【短編】オフパコ
夏目くちびる
第1話
とあるラブホテルにて。
「まぁ、酒飲んでる間もヤラシイ手つきで太腿とか触ってましたもんね。こっちも二十歳ですから、『こうなるんじゃないかな』とは思ってましたよ」
「……はい」
「なんて言うんですかね。売れてないアイドルって、どうしても私が分かってあげなきゃいけないって気持ちにさせられるんですよね。実際のところ、芸能界って一般人の想像する何倍もの数の人に会うワケで、ならば一般人の何倍もコネクションが出来るワケで。そうなれば、必然、あなたを助けようとする女性だって何人も現れるじゃないですか。そんな中で、『私だけが〜』とか『私がいないと〜』とか、普通に自意識過剰ですよね。勘違いも甚だしいですよね」
「そんなことは……。いや、まぁ、そうかもしれないっすね」
「私、あなたに出会うまで普通のモテない女やって、仕事もOLやってますから、こんなふうに誰かに必要とされたい欲求が自分の中に眠っていることに気づきませんでしたけど。なるほど。ようやく、配信者やホストに狂ってしまう人間の気持ちが分かりました。これは確かに、理性で抑えつけられるようなモノではないかもしれません」
言いながら、女はブラウスのボタンを外してため息を吐いた。
「しかし、私は熱に侵されて冷静な判断を失ってする後悔よりも、ここで悩んで割り切った上であなたに体を提供したいのです。いえ、マンコを提供したいのです。最初っから後の関係なんて気にしなければ、私だって傷は浅くなるワケですから。『私だけが』ではなく、『どうせ私以外に何人もヤッてる女はいるだろうけど、今日都合の付く相手が私しかいない』ということで納得しようと思います。『捨てられた』だなんて被害者ヅラをして喚いても、あなたはなんの気負いもせずに生きていくだろうし、むしろ後世でそれを思い出して恥ずかしくなってしまう自分の心の方が深刻ですから。大丈夫です、ちゃんとセフレです。一日だけのセフレです。はい」
「う、うん」
「それでは、言いたいことを言ってスッキリしたので。どうぞ」
「抱けねぇよ!!」
まるで、青褪めたように真っ黒な瞳を向けた女の両肩を抑え、売れない地下アイドルの男は叫んだ。
「大丈夫です、あなたがヤリチンということは理解しています。というか、ヤリチンでもない男やビッチでもない女はアイドルになろうと思いませんよ」
「偏見がキツ過ぎるし、そもそも違うんだって! 本当に好きになっちゃったんだって! 他のファンの子なんて抱いてないって!」
「嘘ばっかり。というか、別にいいじゃないですか。今どきは恋なんてコスパ悪いっていうのが相場になってますし、自分で言うのもなんですが、売れない地下アイドルにハマってホイホイついてきてしまう女なんて絶対に面倒くさいメンヘラ地雷ですよ。私と関わったらロクなことにならないですよ。むしろ、冷静に俯瞰したような口を利いて無理矢理納得を勝ち取ろうとしている分、普通のメンヘラビッチよりも面倒くさいですよ」
「自分で言うなよ!! というか、メンヘラビッチに普通の奴はいねぇよ!!」
男は、なんだか悲しくなって涙が出てきてしまった。
無理もない。少年時代に芸能界へ入り、大人たちの策謀と商売に振り回され、挙げ句今に至っても芽が出ずに売れない地下アイドルを続けて小さな箱の短い時間を盛り上げるだけの役目に落ち着いてしまった自分が、久しぶりに信じてみてもいいと思えた女にそんな言葉を言われたのだ。
「なんですか、セックスしたくないんですか」
「キミだからセックスがしたかったの!! 勘違いされがちだけど、男にだってセックスを誠意的な愛情表現だと思ってる奴も一定数はいるの!! 男だからって別に誰とでもヤッてるワケじゃないの!!」
「愛情表現するだけなら、ステージのパフォーマンスで返してくれればいいんじゃないですか? どうせ私みたいな女は、私だけにウィンクしてくれるだけで勝手に特別扱いしてくれてるって勘違いしますよ」
「そういう一線を越えたいと思うくらい好きになったんだってば!! というか!! なんでそんなに擦れてるの!?」
「だって、失恋って凄く傷つくじゃないですか。本気になればなるほど、立ち直るのに時間が掛かりますし。そもそも、破局するまでに縋ってしまうのがどうしても惚れた女という生き物ですし。ともすれば、憧れから始まっているこの恋愛の弱者は間違いなく私なワケで、ならば様々なリスクヘッジをせざるを得ないワケですよ」
「お願いだから人として大切なモノまでヘッジにかけないでくれ!!」
「因みに、サプライチェーン的に言えば『愛情』は製造段階で、『素直さ』は流通段階で、『かわいさ』は在庫段階で失っています」
「じゃあ、小売段階では何が残ってるんだよ!?」
「『マンコ』ですかね。あなたがアイドルである以上、『金』は前提条件みたいなモノですし」
「やめろよ!!!!!」
男は、居た堪れない女の恋愛遍歴を思っていよいよ抱き締めてしまった。しかし、それは性欲など欠片もない、父のような庇護欲を持っての抱擁だった。自分はこのまま底辺で腐っていくと分かっていても、道化として小銭を稼ぐしかないと分かっていても、最後まで捨てられなかった『夢を与える』というアイドルとしての矜持が彼をそう足らしめたのだ。
「でも、こんなカスみたいな女にならなければあなたにドハマリすることも無かったワケですし。なんて言うんですかね、モテるあなたが私を特別扱いしてくれることと、優しいあなたが私を特別扱いしてくれることって違うと言いますか。アイドルにハマってしまう人間って、少なからず自己嫌悪しているでしょうし、比例するように自己顕示欲も凄いでしょうし。だから、『アイドル』のあなたに抱いて欲しいって気持ちを念頭に置いておいて欲しいんですよね」
「……分かってるよ」
「しかし、このハグは温かすぎます。こんなに心が安らぐハグは、少なくともモテモテのヤリチンが与えてくれるモノではありません。私だって一応は女です。それくらいのことは分かります」
「だから気持ちが変わったって言うなら、もう俺のステージには来なくていいから。な? もう少しくらい、可能性に希望を持ってみてもいいんじゃないかな」
体を離して、真っ直ぐに前を見る。そこにいたのは、至って普通の青年。ただ一人の女を見る、恋にまっすぐな一人の男であった。
「分かってる。俺だって、きっと有象無象の敗北者の一人として、もう二、三年経てば普通のサラリーマンとかやるんだろうさ。ロクに学校に通ってないって意味なら同じだよ。誰よりも輝こうとして、結果失敗した哀れな人間だよ。けれど、そんな人間でも、明日は今日より良くなってるかもしれないって、そんなふうに思いながら毎日を生きてるんだよ。水面に浮かんでる鳥を見て、足を必死にバタバタしてる姿なんて客は想像しないだろうし、知ったことじゃないとは思うけどさ。キミが思うほど煌びやかなじゃないんだよ。むしろ、そういう苦労が辛い道を歩いてきたキミには分かるから、俺を応援してくれるつもりになったんじゃないの?」
「……はい」
「だから、信じてよ。俺じゃなくて、そういう純粋な気持ちがこの世界にあるってことをだよ。アイドルだって、一皮剥けば人間なんだよ。いや、一皮剥けば普通の人間だから、俺はアイドルになれなかったんだよ。そんな男に憧れてくれて、応援してくれたキミはきっとまだどこかに純粋な心を残してる。ほんの少しでいいから、自分のことを真剣に考える男がいる可能性を信じてみてよ」
すると、女は少しだけ考えた後に男の目を見た。
「これが嘘だったら、私、多分死にますよ?」
「大丈夫。もしも嘘になったとしても、その時にはキミは死なないようになってる」
ずっと、誰もいないステージに向かってパフォーマンスをしていた男が、ようやく応援してくれる観客を見つけたとき。果たして、キラキラと輝いていたのはどちらだったのだろうか。夢を与える者が夢を見失った者を見つけたとき、果たして何を思うのだろう。
これは、夢破れた男と、夢を見せ続けた女の物語。
女は、静かに彼をベッドへ押し倒した。
【短編】オフパコ 夏目くちびる @kuchiviru
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