第3話 都心再開発


 ◆セールス

 その夫婦は多摩地区にある高級マンションに住んでいる。

 旦那さんは近ごろ急に認知が進み、ほとんどつきっきりで面倒を見ている。奥さんが外出する時は、家政婦相談所に依頼し、家政婦さんを派遣してもらっている。手続きが面倒なので、介護保険は使っていない。


 電話に出ると、旦那さんの氏名を確認した後

「いやあ、おめでとうございます」

 手放しの祝福だった。

「ご存じでしょう。スポーツ施設も集合した、都心の超一等地で再開発事業が進んでいますのは」


 旦那さんは学生時代、ラガーマンだった。そこのラグビー場で試合をしたことを、奥さんは繰り返し聞かされていた。


「ご主人にもご案内しましたとおり、予定されているサービスアパートメントのワンフロアに、二四時間完全介護のVIPルームが開設されるのですよ。もちろん、ご夫婦で入居できます。わが社は販売を請け負っておりまして、現在、第一次書類審査を終えた段階なのです。失礼ながら、資産状況等いろいろ調査させていただきました」


 再開発事業のことは、前に旦那さんから聞いたことがあった。

(しっかりしていた頃、申し込んだのかな。思い出深い地であり、ダメ元で応募していたのだろう)

 それくらいに考えた。


 ◆プライド

 奥さんは悪い気はしなかった。新宿の生まれなので、最近、都心が恋しくなっていたところだった。

「多摩に住んでいるけど、あたしゃね、新宿の生まれなのよ」

 奥さんの口癖だった。


 書類が届いた。細かい字が並んでいた。あの知事が認可した開発事業なので、細部まで読まずに署名して投函した。

 後日、似たような横文字の会社から電話があった。やはり、第一次審査通過のお祝いを述べられた。

「当面、ご入居の予定がないのなら、入りたがっている方はたくさんおられますので、賃貸しをされてはいかがでしょうか。何、投資目的の方は同じようなことされてますよ」


 不動産業界の裏話を聞かされた。

(正直者は馬鹿を見る)

 旦那さんがよく言っていた。

 奥さんはまた貸しを了解した。二〇三〇年までには入居開始と聞いた。まだ一〇年は体力が持ちそうなので、何年かは金儲けができる。願ってもない話だった。


 ◆犯罪行為

 先の会社から電話があった。

 隠しておくこともできないので、いきさつを話した。

「ええっ。それは犯罪になりますよ。注意事項をよく読まれなかったのですか。参ったなあ。わが社もへたすると、営業停止処分になります」

 営業マンは、資産差し押さえに備えて、銀行預金はすべて解約して一時的に、指定口座に移すよう指示した。


 奥さんは大変なことをしてしまった。誠実そうな担当者だった。早急に対応しなければ取り返しのつかないことになる。気を取り直して、銀行に出かけた。


 ◆貧乏のメリット

「指定の口座にお金を振り込むと、あれだけ、やいやい言ってきた会社から、ぷっつり連絡が途絶えたらしいの。警察に相談して、銀行口座を調べてもらったら、一億六千万はとっくに引き出されていたようなの」


 大きな事業があると、利権がらみの業者が暗躍し、関連企業が群がる。歴史が証明済みである。

「孤独な年寄りが多いから、狙われるんやなあ。年寄りの不安につけこむ詐欺なんて、犯罪者の風上にも置けんな」

 粕原さんいつになく、きつい口調だった。


「貧乏しとったら、そんな犯罪に巻き込まれん。ええこともあるってことか」

 友人の言うことにも、一理あった。

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