待ち合わせの階段
「これがおじいちゃんが幼稚園の時に渡り
二車線同士の幹線道路、そこをまたぎながらりんと立っている歩道橋を、私は孫娘と一緒に見上げていた。色褪せ、あちこちサビが浮き出た歩道橋の階段のふもとで、私は孫娘の手をギュッと握る。
「お互いに年をとったなあ……」
今からもう七十年以上も前の話だ。交通量が増えてきた幹線道路、その十字路にできた歩道橋を、私が通っていた幼稚園の園児が渡り初めをすることになった。小さな幼稚園、人数も合わせて数十人だったが、新聞の地方面にも写真入りで小さく出て、母がその記事を切り取っておいていた。もちろん、私は写っていたとしても分からないぐらいの小さな白黒写真ではあったが。
私は当時年中さん、少し大きな年長さんのお兄さんお姉さんと、もう少し小さな年少さんに挟まれて、テープカットと同時に空に広がった風船をうわあと見上げていたのを思い出す。
そうして順番に歩道橋の階段を登り、橋を渡って今度は反対側の階段を降りる。たったそれだけの儀式ではあったが、小さな子どもにはとてもドキドキする一大イベントだったのだ。
当時は通園バスなどなく、先生が徒歩で順番に回って園児を集め、あちらこちらで集合して幼稚園まで登園していた。私の住む団地にも担当の先生が一人来て、子供たちを連れての最初の集合場所がそれ以来この歩道橋になった。いつもここで他の地域の子供を連れた先生と待ち合わせ、次の集合場所まで歩いていき、みんなで幼稚園に入っていく。
年中、年長の二年間、いつもここでみんなが揃うまでキャッキャと遊び、揃ったら幼稚園へが私の毎日の始まりだった。
幼稚園から小学校に上がると集団登校で、やはり同じこの場所が待ち合わせ場所だった。今度は幼稚園とは少し時間がずれていたが、待っていると少し早く来た幼稚園の子と一緒になることもあった。
ここから上級生のお兄さんお姉さんと一緒に列になって歩き、幼稚園を通り越して、少し先にある小学校まで歩いて登校する。最初は連れられて登校する側だったが、自分が学年が上がるにつれ、今度は年下の下級生を連れて学校へと通っていた。
幼稚園の二年間、小学校の六年間、ずっとこの場所で集合して登園、登校していてそれで慣れていたからだろうか、下校後、休日に友達と遊ぶ時にもやはりここが集合場所だった。
中学になるとさすがに集団登校などなくなったが、今度は小学校のもう少し先にある中学まで、やはり仲のいい友達とここで待ち合わせ、だらだらと話をしながら登校していた。
幼稚園から合わせて十年以上、ずっとずっとここが、今、孫と立っているこの場所が待ち合わせ場所、誰がどこと言わずとも「いつもの場所」で通じる場所になっていた。
中学を出て高校になると、私は今度は自転車でこの歩道橋の下をくぐって駅まで行き、そこから電車で通学をするようになっていた。
その頃になると行動範囲もぐっと広がり、集合場所もその時々であっちこっち、近い家の友達と集まる時にはここにも来たが、段々とここは「いつもの場所」ではなくなっていった。
高校を卒業すると、進学する者、就職する者とさらに進路は分かれ、この場所は集まる場所ではなく通りすがるだけの場所になってしまう。わざわざここで集まる理由は何もなくなってしまったからだ。
私も生まれ故郷を離れて都会の大学に進学し、そのままその土地に住み着き、そこで結婚して腰を落ち着け数十年、今ではそこが終の棲家だ。子どもたちも結婚して孫ができ、年齢もそろそろ80歳になる。頭の中からすっかりこの歩道橋のことなど消えてしまったはずだったが、そのまま地元に残っていて、ちらほらとやり取りしている当時からの友人の年賀状の中に、こんな一文を目にすることになった。
「私たちが渡り初めをしたあの歩道橋が老朽化で取り壊されることになりました」
両親が亡くなってからというもの、この土地にはもう戻ることもなく、何十年も忘れてしまっていたというのに、なぜだろう、その一文を読んだ途端、無性に見に行きたいと思ってしまったのだ。
「行きたい、あの歩道橋がある間にもう一度行ってみたい」
そうは思うが、今はもう免許も返納しているし、第一そこそこ距離がある場所だ。電車を乗り継いで行くには少し路線が不便で、乗り継ぎなどを考えるとちょっとした小旅行になるだろう。
しばらくの間考えていたが、ある日思い切って息子に連れて行ってほしいと頼んだ。息子は私の申し出に驚いていたが、話を聞いて、今日、こうして車で連れてきてくれたのだ。
歩道橋は思い出の中の形のまま、古びてはいるがしっかりとこの場所に立ち続けている。
「来週には取り壊しなんだよな」
「ああ」
あの時、始まりの時にはあれほど華々しく渡り初めをしたこの歩道橋、来週にはひっそりと取り壊し工事が始まり、何日後かにはこの地上から消えてしまう。それを思うとなんともいえない感慨があった。
息子はスマホを取り出すと、
「親父、そこ立って」
と、私と妻と孫を並ばせて写真を何枚か撮った。
「じゃあ、ゆっくり渡り
「うん、私おじいちゃんと手をつないで連れていってあげる!」
小学校低学年の孫娘がそう言って、当時の上級生のような顔をするのにみなで微笑ましく笑った。
「まだ歩いて渡れる元気があるうちでよかったよ」
「本当ですね」
「お二人共、足元気をつけてくださいね、つまずかないように」
息子の妻がそう声をかけてくれた。
「はい、じゃあ撮るよー、焦らないでゆっくりね」
息子がそう言って、今度は動画で私と妻、そして小学校低学年の孫娘がゆっくりゆっくりと階段を登り、そして橋を渡って階段を降りるまでを撮影した。
「親父、この歩道橋の最初から最後までよく付き合ってあげました、ご苦労様でした」
私たちが渡り終わった後、後を追いかけてきた息子はそう言うと、隠し持っていたクラッカーをパン! と鳴らし、
「風船はないけど代わりにこれな」
と笑った。
「はい、これも。お疲れ様でした」
息子の妻も小さな丸いブーケを渡してくれて、それを持ってまた妻と孫娘と3人で記念写真を撮る。
こうして私の「渡り納め」は無事に終わった。
もうこの歩道橋と再会することは二度とないが、私の命の終わりのその日まで、私の中で、ずっとずっとしっかりと、大地を踏みしめ続けてくれるだろう。
※「カクヨム」の「クロノヒョウさんの自主企画・2000文字以内でお題に挑戦」の「第27回お題・待ち合わせの階段」の参加作品です。
2022年9月15日発表作品になります。
ストーリーはそのままですが、多少の加筆修正をしてあります。
元の作品は以下になります。
よろしければ読み比べてみてください。
https://kakuyomu.jp/works/16817139558984482513/episodes/16817139558984494052
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます