第2話 恋の予感
カフェ
カラン♪
この音色は――。
「おはよう、テンちゃん。夏休みなのに頑張ってるね」
大学はすでに夏休みに入っていたけれど、家にいても時間を持て余す。そのため、平日は夕方だけでなく昼間もカフェでアルバイトをしていた。
「ハル君こそ、どこにも出掛けないの?」
『ハル君』と呼び始めたのは、カフェCielの
「どこにも、か。うん、そうだね……」
「ご注文は? いつものでいい?」
「カフェオレで。あ、テンちゃん……」
「ん、どうかした?」
「次の日曜って用事ある?」
「私? どうして?」
「デートに誘いたいんだ」
「えっ?」
突然のことに驚いて、危うく持っていたトレーを落としそうになった。至って真面目な顔で言っているので、冗談ではないらしい。
「きっと来年には就職活動や卒業論文で忙しくなると思う。バイトする余裕もなくなるかもしれない。そうなったら、なかなか会えなくなってしまうんじゃないかな、と思って……」
「そうね。来年の夏前には就活が始まるからね」
「だよね。それならさ、今しかないテンちゃんの時間を、僕に少しだけ分けてくれない?」
「それは遊びに行きたいということ? うーん……。自由に動けるのも今のうちだけだし、どこかへ遊びに行きたいとは思っていたけど……」
「でしょう? それは僕と一緒じゃダメかな? 無理にとは言わないけどさ」
言葉に気遣いながらも、端々に彼の想いが伝わってくる。以前から好かれているのを知っているだけに、遊びに行くくらいならいいかな、と思えてきた。
「うん、わかった。いいよ」
「やった。ありがとうテンちゃん」
「あっ、でも、どこへ行くつもり? 海とかプールは急に言われてもちょっと困る……」
「海の近くではあるけど、水族館はどう?」
「水族館ね。それなら大丈夫」
OKを出した途端に見せた、ほっとした表情が初々しい。きっと勇気を出して誘ったんだろうなと思うと、彼の晴れやかな顔がとても眩しく見えた。
日曜日。私たちは待ち合わせの駅から、海へ向かう電車に乗った。
お目当ての水族館は、到着した最寄駅から歩いて数分の場所にある。青白に塗り分けられた建物のすぐ裏手は海岸で、浜風と共に波の音が聞こえる。
好天にも恵まれ、水族館を通り過ぎて砂浜へ向かう海水浴客も多い。
「チケット買って来るから日陰で待っていて」
「あ、待ってハル君。チケット代渡さないと……」
彼はお財布を取り出そうとした私の手を抑え、「だめだめ。僕が誘ったんだから、テンちゃんはお金なんて出さなくていいよ」と、紳士的な対応を取ろうとする。
「でも……」
「じゃあ、次のデートの時はアイスコーヒーでも驕ってもらおうかな」
勝手に次の約束なんかして。そんなセリフ、どこで覚えてきたの? 仕方ないなぁ。今日は驕られてあげる。
走ってチケット売り場の列に並ぶ姿が頼もしくもあり、途中で思い出したように慌てて学生証を取り出す様子が微笑ましくもある。
デートプランは全て彼が決めてあるとのこと。今日はおとなしく、彼にお任せすることにしよう。
「見て。ペンギンがいっぱい泳いでる。かわいい!」
大きな水槽で縦横無尽に泳ぎ回るフンボルトペンギンやゴマフアザラシ。普段から見られることに慣れているのか、ペンギンはカメラを向けると泳ぎを止め、こちらに顔を向けてくれる。なんともかわいらしい姿に癒された。
見るもの全てが新鮮で楽しくて、私も彼も終始笑顔が絶えなかった。気が付けば恋人同士のように手を取り合い、「次はこっち」と水槽から水槽を見て回る。イルカショーやウミガメの観察、サメ肌の体験など、全てのエリアで存分に水族館デートを満喫していた。
水族館を堪能したあとは、彼が予約した近くのレストランでディナータイム。海を見渡せる窓際の席は、沈む夕日を見ながら食事をするという、なんともロマンチックな演出だった。
「今日はとても楽しかった。ありがとうハル君」
「このあと砂浜の方へ行ってみない?」
「ヒールの高い靴を履いているから、砂浜は歩けないよ」
「裸足になっちゃえば? 水際まで行こうよ」
「水際って? 海に入るのは嫌よ……」
「あははっ。深いとこまで行くわけじゃないよ。あれ、もしかして水が怖いの?」
「えっ? ……う、うん」
「テンちゃんって泳げないんだ?」
「あっ、いま笑ったでしょ!」
「笑ってないよ」
「笑ってるじゃない」
他愛もない会話が楽しい。
気付かなかった。彼が笑うと現れるえくぼを、愛おしく思うなんて。
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