折立兄妹
おかしい。
青信号なのに、横断歩道前で急ブレーキを踏んだ車に
「なんやあれ。こわ」
クラクションを鳴らしたかと思えば、運転席の窓から顔を出す男。目ついてんのかなど『何もない場所』に対して怒号を上げている。
やっぱりおかしい。操は少し離れた路肩にレンタカーを停め、ハザードランプのボタンを押した。
「だってあの車の前におるもん。見えてはるんやろ」
助手席に座る
操がM県M市の某町に来たのはつい先日のことだった。オカルトライターの彼がどんなものにでも首でも足でも突っ込んでいくことは日常茶飯事。ここにやって来たのもその一環である。
しかし、取材先で発生していた事態は思ったよりも深刻だった。そこで、そういう力――いわゆる霊感、霊能力のある妹の実を呼びつけた。
実は電話のやりとりだけでその深刻さを感じ取ったのか、すぐにやってきた。新幹線と電車を数本乗り継いで、先ほどようやく合流したばかりである。
嫌と言うほど夏を感じさせる強い西日の中、車をそちらに向けて走らせる。その最中の出来事だった。
「何がおる」
「んー……死神かなあ」
「おおん?」
死神、という強い単語に何とも言えない声を発する操。
「嘘。人間の恨みの塊みたいな感じ。生霊も混じってるけど、ほとんどが念やね。ほぼ呪いみたいなもん。あの車乗ってる人、相当やね」
それほどに他人から恨みを買っている人間があの車に乗っている。どのような人物なのか、その人物には『何』が見えているか。興味深いが、操にはそれよりも気になることがあった。
「ほっといたら死ぬ?」
操の問いに、実はしばらく黙った後
「さあ」
と、呟いた。
「死ぬんやな」
操は確信した。放っておけば、あの車に乗っている人は死ぬ。
そんなやりとりをしている間に、車はゆっくりと前進していた。信号は間もなく赤に変わる。あのままでは赤信号の交差点に飛び出して行ってしまう形になるだろう。
これはまずいと、操は周囲を見渡した。
「何とかできんか? 俺は車止めさせる」
「……追い払うだけならできるよ。でも戻ってくるで」
実はあまり乗り気でない様子だった。しかし、操は車のエンジンを止めてシートベルトを外しにかかっている。
「目の前で死なれるよりマシ」
そう言って車を飛び出した操を見て、実もシートベルトを外した。
車を止めさせると言ったものの、操は悩んだ。
止めさせるにはブレーキを踏ませるしかない。運転中はドアにロックをかけているだろう。こちらが車外から呼びかけてどうにかなるならそれでいいが、そうならなかった時は――。
操の目に、近くの一軒の家の前に置かれた鉢植えが目に入った。それなりの大きさで、素材はレンガのように見える。駆け寄って持ち上げてみる。なるほど、充分な素材だ。
「借りまーす!」
一軒家に向かってなるべく大きな声で言うと、操は鉢植えを持ってゆっくりと前進を続ける車に向かって走った。他に車が来ていないことを確認して、車道に飛び出し、助手席側に回る。
中には一人の中年男性がいた。目は焦点があっていない上に、まばたき一つしていない。口はあんぐりと開いている。
「おーい!!」
大きな声で呼びかけても、ガラスを拳で叩いても、ピクリとも動かった。
一方、実は横断歩道の前でその『死神』と対峙していた。
何人分かもわからない大量の念の塊。無数の記憶が実の頭の中に流れ込んでくる。
男はひたすらに自分勝手であり、無自覚だった。自分に発生する不都合が自分の行動や言動に原因があることすらわからないほど。自分の主張・考えはすべて正しい。従えないなら抑えつければいい。無数の記憶から、男がこの考えの元にどんなことをしてきたのかを無理やり見せつけられる。理不尽な暴言と暴力に蹂躙される人、耐える人、泣く人、絶望する人。
次に出てきたのは年老いた女性だった。泣いていている。追い詰められている。そして、男に対して誰よりも強い『念』を持っていた。恨みだけではない、色んなものを。この男の母親で、生霊だ。
女性は実を言った。『私が、責任を取ります』と。
「今は、やめて」
とっさに出た言葉だった。二度とこの男に近寄らないようにするのが一番良いことだとはわかっている。操はおそらくそれを望んでいる。でも、無理だった。この男は、この死神の――様々な人の恨みが集まる核となってしまった母親の元に帰ることになる。だから、せめて。
「操の前で、殺さんで」
今後ではなく、今を諦めさせる説得をするしかなかった。
呼びかけてもどうにもならないと判断した操は、何度か鉢植えを窓に叩きつけ、ガラスを割ることに成功した。その強烈な音がぼーっとしていた男を我に返せたようで、驚愕した表情で操を見る。事態を説明している余裕はない。
「そんまま踏み込め!!」
停車していたのであれば、ブレーキの上に足が乗っている。進む速度からして、ブレーキを踏む足から徐々に力が抜けているということは見てとれた。
ブレーキを踏めと具体的に指示をしても、今自分がブレーキを踏んでいるのかどうかと判断できずにパニックになる可能性がある。操はそう考えて言葉を選んだ。それが功を奏し、車は無事停車した。
実から数万円をふんだくったその男は、意気揚々と走り去って行った。
「お母さんのことちゃんと大事にしてあげなアカンよ!」
そう叫んだ実の声は、きっとあの男には届かなかっただろう。操はそう思った。
「お母さんが原因?」
操の問いかけに、実は首を横に振った。
「お母さんだけやないよ。ただ、あのおっさんが、色んな人に色んな嫌なことしてきた結果」
実の顔色は良くない。きっと良くないものを見せられたのだろうと、これまでの経験から操は察した。見たものを聞きたくはあったが今は諦めることにして、明らかにスピード違反の男の車が小さくなっているのを見つめる。
「自業自得ってやつか」
しゃーないなと言いつつも、操の表情はどこか晴れ晴れしかった。実は少し唇を噛んでレンタカーに向かって歩き出す。操も彼女の後ろについていった。
「……操」
「兄貴って呼べ」
「双子やから兄貴もくそもないやろ。とにかく、その」
「なんや」
「あの人がどうなるかはあの人次第やから」
どういう意味かと、操は問いかけようとした。しかし、「なにしてるんだ!」という老人の言葉に会話は遮られる。
その老人は、操が脇に抱える鉢植えの持ち主だった。
怒れる老人に、操は大袈裟なほど申し訳なさそうな表情と態度を見せる。植物は無事であること。居眠り運転している男を起こすために使わせてもらったと説明し、ほんま申し訳ない、人命かかっとったもんでと。何度も何度も謝罪と人命について言う操に、結局老人は「そういうことなら」と折れた。
植物も鉢植えも無事だったが、一応気持ちとしていくらかお渡しする形で話は片付いた。
二人が助けた男――柏木友が殺害された。
M県での仕事を終え、操が東京に戻り、実が地元に帰って数日経ってからのことだった。
徹夜で原稿を書き上げた操が、安堵感から押し寄せた眠気に身を任そうとした時。BGMとしてつけていたテレビの画面に大きく、あの日助けた男の顔写真が映し出された。一緒に暮らしていた母に殺されたらしい。
被害者の関係者に対するインタビューは散々なもので。あんな田舎町で多くの反感を買っていたなら、これまでの人生も「お察し」やなと無意識の内にため息が出た。
――あの人がどうなるかは、あの人次第やから。
実の言葉を思い出す。あの男が変わらない限り、このような結末を向かえることを理解していたのだろう。それでもあの時、あの場だけは、何とかしようとしてくれた。そして実際に何とかなった。
きっと実もこのニュースを見ているだろう。
操はスマホを手に取り、メッセージアプリを開いた。有名アイスクリーム店で使えるギフト券を贈りつける。特にメッセージをつけることなく、操はそのままソファ兼ベッドに倒れ込み、すぐに眠りに落ちた。
『このアイス屋、近くにないんやけど』という、妹からのメッセージに気付かないまま。
不変の結末 平城 司 @tsukasa_t
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます