卯月天の恋

第1話 憩いの場所

 私のアルバイト先は、通学路の途中にあるカフェCielシエル――。

 Cielとはフランス語で ”空” を意味する。私の名前の字は「天」と書く”そら”だけど、同じ名前に導かれて、働いてみようと思った。

 ご夫婦で経営されている店で、土日や祝日以外は奥様の澄玲すみれさんがひとりで切り盛りしていた。平日以外はご主人が手伝いに来られるため、私が働くのは平日の夕方から閉店まで。それでも、ほぼ近所の人しか立ち寄らない、静かな隠れ家みたいなカフェだからそれほど忙しくはない。

 そんな趣味のようなカフェでも、これまで私の生活を支えてくれた大事な存在であることに変わりはない。


 大学生活も3年目を迎えていた。

 同級生で同じゼミを履修している吉野よしの茂雄しげお君と六ッ川むつかわ陽翔はると君、親友の永田ながたみなみの3人がCielに来ていた。教授が出した、ゼミの課題の多さに各々頭を悩ませている。――というのは建前で、楽しくお茶をしているといったところだろうか。

 ゼミが一緒という理由もあってか、私を含めたこの4人は同級生の中でも特に仲がいい。


卯月うづきさん、コーヒーのおかわり貰える?」


「はーい」


 声を掛けられ、私は返事をする。


「おい陽翔、なんで女子を苗字で呼ぶんだ? もう3年も一緒にいるんだからさ、堅苦しいのやめようぜ」


「馴れ馴れしいかと思って……。じゃあ『テンちゃん』と『ミナミちゃん』でいいのかな?」


「うん、もちろん。六ッ川君はどう呼ばれたい?」


「えっ? お、俺の呼び方はどうでもいいよ」


 私の“天”という字を、ミナミが読み間違えてから、同級生たちはみんな『テンちゃん』と呼ぶようになった。子供の頃から読み間違えられていたから、今では正式な呼ばれ方の方がくすぐったく感じる。



 カラン、と扉を開ける音が鳴った。

「いらっしゃいませ」

「こんにちは」

「いつもの席へどうぞ」


 昼間の常連客と夕方の常連客が入れ替わる時間帯。昼間は近所の奥様たちの井戸端会議。あるいは休憩の営業マンで賑わう。夕方からは近くの高校生が受験勉強のために利用することもある。静かな隠れ家ならではの楽しみ方なのだろう。




「あ、こんな時間だ。そろそろ帰らないと。また明日ね、テンちゃん」


「うん。気を付けてね、ミナミ」


「あれ、レポートどこいった?」


「どうした? 先に帰るぞ、陽翔」



 閉店時間が近くなるにつれて、徐々にお客さんは減って行く。賑やかな同級生たちが席を立ったあと、カフェは急に静かになった。

 残っているのはテーブル席のひとり。


「頑張ってるね」

 追加オーダーのカフェオレを運んできて、声を掛けた。


「うん。専門分野の資格も取りたいからね。今から少しでもやっておかないと……」

 テーブルに広げられた参考書を端に除け、照れたような顔を向けた。初めは頼りなさげに見えたけど、しっかりと将来を見据えて行動する姿は素敵だ。


「あ、そうだ。これあげる」


「あら、四葉のクローバー?」


「学校の敷地で2つも見つけたんだ。探せばあるものだね」


「知ってる? クローバーの葉にはそれぞれ意味があるのよ。希望と愛情それに健康。そこにもう1枚加わると幸福が増えるの」


「それで四葉のクローバーは幸せの象徴と言われるのか」


「この四葉は押し花にして大切にする。ありがとう」


「うん」


 彼に慕われているのは薄々気付いている。こうしてなにかを渡すのも、話をするきっかけを作りたいのだろう。本人は無意識のようだけど、視線を感じることも多く、事あるごとに話しかけてくる。悪気のない距離感の近さは、ちょっとだけ可愛らしく微笑ましい。




 大学内にある食堂で、いつも4人は集まって昼食を摂っていた。

 すぐ近くで下級生と思われる女の子たちが、楽しそうに連休の予定を話し合っている。会話は自然と聞こえてきて、ミナミが便乗するように口を開く。


「来年は就活で忙しくなるし、遊べるのも今年までだね」


「そうなんだよミナミちゃん。もうすぐ夏休みだし、一緒に海にでも行こうよ」


「えー、海は混んでるし日焼けするからやだ」


「じゃ、じゃあさ、屋内プールにしよう。陽翔とテンちゃんの4人だったらいい?」


「え、私も?」


 吉野君はミナミを誘おうとしているのだと思って油断していた。

 普段から『お調子者』なんて呼ばれている吉野君は、ミナミに気がある。当のミナミはいつもさらりとかわして恋が進展する様子はない。彼との中途半端な関係性を楽しんでいるようにも見えるので、もしかしたら女王様タイプなのだろうか。決して悪い子じゃないんだけど……。


「なんか目つきがいやらしいよね。本当は水着姿が見たいだけじゃないの?」


「ひどいな、こんな純粋な目をしているのに」


「どこが? 鼻の下も伸びてるし」


「ああ、シゲの鼻の下は元から……」


「うるさいぞ陽翔!」


「怒るなよ。一緒に海に行ってやるから」


「ありがとう。そう言ってくれるのは陽翔だけだ。男二人で水着ギャルを堪能しに行こうな」


「やっぱりそうだったんじゃない。エッチ!」



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