第4話 イヤリングの行方

 濃紺の夜空に星が瞬いている。地上の街明かりが歩道の街路樹を影絵のように映し出していた。

 坂の先に、臙脂えんじ色の三角屋根が見える。


あれがカフェだ。


 重い足を引きずるように歩み続けると、左側に小さなライトに照らされた店の看板が見えてきた。店の手前にある横断歩道の前で足を止めた。


 テンちゃんは、ここにいるだろうか。


 まるで辿り着くのを待っていたかのように、カフェの扉が開け放たれた。店内の明るさで逆光となり、外へ出てきた黒い人影が歩道に映る。影は左右に揺れ動いているように見えた。

 あれは誰だろう?

 こちらから顔を窺い知ることはできない。

 手を上げてみると気付いたのか、影の動きが止まった。


「ハル君」


 テンちゃんの声が聞こえた。

 よかった。やはりここにいたのか。


 ポケットに入れたイヤリングを、早く彼女の元へ届けなければ。

 喜ぶ顔が思い浮かび、口元が緩んでしまう。

 道路を横断してカフェへ向かおうとした時、またしてもスニーカーの靴ひもが解けていることに気付いた。


 なんだよ、またか……。


 はやる気持ちが焦りを生み、解けた靴ひもをもう一方の足で踏んでしまった。


「うわっ……」


 バランスを崩し、転がるように道路へ出てしまう。

 ほんの一瞬の出来事だった。運悪く車が向かって来て、目が眩むようなヘッドライトの光に晒される。タイヤが地面を擦る音。それに続き、ドスンという鈍い音と強い衝撃。


 真っ暗な深い穴に落ちて行く感覚で、意識が遠のく。

 全てが闇に包まれる直前に、どこからか悲鳴のような声が聞こえた。




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 ずいぶんと長い夢を見ていた気がする。

 夢――。

 そうか、いつもの夢だったな。

 いや、そんなことより、すぐそばで人の声が聞こえる。ここは自分の家ではないのか? いったいどこで眠ってしまったのだろう?


 重い瞼をゆっくりと開く。白い石膏ボードの天井が見えた。夢の中とは違い、現実の世界は眩しいくらいに明るい。

 ここは、どこだ――?


 近くにいた誰かが目覚めたことに気付いた。


「あっ! 六ッ川むつかわ君が目を開けてるよ」

「本当だ。意識が戻ったんだ。おーい、陽翔はると。わかるか?」

「よかった。みんなで呼びかけたから、起きてくれたのかな?」

「先生を呼んでくる」


 目覚めたのは病院のベッドだった。

 聞き覚えのある声は、大学の同級生たちだ。



 その後、様々な検査を受けた。

 担当の看護師から、事故に遭って病院へ運ばれたのだと聞かされる。それも3年も前の話だ。事故後の3年間、ずっと眠り続けていたということか。

 長い眠りから目覚めさせてくれたのは、同級生たちの ”声” だった。この日はシゲが開催した同窓会があった。終わってから病院へ立ち寄った仲間たちが何度も呼びかけてくれたのだろう。戻ってこられたのは、その声のおかげだ。


 明らかになったのは全てが夢だったという事実。昔を懐かしんでいたわけじゃなく、実際に起きた記憶を夢として見ていただけだ。事故が起きた時点で時間は止まった。そこから先は記憶も行動も存在しないはずなので、俺の空想なのだろう。


 そういえば……。あの事故の前に、テンちゃんに渡そうとしたイヤリングはどうなったのか――。

 着ていた服のポケットを探してみた。確かに入れたはずなのに見つからない。代わりに入っていたのは萎れた四葉のクローバーだった。


 イヤリングを拾ったはずだが、そこは記憶違いなのか?

 ならば、テンちゃんとは本当に片想いで終わったのか? シゲだってミナミちゃんと仲良くしていた。親友のシゲ、仲良しのテンちゃんとミナミちゃん。上手く繋がり合っていたから、4人はいつも一緒にいたんじゃなかったか?



 長い期間をかけて、ようやく退院することができた。医師からは、事故の影響で記憶障害が残っている可能性もあると伝えられている。大事なことを思い出せないのはそのためか。

 事故現場にでも行けば、消えた記憶が思い出せないだろうか?


 タイミングよく、シゲから「あのカフェに行かないか」と誘われた。いつもの4人で、同窓会のやり直しをしようと言うのだ。

 社会人となり、少し大人びた仲間たちに囲まれ、退院祝いと小さな同窓会が行われた。懐かしいカフェと、事故に遭った横断歩道は当時となにも変わらない。懐かしさは甦ったが、あやふやな記憶は解決しなかった。


 本人に確認してみたい思いはあるが、以前よりも色香の増したテンちゃんに声をかけずらい。社会人となった彼女には、すでに恋人がいるかもしれないと想像したらなおさらだ。今になって過去を掘り返す必要もあるまい。

 それよりも、目の前にいるテンちゃんが、あのイヤリングを付けている事実に安堵している。


 みんなからは、失った時間を取り戻し、次の同窓会には元気な姿で出席して欲しいとエールを貰った。またいつか、笑い合える記憶を作れるように。






1章 六ッ川陽翔の夢 おわり



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