい子供は居ないのだろう。
お昼過ぎにも関わらず、静かである。
「…小学生のときに、よく遊んだ…公園に似ているな」
思い出の公園を思い出すミソギ。
目を閉じると、普段聞こえるはずの子供の声を埋めるように、風の音や蝉がやかましいくらいに主張しているのに気がついた。
風に運ばれてきた、夏を思わせる緑の香り。
葉がガサガサ、と揺れる音。
そして、爽やかな雰囲気の中に強引に落とされたような強い日差しは、衰える気配もなく。
だが、ミソギの開けられた瞳は楽しげに爛々と輝いていた。
夏の暑さは嫌いだが、夏の楽しさは好きなのだ。
それもすぐ、季節外れのパーカーによって隠してしまったが。
「さて、行くか」
ミソギは、公園を去る前にシューズを結びなおす。
幼少時を思い出して緩んだ自信を律するように。
しばらくして、オーナーの居る場所に到着した。
厳かとは言い難い、腐蝕している扉は、漆によって黒く染められていて、異国情緒あふれる外装だ。
ミソギは周りを見て人が居ないかを確認してから七回ノックし、質疑を待つ。
「…一つの罪悪は?」
少し経って、中から透明感のある女性の声が聞こえた。
オーナーである濡烏の声だ。
「百の善行によって償われる」
間髪入れずに答えたミソギは、そのまま入ろうとしたが、少し逡巡してから問いを口にする。
「こちらからも質問…私だったら百の罪悪は?」
少しの間を置いて、オーナーが答える。
「…美しい、彩られた『死』を以て救済する」
「正解」
別人の変装を疑ったのだが、どうやらその必要はなさそうだ。
ちなみに先程のオーナーの質問は、ロシアの文豪であるフョードル・ドストエフスキーの罪と罰だ。
本の主人公の深い心理描写が『不能者』の私にかなり刺さった。
そういえば、オーナーから誕生日プレゼントに初版を貰ったこともあったな。
ミソギはそう考えながらも、カチャ、という鍵の開けられた音で回想から現実に戻る。
「お邪魔します」
扉を開けてもらい、もう一度周りを注意深く確認してからきちんと閉める。
これは惰性だ。
いくら罪に問われないとはいえ、強引にでも立件する方法はある。
ここに入っていく様子を写真に収められでもしたら、かなり厄介だから。
「はぁ、どうしたんです?普段ならこんなことなさらないのに」
殺意があったとしても、因果関係を証明できないものの場合、それはもう法の範疇の話ではなくなる。
それを人は『立証不可能犯罪』と呼ぶ。
そして、その『不能犯』を起こすのが_。
「不能者のせいだ、ミソギのことを心酔する輩がミソギを騙って来た」
「…ああ、もしかして」
思い当たる人が一人だけ。
「心当たりがあるんだな?」
その問いに答えるように、ミソギは小さく頷いた。
あの子は私でしか制御できない。
不能者だと言われて安心したオーナーが開けた途端に、殴りかかりでもしたんだろう。
私のことを一番知っている子だから、恐らく簡単な質問にも答えられた。
そう胸の中で呟いて、ミソギはパーカーからスマホを取り出した。
そのまま、少し画面を操作してからオーナーに見せる。
「この子ですよね」
写真に映っている人は艷やかな黒髪で、ミソギよりも長い。
また、目もパッチリしていて、はっきり言って美人だ。
誰でもそう答えるような、可愛い容姿をしている。
ただ、残念なところをあげるとすればミソギと同じで、無愛想なところだろうか。
盗撮写真ではないのに、こちらを少し機嫌悪そうに見ている。
「ふむ…恐らく彼女だな」
「…この子は男の子ですが」
私の言葉に驚いたのだろう。
オーナーは綺麗な黒檀の瞳を惜しげもなく見開いた。
「彼の名前はグレイ…といっても、貧民街に居た子ですから名前は無かったので、私が命名しました」
「…誘拐してきたのか?」
「真逆。何故か着いてきたんですよ…弟子になりたい、って」
貧民街で丁度私が『不能犯』を起こしたところに来てしまった彼。
こんなことは初めてだったからどうするか迷ったものの、憐れだがこんなところの少年を信用する人なんて居ないだろうし、証拠なんてない。
そう考えて捨て置こうと思ったのに、着いてきたのだ。
結局、折角なら後継者にでもするかと考えてグレイという名を与えた。
見たときは一瞬、女の子と見紛うくらいだったが、今では中性的な顔立ちになっている。
オーナーに見せた写真は一年前のもの。
少女と少年の成長の速度は顕著だ、この年齢であれば尚更。
「へぇ、それは酔狂な奴も居たもんだね」
「そうですね、一歩間違えれば証拠を掴まれて死刑ですし」
グレイが私の悲願である『全ての死は美しく』に賛同するとは正直思ってなかった。
なのに今では完全に私の奴隷、否、従者という表現のほうが正しいか。
まさか従属するだなんて。
ミソギは目を伏せ、切なげに笑う。
同士が欲しくなかったと言えば嘘になる。
だが、自信が成すべきことだと思って今まで『不能犯』を起こしてきた訳だし、誰かと一緒に目標に向かって頑張るなんて考えていなかった。
巻き込んでしまうつもりも、全く無かった。
まぁ、今ではあのときの出会いに感謝しているけれど。
「…それで?今回のは何だ?」
話を打ち切り、こちらを見つめるオーナー。
大丈夫、オーナーの早く言えよという圧は怖いが、もう言うことは決まってる。
ここからは仕事の時間だ、切り替えろ。
自信にそう言い聞かせてから目を開け、オーナーを見据える。
「死刑にされる前に、私が美麗死させたい者が居ます…ある女性だ。女性は浮気していて、そのことを男性は気づいていません」
美麗死とは、ミソギが作った造語だ。
麗しく艶やかな死であること、それを『不能犯』を起こすときの縛りとしている。
他の条件としては、標的が法を犯しているのにも関わらず『全犯罪死刑制度』が何らかの理由で適応されていないこと、オーナーの依頼であること、そして。
政府の人間だ。
どれかに該当していれば迷いなく私は殺す。
特に三つ目の政府の人間は容赦なく。
「なるほど、浮気はミソギの美意識に反するだからだね」
オーナーの言葉に少し返答が遅れる。
美意識?私のこれは美意識なんだろうか。
疑問に思ったものの、その問いの答えを求めることはすぐに諦めた。
何故なら、オーナーが答えを求めるようにこちらを凝視していたから。
「…ええ、今回の作品名は…『独占欲は美しい』です」
「ふむ…いいセンスだな」
「ありがとうございます。では、今回は男性に女性を『不能犯』で殺させようかと」
「ルートをアタシは確保すればいいんだな?」
「よろしくお願いします」
少し頭を下げ、オーナーと別れたミソギは歩きながらこれからの段取りを考える。
まずは男性に、もっと嫉妬深くなってもらわないと作品名に近づかない。
浮気調査をもう一度しようか。
元々目をつけてたし、男性には束縛の素質がある、否、ヤンデレと言ったほうがあっているか。
何かきっかけがあれば、上手く暴走してくれるはずだ。
自分のものにならないのなら殺してしまえ、と。
先に相手を裏切ったのが悪い。
「美しく彩ってあげましょう」
路地裏に、ミソギの不気味な笑い声が響いた。
オーナーと別れてすぐ、浮気の決定的証拠を掴むために、取り敢えず私は女性の居そうなところに向かうことにした。
愛憎渦巻くホテル街。
派手なメイク、派手な服装の女性。
鼻の下を伸ばし、にやにや、と下卑た笑いをしている男性。
その中には泥酔していて足元があやふやな者を、介抱していると見せかけてホテルに連れ込んでいる者も居た。
正直、気分が良いものではない。
一体今まで何人が気づかれて美しくない死を遂げたのだろうか。
警察や政府に殺されてしまうなんて許せない。
全ての死は美しくあるべきだというのに。
そうミソギが内心思っていると、お目当ての女性を見つけた。
「…男と腕を組んでる写真、撮っておきますか」
カシャ、という軽快なシャッター音とともに、見た者誰もが浮気を疑うであろう写真が撮れた。
あ、ホテル入っていくな。
もう一度写真を撮る。
「いい感じだな、これが不倫の写真じゃなければ」
月をバックに、笑い合いながら同じ足を同じときに踏み出しており、建物などの遠近感もあってモデルさんを撮ったかのようだ。
ミソギは少し顔を歪め、呟く。
心底軽蔑する、という表現が今のミソギの心情に一番近いだろう。
「写真の美しさと相まって、醜さがよく分かります」
はぁ、とため息を吐いたミソギ。
ホテルから出てくるまで、しばらく待ち合わせしている人を装ってスマホを弄っていることにしよう。
パスワードを打ってからスマホを開き、ニュースを見る。
気になった見出しを見つけ、ミソギはスクロールせずにタップした。
『全犯罪死刑制度』による死者遂に十万人か⁉
「十万人も…!」
淡々と語られ、乗せられている統計学。
文字の羅列、グラフ。
ああ、何と悍ましい、痛ましいことだろうか。
誰でも一度は聞いたことがあるだろう、「一人の人間の死は悲劇だが、百万人の死はもはや統計である」という言葉を。
誰が言ったかは定かではないが、まさにそうなってしまったのだ。
命を数として考える時代に。
やはり、『全犯罪死刑制度』を考えた政府の人間は即刻死ぬべきだ。
「早く、もっと罪を…!」
もっと制裁しないと。
死で救済して差し上げないと。
圧殺して。絞殺して。殴殺して。撃殺して。斬殺して。刺殺して。射殺して。焼殺して。磔殺して。毒殺して。轢殺して。禁殺して。溺殺してッ!
…絶対に、楽になんて死なせてやらない。
しばらく、月の映える夜に仄暗い瞳でぶつぶつと呟くミソギが居たのだった。
カシャ、というシャッター音が、肌寒い十一時過ぎの深夜に響く。
結局そのあとも、出てきたところの写真などを何枚か撮った。
さて、どうするか。
オーナーが旦那さんにアイコンタクトを取れるようにしてくれたらしい。
私は人心把握は専門外だけど、オーナーはそういうのが大の得意だ。
オーナーがかなり揺さぶってくれたみたいだから、男性に私が少し声をかけるだけで良いだろう。
決行は明日。
ちなみに私の今回の芸術の工程はこうだ。
①写真を撮って浮気を決定的なものとする。
②オーナーによって愛を狂気的なものへすり替える
③私がスマホのアプリ上で声をかける
④写真を渡して茫然自失とさせ、殺させる
今回は、オーナーがかなり愛を歪めてくれたみたいだから簡単かな。
ミソギはそう考え、伸びている野郎共に一瞥をしてから肢体を翻した。
次の更新予定
隔週 日曜日 19:00 予定は変更される可能性があります
少女ミソギの立証不可能犯罪簿 禊 @misogi1111
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