傘は持たない

「ねえ、ちょっと見て、あれってもしかして……」

「ええ、間違いないわ、あの女よ」

「そうよね。よくまあ平気な顔で街を歩けるわね」

「ほんとほんと」


 街を歩いていた時、そんな声が声高こわだかに、聞こえよがしに聞こえてきた。だけど特に気にはしない。だって、その人たちが言っている「あの女」とは、私が今演じているドラマの中の女のことだからだ。思った以上に多いのだ、役と役者を混同してしまう人。


 毎週決まった曜日の決まった日時に世間に流れるドラマ、そこで私が演じている女がどうしようもない悪女、いや、悪人なのだ。


 美貌自慢で野心家の秘書が、婚約者のある若い実業家を自分と結婚しなくてはいけないよう状況にうまくうまく持ち込む。夫となった実業家は秘書の人生に責任を感じ、愛し合う婚約者を捨ててこの女と結婚。その後夫婦円満に過ごせれば、それでもまだ救いがあったものを、この女はそれだけで満足するような人間ではなかった。

 夫がありながら若い愛人を囲い、夫を亡き者にして全財産を自分の物にしようと企む。そのためにありとあらゆる手を使い、主人公である夫の元の婚約者を傷つけ、夫殺しの犯人に仕立て上げようと画策する。お金も世間の同情も、全部自分のものにしないと満足できない、どこまでも貪欲でいやらしい人間なのだ。

 もちろんその後はよくある展開、最後には健気な主人公によって、財産目当てで無理やりついた妻の座から引きずり下ろされるだけではなく、刑務所へと入れられる結末が待っているまでがお約束。

 

 ここ何作か、私にはそういう悪女役が回ってきて、そして光栄なことに、いつも良い評価をもらっている。


『最悪の悪女ではあるが目が話せぬ魅力があり惹きつけられる』


『どうしようもない悪人ではあるがその心の奥深くに言い知れぬ哀愁を感じさせる』


『本人の意思には関係なく悪の道に進むしかなかった運命への憎しみの表現がすごい』


 どの評価でもそんな風に、主人公への当たり障りのない定番のお褒めの言葉の次に、私の悪役に対する手放しの称賛を見ることができるのだ。


 初めて悪女役をと言われた時には本当に悩んだ。だって、やっぱりやりたいのは主人公の方だもの。誰だってそうじゃない?


「この悪役を私が?」


 手渡された台本の中の女は救いようのない悪人だった。私がドラマでそんな女を見たら、おそらく演じている女優のことを嫌いになってしまうだろう。そう確信を持つような。


「もしもこれでイメージが固定されて見てる人に嫌われたらどうしよう。嫌な役ばかり回ってくるようになったら。ううん、嫌な人間だと思われて役者の仕事ができなくなったり、親兄弟や親戚にも白い目で見られるようにならないだろうか……」


 悩んで悩んで素直な気持ちを伝えたところ、マネージャーにこう言われたのだ。


「これはチャンスなんだよ。記憶に残らない善人と強烈に焼き付く悪人、どっちが役者としてやり甲斐がある? 考えるまでもないんじゃないか? 俺は君にこの役をぜひやってほしい。君にはその才能が、実力があると信じてるんだ」


 マネージャーの言葉には心がこもっていた。本気でこの人は私の可能性のためにこの役を持ってきてくれたのだと信じることができた。それで思い切って引き受けた。


 その最初の役が大当たり! それまで鳴かず飛ばず、なんとなく名前を知ってる、主人公のお友達レベル役だった私が、一気に悪女役の第一人者としての評価を得ることができたのだ。


 それ以来、こんな言葉を投げられるのはしょっちゅうだ。最初は少し戸惑ったが、街を歩いていて悪罵だけを投げつけられるわけじゃないということに気がついた。どちらかというと、遠慮そうに近づいて「ファンなんです」「いつも見てます」そう言って声をかけてくれる人の方が多いのだ。

 

 そう言ってくる人の中で、本当のファンが何人いるかは分からない。ただ有名人だというだけで握手した、一緒に写真を撮った、サインをもらった、それだけで終わる人がほとんどかも知れない。

 だけど、まだそんなに売れていなかった時、いつ街を歩いても誰も見向きもしてくれなかった時と比べたら、その場その場だけでもそう言ってくれる人に囲まれるのは本当に気持ちのいいものだ。

 だからどんな声をかけてくる人にも、私は悪女の笑みを浮かべて優しく対応する。決して怒ったり嫌がったり悲しい顔にはならない。マネージャーが言った「記憶に残らない善人と強烈に焼き付く悪人」の差をひしひしと身を持って感じる。


 今も「よく平気で街を歩ける」と言った年配の女性に、にっこりと余裕の笑みを浮かべて会釈をした。女性は一瞬ひるんだが、次の瞬間にはぱあっと明るい顔になり、一緒にいた女性と「こっちを見てくれたわよ」ときゃあきゃあ言って大喜び。今度からテレビや映画で見かけたら「この女優が私に挨拶した」と自慢話として話してくれることだろう。


 私は今日もまっすぐに顔を上げて前だけを見て歩く。どれだけ悪い女と言われようと、悪評を投げつけられようと。称賛も罵倒も全部私のものだから。どんな言葉の雨も全部自分で受け止めるのだ。


 だから私は傘は持たない。今日も四方八方からの言葉を全身に浴びて、真っ直ぐ真っ直ぐ、この先もまだまだ続く栄光への道をひたすら歩くために。




※「カクヨム」の「クロノヒョウさんの自主企画・2000文字以内でお題に挑戦」の「第18回お題・傘はもたない」の参加作品です。

2022年7月29日発表作品になります。


ストーリーはそのままですが、多少の加筆修正をしてあります。


元の作品は以下になります。

よろしければ読み比べてみてください。


https://kakuyomu.jp/works/16817139557222269447/episodes/16817139557222273199

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