第15話 脱いでください。今すぐに!

「ギィ! ギィィ!」

「ふん、ふん?」


 オルテンシアは顎に手を当てると、ヴィルヘルムに捕まれたまま不機嫌そうな妖精から聞き取りを行った。

 妖精は下級精霊の中でもその土地に宿る地霊に近いので、人語は理解できるが話せない個体がほとんどである。

 それでも、マナを通して精霊の伝えたいイメージは伝わる。


「どうやら私が喧嘩に巻き込まれていると思ったようです。それから、なにやら見せたいものがあるとか」

「見せたいもの?」


 その言葉を聞いた瞬間、ヴィルヘルムは普段の笑顔など微塵もなく、美しい眉間にぐっと皺を寄せた。


「精霊の言葉なんて信用ならないな。いったいオルティをどこへ連れていくつもり?」


 精霊は気に入った人間を自分のテリトリーへと迷いこませ、閉じ込めてしまうことがよくある。とくに精霊王の寵愛を得ているオルテンシアは、精霊に好かれやすく、幼い頃からよく誘拐されかけていたのだ。

 それを何度か阻止したことがあるヴィルヘルムが、全身で警戒するのも無理もない。


(とはいえ、この子から悪意や悪戯心のようなものは……)


 感じられない、と思いかけたところで、妖精が唸り声を上げ、風の刃がヴィルヘルムを襲う。


「ギィィ!!」

「……」

「……」


 鎌鼬のような疾風は、首を逸らして避けたので髪の毛の先を掠めるだけですんだものの、明らかに殺意がこもった一撃だった。


「殿下!? 妖精さん!?」


 一拍遅れて、オルテンシアは悲鳴を上げた。


「へえ? いい度胸だ、この羽虫め」

「はわわわっ」

「ギ! ギィギ……ッ」

「お、お待ちください、殿下!」


 ヴィルヘルムが流れるように笑顔で握り潰そうとしたところで、オルテンシアは慌てて止めにはいった。


「殿下はオーラマスターという性質上、精霊に敵愾心を与えてしまうのです!」


 純粋なマナの塊である精霊に、オーラは刺激が強するのだ。


「オーラは、上級精霊ともなればさほど影響はありませんが、下級精霊の妖精にはかなりの脅威になるのです! 攻撃したのは決して見過ごせません、ですが本能に従ってのこと。決して悪意があってのことではないのです! ですからどうかご容赦を!」

「……これで、悪意はない?」

「うっ」

 

 疑わしげなヴィルヘルムに思わず言葉がつまってしまう。

 事実ではあるのだが、「キシャァァ」と鋭い牙を見せ威嚇している様子を見てしまうと、なんとも苦しい言い訳だ。


(ですが実際、敵意はあっても悪意は感じられません。私に、必死になにかを伝えようとしているのがわかるだけで……)


 うーん、とオルテンシアは頭を悩ませる。すると何を考えたのかヴィルヘルムが手を開いた。

 拘束から抜け出した妖精は、一度ヴィルヘルムを睨みつけ、それからオルテンシアの周りを旋回する。


「ギャッ」


 そして、まるで「こっちだ」と告げるように髪をツンとひくと、一声鳴いて東の方向へ飛び立った。


「あ、待ってください!」


 小さな体からは想像できないスピードに、オルテンシアは慌てて声をかける。二人は顔を見合わせ、妖精の後を追ったのだ。




 ***




 生い茂る木立を抜け、曲がりくねった傾斜を上り。少しして辿り着いたのは、岩山を奥へ奥へとくり抜いたような洞窟だった。


「わぁ……」


 妖精の先導に従って、狭い道を魔法で照らしながら奥へ行くと、広い空間に出る。

 薄暗いのでわかりにくいが、所々金属で砕いたようなでこぼことした壁面には、宝石の原石となる物が埋まっているようだ。

 床も壁も天井も、魔法の仄灯りを反射しながらキラキラと輝いている。


(魔物が出没するようになるまで、この辺りはガーネットの産地で有名だったことを考えると、ここは休鉱中の採掘場なのでしょう)


「妖精さんはこれを見せたかったのでしょうか?」


 例の妖精は満足したのか、洞窟内を旋回するといつの間にか消えていた。

 だから独り言をこぼす格好になってしまったのだが、ややして、オルテンシアは来た道とは反対の、奥へ続く暗闇へとじっと視線を据えた。


「……」

(いいえ。この先に妖精が放つ瘴気とは別の、もっと禍々しい気配を感じます。地上で感じたものと似ていますね)

「殿下。もしかしたらこの先に、核の欠片があるのかもしれません」


 オルテンシアは前を向いたまま暗闇の先に意識を集中し、ヴィルヘルムに声をかける。それからあることに気づいて、はっと周囲を見渡した。


(この場に満ちている、この気は……)

「オルティ?」

(——やっぱり。あそこにも、ここにも!)


 ひとしきりぐるりと視線を巡らせた後で、はぁと溜め息が零れてしまう。

 つぎにヴィルヘルムと向き合ったときには、至って真剣な表情でこう言った。


「殿下、脱いでください。今すぐに!」


 ついでにずいっと詰め寄ったので、ヴィルヘルムは壁際に追い詰められる格好となる。


「……ずいぶんと、積極的だね」

「当たり前です! 殿下ご自身も気づいていらっしゃるでしょう、この状況に!」


 腰に手を当てて少しだけ憤慨して告げると、ヴィルヘルムが空っとぼけたことを言った。


「この状況って?」

「うむむ、本気で仰っているのですか」


 すると、彼は溜め息のように「ああ」と零す。屈みこんで耳に囁く声はどこか甘い。


「オルティが、俺を脱がせて……」


 彼が喋るたびに耳へ熱い吐息がかかって、擽ったいような妙な感覚が肌を走る。


「触れたくて仕方がないって、状況のこと?」

「…………何を仰って……——は!」


 なにやら色気たっぷりの声色で囁かれ、一瞬ぽかんとしてしまった。

 だが意味を理解したとたん、かぁっと顔が真っ赤に染まる。


「~~……っ、これだけ精霊石に囲まれているのです! 脱ぐのは手袋に決まっているではありませんか!」


 意味深なことを言って、変に揶揄うのはやめて欲しい。

 ついでにひんと涙目になるとヴィルヘルムがしれっと答える。


「なんだ、残念」

「残念てなんですか!? 私は痴女ではありませんよ……」

「はいはい。聖女様の仰せのままに」

「っ!」


 そう言って今度は素直に左の手袋を外すあたり、彼は意地悪だと思う。 

 オルテンシアは熱くなった頬を外気で冷たくなった手で覆い、むむむと唸った。


(まったくもう、殿下ったら! ……まあ、私も迂闊すぎましたが。妖精が出入りしている時点で気が付くべきでしたのに)


 高純度の宝石や原石は、精霊が気に入ると精霊石に変化することがある。

 そして精霊石はマナの塊で、魔法師やオーラマスターにとっては補助具だ。

 しかし、人間でありながら上級精霊に匹敵する程のマナを宿すヴィルヘルムにとって、毒になりうる危険性があるのだ。


(……今のところは、流れ込んでくるマナをうまくコントロールなさっているようですが。岩肌に見えているあの輝きがすべて精霊石だとすれば、きっととてもおつらいはず) 


 オルテンシアの瞳にも、ヴィルヘルムの体へ大量のマナが吸い込まれていくのが見えている。それはマナ回路を廻ろうと、始点である心臓へ向かい、彼を苦しめているはずだ。

 

 けれど恭しく手を差し出す姿からは、そんな気配は微塵も感じられない。


「はい、お手をどうぞ、聖女様」

「……」

「ん? どうしたの?」

「いえ、なんでもありません」


 オルテンシアは小さく首をふると、彼の手を取った。

 いつもオーラの影響で活性化している温かな手は、いまはひんやりと冷たい。


(でも、そんなことを指摘するのは無粋ですね)


 オルテンシアを愛称で呼ぶヴィルヘルムは、公式な場か、彼女を揶揄うときか、拗ねたときだけ、『聖女』とそう呼ぶ。


(ですが今の『聖女様』は、きっと違います)


 きっと、手袋を脱いでと告げたとき、時間を稼ぐようにはぐらかそうとしたのと同じ。呼吸を整える間、揶揄いを装って、苦痛の表情を誤魔化そうとしたのだ。


(だったら、私がやるべきことは一つです)


 オルテンシアは手首を返して、彼の左手と自分の右手が重ね合うように組みなおし、指を絡める。

 それからすうっと深く呼吸をし、自らのマナを引き出す。


(殿下の苦痛の原因を取り除くの……)


 するとヴィルヘルムの体から立ち上った青いマナと、オルテンシアの持つ黄金のマナがゆっくりと交じり合い、金色に塗り替えられていく。


(まだ、もう少し……殿下のマナを置き替えたら、私のマナで殿下の回路を遮断して。余分なマナが流れ込まないように保護までしっかりと)


 そうした手順を一つ一つこなしていくと、ヴィルヘルムの呼吸が深くなるのがわかる。

 やがてマナの調整が完了し、オルテンシアはふうっと息を吐いて手を離そうとした。


「終わりましたが、調子はいかがですか?」

「うん」


 すると、ヴィルヘルムがぎゅっと握りなおし、こう言った。


「この先にも結晶石がありそうだ。足元も不安定だし、このまま繋いで行こうか」

「へ?」


 オルテンシアは首を傾げ、ぱちぱちと目を瞬く。


「この先には核の欠片がありそうですし、片手が塞がっていたら、殿下は不便ではありませんか」

「そんなことないよ。瘴気への対処法さえ知っていれば核の欠片自体に害はない。あれの周りには、魔物もやすやすとは近付けないからね」



 ***




 

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