第4話 ユートピア


 ◆タンス預金するカネもなし

 バスの時間があるというので、知り合いと別れた。

 粕原さんと友人はエレベーターホールの椅子に腰かけた。


「ウチの団地でもみんなで集まる機会つくらんといかんなあ。けっこう、へそくり持ってる人いるよ」

 友人は顔が広い。彼女が一声かければ、かなりの人が集まるだろう。

「タンス預金か。銀行の利息が低いから、わざわざ預けに行かんもんな。おかしな時代や。ウチはタンスに置いとくカネもないけど」

 粕原さんの話に友人が相槌を打った。


 エレベーターが開いた。

 女性の親子連れが出てきた。うつむき加減のおばあちゃんが、顔を上げた。急ぎ足になった。例の玄米のおばあちゃんだった。

「その節は大変お世話になりました」

 お嫁さんが頭を下げた。


「母がどうしても卵をお届けしたい、と申すものですから」

 お嫁さんは紙袋をふたつ差し出した。

「母が『今日は、どうしても行くんだ』って聞かないのですよ。まあ、お会いできなければ、警備員さんにお預けしておけばいいかと。お知り合いのようでしたので」


 ◆キャリア

「母の健康のために、養鶏をまた始めました」

 お嫁さんは話し始めた。


「いえ。父がいた頃は四万羽飼ってましたが、いまは二〇羽ほどです。庭で放し飼いなんです」

 昔、田舎には鶏を飼う家が多かった。放し飼いされ、粕原さんも夕方になると「コーコーコーコー」と言いながら、鶏小屋に追い込んだものだ。卵は肺を病む父親の貴重な栄養源だった。


「母は朝早く起きて鶏にエサをやります。鶏は庭でミミズや小さな虫をついばみながら一日を過ごし、夕方、母が鶏舎に入れます。母は生き生きとして、とても楽しそうなんですよ。本当にお二人のお陰です」


 お嫁さんによれば、おじちゃんは東北から上京して、世田谷で養鶏業を始めた。匂いの問題などもあって、多摩の田舎に移転し、最後は埼玉で操業していた。

 おばあちゃんは二〇歳で嫁ぎ、六二まで家業を手伝った。


 ◆卵料理

「お母さん、四〇年も鶏飼ってきたもんね。おじいちゃんと鶏がいなくなって、寂しかったよね」

 お嫁さんはおばあちゃんの顔を覗き込んだ。

「卵は生きてる。呼吸してるから、冷蔵庫に入れたら死んでしまうよ」

 おばあちゃんは粕原さんたちに注意を与えた。


 フライパンの真ん中に、鮮やかな黄身が盛り上がっていた。皿に移し、箸をつけようとして、涙がこぼれた。


(団地の集会場で料理教室やって、みんなに食べさせてあげよう。卵買いに行ったら、おばあちゃん、喜ぶやろな)


 友人も目玉焼きを前に、同じことを考えていた。

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和製ピンクパンサーⅣ 山谷麻也 @mk1624

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