4-4
『きみを……壊してしまうと、思ったから』
カルティオはそうこたえてくれたけれど、エルシアは納得できていない。
「壊してしまうって、どういうこと?」
エルシアが質問を重ねれば、カルティオは紅い瞳を逸らし、少し考えたように間を置いてから返事をしてくれた。
「人は、か弱いだろう」
どこか寂しくも目を伏せた横顔に、言葉を呑んでしまう。
「きみは、血を吸われてどう思った?」
ふと視線を戻したカルティオに、エルシアはただ正直に頷いた。
「助けてくれたんでしょう、だから、嬉しかった」
「……いや、これは俺の問題だな」
カルティオはエルシアのこたえに納得しないよう首を振る。
どこか彼の語る言葉の節々に感じられる悲哀の感情に、戸惑って困っていた表情を思い返せば、エルシアも
「ヴァンパイアに、血など吸われないほうがいい」
そうは言っても、彼はエルシアを助けるために、『ごめん』と謝りながら、戸惑いながらも、血を吸ってくれたのだ。
「人の血を吸わない主義って……レインは、あなたのことを偏食だって、言っていたけれど」
そっと聞き返せば、カルティオは小さく息を吐き、薄っすらと笑ってから言葉を返してくれた。
「俺からしてみれば、人の血を吸うことのほうが偏食に思えるが」
「でもそうしないと、あなたたちは生活が」
「できなくはない。人並みに生きることは難しいだろうが」
レインの語った言葉に、人の世に適応したヴァンパイアたちを否定するように、カルティオは力強くそう言った。
「人と俺らは違う。ならば、俺らは、俺ららしくしていればいい」
「それが、あなたの引きこもる理由なの?」
「……あぁ、そうさ」
頑固たる意志を表わすように、カルティオは首を縦に振る。
だけど、カルティオのその言葉に、エルシアはやはり納得ができなかった。
『壊してしまう』と、彼は言うけれど。
レインとミスティスの関係を見ていれば、そうとも言い切れないような気がしてしまうから。
「何か、あったの? あなたにとって、人に触れることが、恐怖に変わるような、何かが」
彼のことを知りたい。
そう思ったがゆえに、そう聞いてしまったからには、もう――。
別に、エルシアに彼の引きこもりを解消させようだなんて魂胆はなかった。
ただ、それは決定的なまでに、彼に一歩踏み込む質問だったのだろう。
真っすぐと見上げたエルシアの紺碧の瞳に、瞠目した紅い瞳は真っすぐと向けられていて。
人の心を見透かすというその瞳は、心を透かすように明らかなまでに動揺の色で染まっていた。
見つめ合ったままに、時は止まって――だけど、彼は一度瞳を伏せれば、やはり元の冷たさを取り戻した。
「別に、俺が引きこもる理由を、誰かのせいにも、何かのせいにも、するつもりはない」
それだけ言い、彼は落ち着きを取り戻したよう再び席に座り、視線を広げた本に落とした。
「俺の話などしてもつまらないだろう。また、ハロワイルカンパニーには本の取り寄せを頼むと思う」
エルシアとしては、少しは彼のことを知れたような気もしたけれど。
人とヴァンパイア、ふたりの間にはまだまだ人知れない距離があるように、彼は決定的なまでに、あからさまにエルシアを遠ざけた。
カルティオはそれっきり顔を上げることはなく、エルシアはそっと部屋を後にした。
◇◆◇
――レインの要望に、こたえることはできたのだろうか。
エルシアが考えてもわからないことが増えるばかりで、余計な気疲れが増えただけな気もした。
ごとりと揺れる馬車は帰路につき、その御者席、バロルと肩を並べたエルシアは小さいながらに「はぁ」と、ため息をひとつ吐く。
「どうしましたか、お嬢様。カルティオ様とお話できたのではなかったのですか?」
バロルは手綱を握り、前を向いたまま、にこりと微笑んだ。
エルシアはふと見上げた彼の横顔に、首を横へ振る。
「話してみて、余計にわからなくなったの」
「左様でございますか」
バロルはどこか楽しそうに笑っていて、エルシアはむっと頬を膨らませた。
「何が、面白いの?」
「いえいえ、お嬢様にしては珍しく、相手の出方がわからなくて困っているようですから」
そう言われれば、「たしかに」と納得もできてしまった。
同じヴァンパイアを相手にしていても、レインは人の心を見透かしたかのように笑う。
だから逆に、対面していても話しやすく、何を考えているかはわかりやすい。
ただ、カルティオの想いは言葉にも表情にもあまり表れない。
まるで、何か本心を隠しているかのように――とすら、エルシアにはそう思えてしまった。
「ねぇ、バロル」
「はい?」
「カレイディ公爵ってどんな人?」
突然エルシアがそう聞けば、「えっ?」と、バロルは視線を向けて首を傾げた。
信頼に厚く支持層も広く、公爵領主としての権威を守っていることくらいはわかるが、彼がどのような人物なのかは、エルシアも公の場で目にすることくらいしか知らない。
医療従事者のひとりとして名を馳せていて、それも彼らの持つ力のことを思えば、納得はできたのだけれど。
「素敵な方ですよ。公国での権威は、あの方の中に流れる血も関係はしていますが、人を惹きつける、そんな魅力に溢れる方です」
「公爵夫人は人間なのよね?」
レインから聞いたことを思い返して聞けば、バロルは「え、えぇ」と戸惑ったように頷いた。
「どうして、そのようなことを?」
「いえ、気になることを聞いてしまって」
レインの口走った『……お兄様のお母様も、人間だったわ』という言葉。
兄妹だというカルティオとレイン、ふたりの顔は端麗で似てはいるけれど、直感的に覚えた違和感に、エルシアは納得できるこたえを見つけた。
「公爵夫人は、ふたりいるの?」
エルシアがはっきりと聞けば、バロルも隠し立てをしようとはしなかった。
「……いえ、そうですね。今の夫人は、カレイディ公爵のふたり目の奥様となります」
「やっぱり、そういうことなのね」
カルティオの部屋で見た女性の肖像画が誰だったのか、そのこたえにも納得がいく。
「ひとり目は?」
「病気で亡くなったと聞いています」
「カルティオとレインは、異母兄妹ってことよね」
「そういうことになりますね」
それを聞けばひとつ、こたえが出たような気はした。
彼の中にあった、戸惑いの感情。
困ったようにしたことも、『ごめん』と謝った意味にも、『壊してしまう』と恐れた理由にも。
彼が、人の血を吸わないことが、こたえのような気さえしてしまって。
「……それはいつのこと?」
「今から十五年ほど前、カルティオ様がまだ五つのときかと」
「死因は?」
「元より持病があり、カレイディ公爵もひとり目の奥様の回復に尽力なされたと、それで支持を得たとも一部では言われています」
そうまで言われるのなら、カルティオの母が病で亡くなったことは真実なのだろう。
どうしてそれを彼は、『壊してしまう』とまで語るのか、理解はできないけれど――それは、ある種のトラウマなのかもしれない、と察して、エルシアはひとつこたえを出す。
ヴァンパイアにとっての吸血行為が、特別なモノだということは説明されるまでもなくわかることだ。
レインとミスティスのように、互いに信頼関係があるあらこそ成立するもので、それはある種、人間の夫婦関係と似たようなものだと考えられる。
だからこそレインは『伴侶』などと例えたのだろう。
ゆえにヴァンパイアの愛情は、血を吸うことに結びついているのかもしれない――とまで考えられた。
だからこそカルティオは、人の血を吸うことを恐れたのかもしれない。
「だったとしても……」と、エルシアは独り言を呟く。
――わたしに、何ができるって言うの。
命を救ってくれた彼のために何かをしたいとは思ったものの、そのこたえは結局、エルシアの中で見つけることができないものだった。
――『……いや、これは俺の問題だな』
彼が何かを我慢したよう首を振ったことを思えば、なおのこと、そう思えてしまう。
それっきりひとり考え込んだエルシアに、ただ前を向いて手綱を握ったバロルは、どこか嬉しそうに笑っていた。
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