第16話 星降る夜に願いを

 ヴィルヘルムの言うとおり、禍々しい気を纏った黒い欠片の周囲には、ひときわ濃い瘴気が充満していただけで、本当に何もなかった。

 欠片が攻撃してくることも、魔物を生み出すこともない。


「そもそも、これほど濃い瘴気の中では生き物は生きていられないんじゃないかな? 澄んだ空気の中では瘴気が存在できないようにね」


 その言葉と同じく、オルテンシアが精霊の浄化の力で一帯の瘴気を払うと、核の欠片は破片も残さず呆気なく消滅した。


「これで、お仕事は完遂だね。あーあ、せっかくオルティとの共同作業だったのに、あっという間に終わっちゃったな」


 ヴィルヘルムがそう言って少し寂しそうに微笑んだのは、星空の元だった。

 洞窟を抜けて外に出てみれば、すっかり夜も暮れている。

 瘴気が晴れたのを目印に、その内ルフトが飛んでくるだろうとの彼の言葉に従って、二人で美しい星空を眺めていた時のことである。


「あの、殿下……」

「うん?」

「そんなに密着されなくても、保温魔法の効果は同じかと……」


 岩に座った彼の膝の上に、横向きに座らされたオルテンシアは、ぎゅっと抱きしめられているこの状況に困惑の声をあげる。

 いや、状況というよりも、ヴィルヘルムにだ。


(暖を取るための温石になると申し出たのは私ですが、なんだか殿下のご様子がおかしいです!?)


 洞窟の中は精霊石があるので外に避難したものの、流石に壁のない屋外は身に応える寒さだった。

 苦肉の策でオルテンシアが保温魔法をかけることになったのだが、しかし、魔力のコントロールに悩みを抱えている彼女は、他者の体に魔法をかけて状態をキープすることができない。


 だからその解決策として、オルテンシア自らが、発熱する温石の役目を果たしているのだった。が……。


「発熱温度が足りませんか? 寒いようでしたら、もっと温度を上げて……」


 ぎゅうっと抱き寄せられ、オルテンシアは温めようかと問いかける。

 だが、ヴィルヘルムは満面の笑みで否定した。


「ううん、不足しているのはオルティだから」

「へ?」


 それは、どういう意味なのだろう。


「この半年間、君に会えなくて寂しかったな——……」

(殿下の、このご様子は)


 寒いのか人恋しいのか、ヴィルヘルムの抱く力はいつもより強い。そこが少しだけ気にかかる。


(なんだか少しお会いしない間に、寂しがり屋さんになられましたか?)

「……」


 オルテンシアは甘えてくる子犬のような彼をじっと見つめ、ずっと気になっていたことを聞いてみた。


「学園生活は、お辛いですか?」


 すると夜色の瞳が虚を突かれたように見開かれる。


「え?」

「あ、その……」 

(ああもしや、見当違いなことを言ってしまったのでしょうか)


 まったく心当たりがなさそうな反応にオルテンシアは狼狽える。けれども勢いに任せて言い切ってしまう。


「……っ。だって殿下は! 今回任務を仰せつかって学園をサボ——いえ、お休みされているではありませんか!!」


 ヴィルヘルムはその言葉の意味を咀嚼するように数度瞬きする。それから突然、ふっと笑み崩れた。


「——あははっ」

「!」


 オルテンシアをぎゅうっと抱きしめ、その首筋に顔を埋めた彼は、声だけでなく体までをも震わせている。


「っ、君は、本当に可愛いな」

「な、なぜ笑うのです!?」

「だっていまは長期休暇中だよ」

「へ」


 思いがけない答えに、今度はオルテンシアがぽかんとなる番だった。


「そうだね。君は学園に通ったことがないから馴染みがないよね」


 すると体を起こした彼が説明してくれる。


 大陸に位置する大抵の教育機関は学期が二期に分かれていること。冬と夏に長期休暇というものがあること。


「王国では年明けから三月の末まで、学年が繰り上がったり、新生活の準備を行うための冬期休暇が設けられているんだよ」

「冬期、休暇……」

(そういえば、聞いたことがあるかもしれません)


 オルテンシアは俯き、うむむとなけなしの知識をたどる。

 すでに高等教育を履修している彼女だが、ヴィルヘルムが言ったように「学園」というものに通ったことがない。

 聖女という地位は望まずとも最高の教育が約束された立場でもあるし、そもそも、彼女の立場が世俗に染まることを許さないのだ。


(たとえ通うことが許されたとしても、聖女としてのお仕事があるのできっと難しい。そう考えて今までは興味を持たないようにしていましたが……)


 一度情報を得てしまうと、むくむくと好奇心が湧いてくる。

 神殿という狭い世界に閉じ込められている反動か、オルテンシアは知識に貪欲なのだった。


「気になる?」

「う、はい……」


 目ざとく図星をさされ、オルテンシアはもじもじと両手の人差し指をくるくるさせる。


「だって……会えない間殿下がどう過ごされているかは、私にはぼんやりとしか想像できません。学園とはどのようなところで、そこに殿下が心許せるご友人はたくさんいらっしゃるのでしょうか、とか……」


 限られた情報の上でオルテンシアは想像するしかない。


「殿下は努力家なので、無理をされていないかいつも心配です」

「心配……」


 胸の内を告白したとたん、なぜか沈黙が訪れた。

 そうなると、オルテンシアはそわそわし始める。


(な、なんでしょう。この間は。またしても変なことを言って——)


「……オルテンシア」

「はい! すみません!」


 珍しくきちんと名前を呼ばれ、反射的にぴゃっと背筋が伸びる。


「君は本当に——……」

「?」


 切なそうな声色に顔を上げれば、見えた光景に吐息が漏れる。


「あ……」


 少しずつ近づいてくる夜色の瞳と、その向こうの景色。どきんと鼓動が跳ねた——そのときだった。


「で、殿下、殿下、殿下!」 


 視界を白い閃光が横切り、オルテンシアは思わずパシパシとその腕を叩いていた。


「……」

「流れ星です! そういえば流星群があると聞いていました。これから本格的に流れ始めるのかもしれません!」


 きらきらした顔で空を、それから同じ色の瞳を見上げると、彼がゆるくまつ毛を伏せる。


「——うん。ソウダネ……」

(? なんだか固いお返事です?)


 微かに感じた違和感にオルテンシアははてと首を傾げる。

 だがぽつぽつと降り始めた星々にあっという間に心を奪われてしまう。


「わぁ! ……殿下の瞳みたいに、綺麗」


 美しい光景にくぎ付けになり、オルテンシアは息を呑んで空を見つめる。


「殿下がそばにいてくださるからか……感じているたくさんの幸せと同じくらい、この思いを返せたらいいな……」


 自然と湧いた願いを、思わず声に出してからはっとした。


(き、聞こえてしまったかしら?)


 その時丁度、ザアアっと風が強く吹いたので、木々の音に紛れたかもしれない。けれどもヴィルヘルムの聴覚はいいのだ。

 オルテンシアはどきどきと彼の様子を睫の隙間から窺う。

 だがどうやら流れ始めた星に見惚れ、聞こえてはいなかったようでほっとした。


 その証拠に、白い吐息をたなびかせながら空を見上げ、「綺麗だね」と呟くのが聞こえる。

 ヴィルヘルムは空へと視線を据えたまま、軟らかく微笑む。


「流れ星が流れ切る前に三回お願いごとをすると、その願いは叶うらしいね」


 そのいつもとは違った横顔にドキッとしたが、次の台詞で意識はそれる。


「これだけ流れていたら、一つくらいは神様が叶えてくれるかも。……もしも俺と一緒に学園へ通っていたら、オルティはなにがしてみたい?」


 その質問にオルテンシアも空を仰ぎ、ぽつりと呟く。


「学園に通っていたら……」

「どんなことでもいいんだよ。たとえば、ひとには言えない悪いことをしてみたい、とか」


 少しだけ悪そうな笑みを向けられ、オルテンシアは「あ!」と閃く。


「では、前に聞いたアイスクリーム屋さんで買い食いなるものがしてみたいです!」

「ふふ、オルティは甘いものが好きだものね」

「神殿では堕落を生む、贅沢な嗜好品は禁止ですから。そうですね。悪いことをするのならお友達とおそろいの物を身に着ける、というのも楽しそうです」

「うん。どちらも学園の近くによさそうなお店が何件かあるから、放課後一緒に行こうか。それから?」

「それから……週末にはお泊り会を。テストの前には一緒にお勉強をして、学園祭と——……」


 ヴィルヘルムはときどき、世間知らずなオルテンシアに付き合って、こうした空想に付き合ってくれる。実際には実現できないことでも、空想であればどんなことでも許される。

 だから取り乱したルフトが空間から現れるまで、ふたりはしばし幸せな願いに花を咲かせた。


 彼がある想いを、美しいその笑顔の下へ隠したなどと思いもせずに。




 ***




『感じているたくさんの幸せと同じくらい、この思いを返せたらいいな……』


 駆けつけたノーチェや司祭たちに泣き付かれ、必死に宥めるオルテンシアを眺めながら、温もりのような言葉を胸に、ヴィルヘルムはゆっくりと目を閉じる。


「……俺は、君が幸せを願うほどいい人間じゃないよ。オルテンシア」


 ヴィルヘルムは自分の瞳が嫌いだった。

 本来エーデルシュタインの王族は金髪に金色の瞳をしている。けれど彼の色は黒。たとえ金の虹彩を持っていても、むしろそれが禍々しいと囁く者もいた。


「だけど君の笑顔のためなら、どんなことでもする」


 ぽつりと囁き、ヴィルヘルムは彼女が美しいと言った、己と同じ色の星空を見上げる。

 そのときちょうど赤い星が流れるのを見て、美しい唇が弧を描く。


「彼は精霊の不興を買ったことで、異能が使えなくなったらしい。俺でも攻撃して消せればいいなって思っていたけれど。それ以上にいい結果になったかな?」


 くすりと笑ったあとで、彼は再び光の中のオルテンシアヘと視線を注ぐ。


「まだまだ君は俺だけを求めてくれないけれど、いまはそれで良い。だってこの手に入ったら、もう二度と離してはあげられない」


 そう告げた瞬間、オルテンシアがこちらを振り返り、向けられた微笑みにヴィルヘルムは眩しそうに目を細める。


「だから頑張って逃げてね、俺の可愛い聖女様——……」


 愛を囁くようなその声色は、夜の森にしっとりと溶けていった。

 

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お仕事中の聖女ですが、婚約者(予定)が邪魔してきます。~なお、その溺愛は不穏です!? 涼暮月 @i-suzu

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