甲子園

華月ぱんだ。

第1話

甲子園、と聞いて何を思い浮かべるだろうか。

関西で人気の虎の球団の本拠地か、はたまたそれがある兵庫の土地のことか。

多くの人間が思い浮かべるのは、夏の高校野球だろうか。暑い青い夏がぶつかる、あの青春の詰まった大会だろうか。

香澄は、真っ白な原稿用紙を見つめながら頬杖を付き考える。

季節は初夏。梅雨が明け夏の足音が近づく頃。今年は梅雨入りが遅かったから開けるのも遅かった。甲子園を掛けた地方大会までの練習期間はあと僅か。熱の籠った掛け声が窓の外から聞こえてくる。

―キン

と硬い音が聞こえた。ナイバーッチと声をかけられているたった今バットを振るった男は香澄の幼馴染だ。

圭吾という名の彼は、プロも注目するバッターとして今夏期待される選手の1人であった。

こんな田舎の港町の、そこまで大きくもない高校からそんな球児が生まれるとは、誰も想像していなかっただろう。家から近いと言うだけで志望校を選んだ時は、香澄も圭吾もこんな未来は想像していなかった。

切っ掛けは去年の夏。

流行病の影響でとある強豪校が欠場したことで、運良くうちの高校が地方大会決勝まで残ったのだ。

もともと強くも弱くもないそこそこという評判の我が校野球部の創部以来の快挙に、学校中が湧いた。吹奏楽部も夏の大会真っ最中だと言うのに駆り出され、他の生徒もこぞって応援に出向かされた。

そんな試合で、圭吾は同じくプロ注目の相手校のピッチャーから場外に届くほどのホームランを打ったのである。

綺麗なアーチを描いて飛んで行ったそれは、野球に興味のない香澄が見ても感動するものだつた。

地力の足りない我が校は結果としてはやはり負けてしまったが、その年の準々決勝まで進んだ高校の、ドラフトで名前を呼ばれたエースピッチャーからホームランを打った圭吾は、否が応にでも注目を浴びた。

そして、期待を背負った秋大会でも圭吾は3試合連続でホームランを放ち、そのうちの1試合においては打点全てが圭吾のものだった。

神宮球場にこそ行けなかったものの、二十一世紀枠で春甲子園に出場した時もしっかりホームランを放ってみせた。

勿論、野球においてホームランが全てという訳では無い。ランナーを貯めて返すことが大量得点の鍵である。だが、ホームランというのはやはり華やかなもので、ホームラン以外の長打も放てる圭吾は瞬く間に世間の注目の的になった。

そもそも、地方の片田舎の公立高校出身と言うだけでヒーロー扱いになる高校野球において、校内一と持て囃される爽やかな顔立ちがあれば一気にアイドル化するというものだ。

野球はたいていむさ苦しいものであるし。

そんなこんなで、圭吾も香澄も3年生になった今年は野球部に厚い期待がかかっているのである。そしてその期待に応えようと野球部の練習にも熱が入っている。

窓の外から真下に視線を移し、1文字も書かれていない原稿用紙を見る。

ここまで圭吾を始め野球部のことを考えておいて何だが、香澄は野球部のマネージャーとかいう訳では無い。香澄は文芸部に所属しているし、野球とかマネージャーとかのキラキラしたところとは縁遠い自称陰キャである。自認は知らないが他者からすると十二分に陽キャである圭吾は、斜め前に住んでいる幼馴染でありそれ以上でも以下でもない。だが、他人でもない。

野球には興味が無いが、兄のような弟のような幼馴染の事は普通に気になるし応援している。

ただそれだけである。

思考がどうしても窓の外に向いてしまうので、香澄は諦めてスマホを開く。現実逃避以外の何物でもない。

切り忘れて微妙に目にかかる前髪のせいでフェイスIDが反応せず、諦めて数字を打ち込む。パッと開いた画面にはカコヨミ甲子園の文字が踊っている。

ここ最近開いては閉じているそのサイトは、創作した物語を投稿し評価されるためのコンテストのようなものである。高校生を対象にしたそのコンテストは、高校野球に倣って甲子園という呼称がついている。高校三年生を迎えた香澄にとって、このコンテストに応募できるのは今年までだが中々投稿する勇気が出なかった。

香澄は、文章を書くのが好きだ。物語を書くのも大好きだ。だが、人に見られることに慣れていない。まるで自分の頭の中を見られているようで恥ずかしくてたまらないから。文芸部から出ている文芸誌でさえも中々寄稿できない香澄にとって、不特定多数に見られるネットに投稿するのはあまりにもハードルが高い。

―そもそも、投稿した所で見てもらえない可能性の方が高いとは分かっているが、最早見てもらえなかった事すら恥ずかしいのである。

どうしようかとサイトを見つめたまま固まっているとコツコツと窓が叩かれる。

目を向けると笑顔で圭吾がガラスを叩いていた。

ため息を吐きながら窓ガラスを開けると、外の暑い空気がムワッとこちらへ入ってくる。同時に圭吾が顔をこちら側へ突っ込んできた。


「すーずしー」


汗をじっとりかいた顔で目を閉じ、エアコンの涼しい風を受けている。

少し窓を開けただけで暑いと感じる気温だ。日光の下で運動している圭吾達は持った暑いだろう。可哀想に思って、扇風機を向けてやった。


「外暑すぎんだけど、38度だってよ」


そんでちょっと休憩だとさと言って、圭吾はぬるそうなスポーツドリンクをあおった。


「それ温くないの?」


「ぬりぃよ?でも、ないよかまし」


扇風機の風を顔面全体に受けながら、答える圭吾の首もとに買ったばかりのスポドリを当ててやる。自分で飲むつもりだったけど仕方ない。頑張ってる野球部員にくれてやろう。


「くれんの?まじか!さんきゅ!」


ニコッと輝かんばかりの笑顔でそれを受け取って、一気に飲んだ。うまーっと嬉しそうに笑う顔を見て、こういう所が好かれているのだろうなと思った。


「香澄今何してんの?」


「何にも。普通に文書いてる」


「真っ白だけど?」


風が少し吹いているので、原稿用紙の様子が、圭吾にも見えたらしい。うっと言葉につまりながら言い訳を述べる。


「いや、今考え中っていうか、1回考えたんだけど考え直してるって言うかなんと言うか…」


「んじゃ出す奴じゃねえんだ?そのカ何とか甲子園ってやつに」


「え、」


どうやらスマホの電源を落とし忘れていたらしい。先程まで見ていたサイトの画面は、圭吾の目線の先で点灯したままだった。


「だ、ださないよ。柄じゃないし」


「柄じゃねぇかなぁ?」


不思議そうな声で圭吾は言う。

俺は香澄に文章書いてるイメージあるけど、と明るい声で続けた。


「あたしなんかのレベルじゃ、出しても評価されないし意味ないよ」


「意味無いことはねぇんじゃねぇの?出すだけ自由なんだろ?」


何か香澄が否定の言葉を放っても、打てば響く用にそれを打ち消す言葉が返ってくる。

流石大活躍の球児らしい前向きさだ。


「お前も言ってたじゃんやるだけ無駄なんてない。目指すだけ自由だしやるだけ自由でしょって」


「言ったっけ?そんな事」


本気で記憶になくて疑問を返すと、言った言ったと笑われた。


「中3の時にさ、俺が甲子園出て活躍してぇけど無理だーって言った時、何でって自分で言ったろ?」


言われて少しづつ思い出してきた。

中3の今と同じ時期。夏の大会が終わったばかりの圭吾がそんなことを言い出した。

甲子園出てホームラン打って活躍してぇって思うよなと。それで、その後にボソッと呟いたのだ。でも俺は無理だろな、目指しちゃいけねぇな、と。

圭吾と香澄は、当たり前だが同じ中学校に通っていた。地方の普通の公立の中学校だ。当然ながら野球部は軟式だし、そこまで強くないが弱くもない位だった。だから、そんな学校でレギュラーだったとしても、強豪校からスカウトなど来るはずもない。

そして、圭吾の家は野球強豪校の私立に通わせられるほど裕福ではなかった。

甲子園行きてぇならリトルとかシニアとかやっとくべきだったんだ、と圭吾は呟いた。下に4人も弟妹がいる圭吾は、長男の性か習い事をしたいとかそういうわがままを言えずに育っていた。

一人っ子でそれなりに願望を叶えて貰いながら育った香澄は、そんな圭吾を尊敬していたし同時に損な奴だとも思っていた。他者の経済状況を察せられるほど大人ではなかったのだ。

だから、とても軽い気持ちで言った。

目指しちゃダメなのかと。

なぜ無理だと分かるのかと。

やってみなくては分からないだろうと。


無知だったなと思う。

幼かったとも言えるかもしれない。

野球に触れずに育った香澄にとって、甲子園がどれほど遠い目標なのか想像もつかなかったのだ。ただ、目指すだけなら誰にもできる、自由じゃないかと思っただけだった。


「あれは…忘れて」


「なんでだよ、俺お前の言葉に発破かけられたんだぞ?」


苦い顔で忘れるよう促しても、笑顔で拒否の言葉がかえってきた。


「お前が挑戦するのは自由とかいうからさ、じゃあやってみよーかって思ってさ」


「したら、ほら、この通り」


日差しの照りつける暑そうな場所から、ニコッと笑いかけてきた。

そんな圭吾に言われると説得力しかない。


わざと大きくため息を吐くと、圭吾が挑発するかのような表情で言う。


「自分の言葉に責任取るんだろ?」


「―っ分かった、分かったよ、やるよ!」


香澄の信条のひとつを挙げられるとどうしようもない。

ヤケクソで承諾の言葉を叫ぶ。

それを聞いた圭吾はご機嫌に笑った。


「応援してるよ、俺お前の書く文章、好きだし」


普段一切本を読まない脳筋が何かをほざいている。

香澄がじとっと視線を向けると笑いかけてきた。


「まじだよ。俺、他の文章は2行あったら読めないけど、香澄のだったら3行は読める」


「大して変わんないよ、それ」


呆れて言うとまた笑った。

本当によく笑うやつだと思う。


「おーい!嶋田ー!休憩終わりだぞー」


遠くから野球部のキャプテンらしい奴が声をかけてきた。

今行くーと声をかけ、圭吾はこっちを向く。


「んじゃ、約束な!」


「俺は、野球で甲子園の上を目指すし、香澄は文章でその何とか甲子園?の上を目指す!」


OK?と拳を出してきたので、渋々頷いてこちらも拳を出す。

コツンとぶつかった手の色は、驚くほど違っていた。


「帰り迎え行くし教室でまってて!」


と言われたので、また今日も一緒に帰るつもりなのかと返すと大真面目に頷かれる。

中学の頃から、暗くなったら絶対一緒に帰ろうとするのだ。女子一人は危ないからと言うが、正直そのせいで受けるやっかみの方が危ない。

ただ、どうせ拒否しても迎えに来るので適当に返事を返していると、キャプテンが叫ぶ。


「そこー!イチャつくなぁーーー!」


「「イチャついてない!」」


たまたま同時に返すと羨ましいーとまた叫ばれた。

何か言ってるしと笑う圭吾の肩を押して、グラウンドへ向かわせる。またなと手を振られたので振り返した。


グラウンドへ走り去る背を見ながら暑いし閉めようとして、やっぱり辞めて窓を開けたままにする。

肌に纏わりつく熱気のせいで、じっとりと汗をかく。

その手で原稿用紙を触れば当たり前だが湿ってしまう。パソコンにするか迷って、やっぱりペンを握ることにした。

パソコンで文字を打つのは苦手なのだ。

応募するにはどの道ネットにうちなおす必要があるが、まずはこっちで書ききってしまおうと用紙に向き直る。

夏の甲子園大会は高校球児の青春かもしれないが、甲子園という名前は他の高校生にとっても青春の代名詞なのだろう。

蝉の声と日差しの暑さを感じながら、香澄は最初の文字を書き出した。

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甲子園 華月ぱんだ。 @hr-panda

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